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クッペの感は、的中していた。
他には客が見当たらない、古めかしくわびしい喫茶店の中――
窓ぎわの席に、若く美しい娘と向かい合い、煎路は座っていた。
「助けてくれてありがとう、旅人さん。
木の枝に髪がからまってしまうなんて……ホント、恥ずかしいわ」
「恥じらうこたぁないさ。誰にでも運命の出会いはあるもんだろ?」
「運命の出会い……??」
「君を見つけた時の衝撃は一生忘れられないぜ。
『ビスクドールがあがいてる!』って、マジでぶったまげたからな。
まさかこんなしょぼい町に、君のようにお人形さんみたくキレイな娘が居たなんてな~」
「お上手ね、旅人さん。アナタはどこから来たの?」
「俺は遠い異世界からやって来た、煎路ってんだ」
「変わったお名前ね。うふふっ。異世界感たっぷりだわ。私はね、ローズマリーっていうの」
「ローズマリーか……親愛を込めて、マリちゃんと呼んでもいいか?」
「マリちゃん? それも変わった愛称ね。
でも気に入ったわ。そう呼んでくれてもかまわないわよ?」
ローズマリーがクスクスと笑う度に、彼女のあごラインでやわらかな巻き毛がゆれている。
その髪と目の色は薄い青紫で、ふっくらした唇はあからさまではない程度に色香がただよっていた。
「センジさん、いいの? はっせんさんをいつまでも放っておいて」
ローズマリーは、窓の外で横たわっている魔馬を、チラリと見た。
だが、煎路の視線はローズマリーから寸秒も離れない。
「いいんだよ。アイツには休息が必要だからな。俺たちにも必要だ。
こんなしょぼい町でもホテルくらいあるんだろ? マリちゃん、これから俺と休息しようぜ。
もちろんいやらしい意味じゃなくてよっっ」
煎路はテーブルに身を乗り出し、ローズマリーの顔の前に迫った。
「いやらしいとしか思えないけど? センジさんてウソが下手くそなのね。
だいいち私たち、さっき会ったばかりなのに……
ああ。でも、分からないでもないわ、その気持ち。私もある人に、ひと目で心を持って行かれたのだから」
ローズマリーはもう一度窓の外に目をやると、今度はもっと遠くを見つめ、一人もの思いにふけった。
彼女は、ある男と出会った時に思いを馳せていたのだ。
「カーディナルレッドのスカーフと大きな帽子。
黒装束を包みこんでしまう長いマント……
マントのすき間から見えた腰には拳銃をしのべるホルスターがあったような気がするわ。
ウエスタンブーツは彼の長い足にピッタリだった。
なびく髪と、じゃっかん重たげなまぶたの下にある眠そうな目は、どちらも悠久の砂漠を反映していて、
それから頬には深い傷跡が……」
「おいおい、マリちゃん。よっぽど視力が悪いみてえだな。
俺はそんな奇妙な格好はしてねえよ。
目や髪の色だってよ、おてんと様の下に出ればもっと明るいもんなんだぜ」
「え……?」
ローズマリーは半分ボーッとしたままで、下心をまるで隠しきれていない煎路の顔に視線を戻した。
「ああ、ごめんなさい。他ごとに気をとられてしまって……
今言ったのはセンジさんの事じゃないのよ。
でもね、センジさんの服装だってなかなか奇妙でユニークだわよ?」
「へヘッ。そおか? まあ俺の事なんかより……」
煎路はテーブルから身を離しイスに座ると、ローズマリーが着ているドレスを凝視した。
リボンがふんだんにあしらわれたベビーピンクのドレスは、ローズマリーの少女趣味がありありと見てとれる。
「マリちゃんは背もたけえし顔も大人っぽいキレイ系だってのに、好みはえらい可愛い系なんだな。
グフッ。そのギャップがまたエロくてたまらないぜっ」
「私にとって、姉たちが反面教師になったんだと思うわ。
洗練された美女で女王様みたいな姉と、男として育てられた王子様みたいな姉よ」
「へぇ~。そんな強烈な個性の姉ちゃんが二人もいるのか。うらやましい限りだぜ」
「姉といっても、一緒に暮らしてはいないのよ。私は妾の子だから」
「め、めかけって……あの妾か?」
話の展開が意外だったので、さすがの煎路も言葉につまる。
だが、ローズマリーはあっけらかんとした口ぶりで続けた。
「そうよ。私の母は父のお妾さんだったの。
でも私はそんなの全然気にしてないわ。気になるとしたら……うふっ。今の時間ね。
私そろそろ帰らなきゃ叱られてしまうわ。
センジさん、ホテルならこの店を出て東に向かって行けばあるから、一人で行ってみて」
「マ、マリちゃん! そりゃねえだろ!?」
ローズマリーがあんまりあっさり言ったので、煎路は両手で思いきりテーブルを叩き、立ち上がった。
「俺も一緒に帰って一緒にあやまってやるから!」
「……ダメよ。男性と一緒だなんて、ますます叱られてしまうわ。
せっかく誘ってくれたのに本当にごめんなさい。こんな物しかないんだけど、助けてくれたお礼に……」
ローズマリーは、ドレスと同じベビーピンクのバッグの中から、ひとつの木の実を取り出した。
赤く鮮度の良い、とても小さな実だ。
「な、なんの実だ?」
どこにでもあるような実でありながら、初めて目にするであろういびつな形をした実。
煎路はその不思議な実を指先でつまみ、窓ガラスに近づけて目を凝らした。
暗い店の中では、窓辺でもよく観察できない。
かといって、暗闇仕様の目に切りかえる程でもない。
正直なところ、多少なりとも体力を消耗させる暗闇仕様の目は、今後の長い旅に向けなるべく使いたくなかった。
上から差す日の光だけを頼りに、煎路はつまんだ小さな実を掲げた。
おのずと顔も上向きかげんになる。
すると、ガラス越しとはいえ強い陽光をまともに直視するハメとなり、
「うっっ!!」
太陽のあまりのまぶしさに、煎路は片腕で目を覆い、顔をそむけた。
「うう、うう~~」
とっさにつぶった目を、なかなか開ける事が出来ない。
「まいったぜ。モロに光を受けちまっ……」
片目ずつ、ようよう細目を開いた煎路は、顔を正面に戻すと絶句した。
「……!!」
ついさっきまで目の前にいたはずのローズマリーが、忽然と居なくなっていたのだ。
せまく暗い店の中をグルグル見回すが、自分以外に誰も存在しない。
「そ、そんなっっ」
もう一度真向かいのイスを見直してみると、イスがほんのわずか後ろへ移動しているではないか。
強い陽光を浴び、煎路が目を覆っていた間にローズマリーは自ら席を立ち出て行ってしまったのか……
「お客さん、どうかしましたかい?」
呆然と立ち尽くす煎路の横に、アイスコーヒーを片手に持った小男が降ってわいた。
「お客さん、顔色が悪いですぜ?」
小男は、真っ黒なサングラスと真っ白なマスクをかけており人相は全く分からないが、どうやらこの喫茶店のオーナーのようだ。
「こ、ここにキレーな女の子が座ってただろ……?」
煎路は気が抜けたまま、ローズマリーが居た席を指さし小男にきいた。
「は? 女の子? はてさて……お客さん以外に誰も見かけちゃおりませんがねぇ?」
「バババ、バカゆうなよっ。俺と一緒にアイスコーヒーを注文した……」
小男が持つアイスコーヒーに目を向けた煎路は、この店に入った時の事を思い返した。
煎路はアイスコーヒーを注文し、ローズマリーも同じくアイスコーヒーを自分で頼んでいた。
しかし今、オーナーらしき小男の手にコーヒーはひとつしかない……
「ああ。そういや~このイスには、前のお客さんが忘れてったビスクドールが置いてあったっけなぁ。
さっきオーダーとりに来た時にはまだあったはずなんだが……お客さん、知りませんかい?」
「ビス……ク……」
再び絶句した煎路の背筋は、氷柱で身長を計られているような感覚を覚えていた。
「前の客と言っても、ずいぶん昔の話なんですがね……
青だか紫だかクリンクリンの髪で、めんこいピンクのドレスを着た人形でさぁ。
どっかに引っかけたのか、クリンクリンの髪がチリチリになってるとこが一部あって……」
小男がイスを眺め、人形について語りながらテーブルにコーヒーを置いた時にはもう、煎路の姿はそこになかった。
「おや!? お客さん!?」
小男が振り返ると、出入口のドアが大きく開きっぱなしになっていた。
店先で寝そべっていた魔馬の姿までもが消えている。
「……やれやれ……」
小男はふぅ~っと息を吐き、出入口のドアをパタンと閉めた。
そして、店の奥にある裏口のドアに向かい、
「うまくいったようでさ。お姫三、もう出てきてもOKですよ」
何者かに、そう呼びかけた。
裏口のドアがそーっと開き、青紫の巻き毛の娘が笑いをこらえつつ、ドアの陰から出て来た。
つい先ほどまで煎路の前に座っていた、あのローズマリーだ。
「うふふ。センジさんたら見かけによらずそっち系には弱かったのね。
ただのエロ男かと思ったら、カワイイとこもあるじゃない?」
「お姫三。どこの馬の骨とも分からぬ輩の相手は、いいかげんおひかえくだせ~な」
「あら。その輩の中には『あの方』も入っているの?」
「もちろんで。まあ、その話は後にするとして……
センジってのがだまされた事に気付いて戻って来ねえうちに、ここを出なけりゃなんねえ。
あっしの直感ではあの男、並々ならぬ執念を内に秘めた、のっぴきならねえ変態ですぜっ」
「だけど、たやすく退けたじゃない?」
「二度目はさすがに自信がありませんぜ。今度はどんな策で追い払えばいいのか……」
「アナタもやるわねぇ。鏡を使って彼の顔に光を当てるなんて。
うふっ。あの男それまで、私があげたちっぽけな実なんかにずっと見入っていたのよ?」
「ちっぽけな実?」
「そうよ。いつだかバッグに入りこんでいたのをそのまま持っていたの」
ローズマリーが煎路に渡した実の正体は、知る人ぞ知る希少なカエリザ木の実だ。
各国の貴族や王族でさえ手に入れる事はままならない、とてつもなく貴重なモノなのだが、
持っていたローズマリー自身何も知らず、『ただの変な木の実』としか認識していなかった。
「さ、早く行きましょ。センジさんが戻って来たりしたら……
ホントに次こそは逃げられなくなってしまうわ」
ローズマリーと人相不明の小男は、本能で煎路を『要注意男』と判断し、
もう何百年も前から廃墟と化している喫茶店をそそくさと後にした。
テーブルに忘れられたアイスコーヒーのグラスの中で、真四角な氷たちがじわじわと丸みを帯びていく。
誰にも飲まれぬままのコーヒーを、静かに、確実に薄めていきながら……
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