彼の物語

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*  試験は思った以上にうまくいった。  特に数学は、昨日の大学ではうまく解けなかった三角関数が異常なぐらいにあっさり解くことができた。気分を落ち着けて試験に挑めたかもしれない。  いい気分で山手線に乗り、東京駅へ向かう。  全く来たことのない街だが、山手線には映画や小説で登場した駅が多く出てくる。自分が観たり読んできたものの一場面がそこら中に落ちているようで、僕は流れる景色から目を離せなかった。  東京駅に着き、八重洲口へと続く階段を降りた。新幹線の改札口へ向かう人は多く、僕と同じように受験生と思わしき若い男性や女性も見えた。  僕は待ち合わせ場所のサウスコートに、十分前には着いたが、彼女は待ち合わせの時間になってもやってこなかった。時間どおりに来ないのはよくあることだ。今更、遅刻を咎めたりはしない。  二十分遅れで、美優は白いキャリーケースを転がしながらやってきた。遅刻しているというのに、全く慌てている様子がない。 「ごめん、乗り換えを間違えちゃって。焦ったー」 「試験どうだった?」  僕が尋ねると、美優は首を右に傾けた。 「まぁまぁかな? あー、微分の問題は時間なくて解くのあきらめたけどね。あとはだいたい解けたよ。英語はいけてたかな」  どうやらそれなりに手ごたえはあったらしい。 「朝は起こしてくれてありがとね。でもさー、チェックアウト前に受験票あるか気になってカバン探したら見つからなくて焦ったよー。結果的に財布に入れてたんだけどね。いやー、焦ったね」 「さっきから『焦った』ばっかりだな」 「だね。都会は焦ることばっかり」  そう言ってから、美優は咳き込んだ。そういえば声も少し枯れているのかもしれない。 「風邪?」  美優は首を横に振った。 「いや、なんかさホテルの部屋が乾燥しててさ。加湿器付きにしたのになー」  加湿器付きをお薦めした本人も乾燥にやられているらしい。  どっちにしても乾燥にやられるのか。  そんなことを思ったが口にするとややこしくなるので、僕は黙っておくことにした。 「なに笑ってるの……?」  感情が表情に漏れていたらしい。僕は首を横に振って「何でもない」と言った。
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