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「ぼんぼりも桃の花もない上、お内裏様はおっさん魔王で雛は不在」
ドリンガデス国、サトナシの里。
第三王子を乗せた馬車が街を通ると、たちまち娘たちの黄色い声であふれ返る。
「きゃあっっ。マトハ―ヴェン王子よ~っ!」
「マトハーヴェン様だわっっ」
熱狂的な娘たちの歓声に、マトハーヴェンは馬車の窓から惜しみない笑顔でこたえる。
「こっちを見てくださったわっ!」
「温情ある、なんてステキなお顔なのっっ」
馬車は騒がしい街を抜け、のどかな田園地帯も通り抜け、
里で唯一の巨大建造物、聳立するノーシュガガ城の門をくぐった。
ノーシュガガ城は、マトハ―ヴェンが生まれ、幼少期を過ごした城である。
城までの長いアプローチから望める牧歌的な風景は、いつ通ってもマトハ―ヴェンの気持ちを和ませてくれる。
エントランスホール前のテラスに着くと、背が低くふっくらとした恵比須顔の乳母が、マトハ―ヴェンを出迎えた。
「お帰りなさいませ。王子」
「ただいま。婆や」
馬車を降り、マトハーヴェンはエントランスホールを進んで行く。
「王子。ノミモンド学院の休暇も後わずかでございます。
いつまでもサトナシ祭の準備に追われていては……」
「分かっているよ、婆や。だが、こればかりは譲れない。
民と触れ合える良い機会なんだ」
「祭り当日だけでも十分に触れ合えますものを……」
付き従う乳母の歩く速度に合わせ、マトハーヴェンは歩幅をせまくした。
「それでは意味がない。祭りを盛り上げるため、共にたずさわり汗水を流すからこそ民との絆を深められるんだ」
「汗水を流すなどと、お父上がお聞きになれば何と申されるでしょうねぇ」
乳母は鼻の下に手の甲を当て、静かに笑う。
「婆や。僕たちは祭りの度に同じ会話をしているな」
マトハ―ヴェンは、さも楽しそうに笑いながらサンルームへ出ると、ガーデンチェアに腰を下ろした。
「お疲れでございましょう、王子。すぐに珈琲をお持ちいたしますね」
「いや、今日はレモネードがいい。それもかなり」
「酸っぱい方が……でございましょう? 承知いたしました」
マトハ―ヴェンが言うまでもなく、乳母は彼の好みを熟知している。
にこやかな表情のまま物腰やわらかに、乳母は調理場へと向かった。
明るい日差しに包まれ、マトハ―ヴェンはそっと目を閉じた。
(いつかまた、このサトナシで過ごしたい。学院を卒業したら……)
マトハ―ヴェンは現在、名門ノミモンド学院に在学中で寮生活をしている。
母と暮らすクーヘンメル城から通学していたのだが、ある時期から自らの意思で寮生活に切りかえたのだ。
むろん母の事は気になったが、父とコラルンジェラが頻繁にクーヘンメル城を訪れているし、
自身も休日は城に帰れるのだから大丈夫だろうと、悩んだ末の選択だった。
寮では、当然のように豪華な貴賓室が用意され、他の寮生と同等の扱いはかなわなかったものの、
似通った境遇にある同じ世代の友人たちと就寝までの時間を家族のように分かち合い、
マトハ―ヴェンはそれなりに満足し、青春を謳歌していた。
学院が長期休暇に入ると、マトハ―ヴェンは度々サトナシの里に戻って来ている。
故郷への思い入れは相当なもので、特に今の時期は自分が王子である事を忘れるくらいに、収穫祭に熱を入れていた。
「さすがに三男とはお気楽なものよ。
のんきに日向ぼっことは、うらやましい限りぞ。マトハ―ヴェン」
突如、聞き慣れた声が耳を突き、マトハーヴェンは目を開いた。
「あ……!」
マトハ―ヴェンの視線の先には、ノーシュガガ城の家来たちを従えて立つ長兄、ギリザンジェロの姿があった。
「ギリザ兄上っ。突然どうしたのですか!?」
吃驚したマトハーヴェンは思わず立ち上がり、
「驚きましたっ。でも、よく来てくださいました!」
満面の笑みを浮かべて、兄に対する歓迎の意を素直に表現した。
しかし、ギリザンジェロは片側のみ口角をつり上げ、決して穏やかとは言えない表情だ。
「マトハ―ヴェンよ。こんなど田舎のちっぽけな城では、運動不足にならんようくれぐれも注意するんだな。
なにしろ城門から城までのアプローチといい、ろくにスキップもできぬ程の短さなのだからな。
今は良かろうが、将来、割れた腹筋がふくれ上がり肉割れに進化し、さらなる将来にはブヨブヨに垂れ下がるやもしれぬぞ」
ギリザンジェロは皮肉を連ね、マトハーヴェンの向かいにあるガーデンチェアにどっかりと座りこむと、
マトハ―ヴェンにも「座れ」と、手で合図した。
兄の刺々しい弁舌もふてぶてしい大きな態度にも慣れてはいるが……
それにしても、今日はいつもと何かが違う。
マトハ―ヴェンは、兄が自分に対し強く憤っているのだと察した。
だがしかし、全くもって身に覚えがない。
(兄上は何ゆえ、気分を害しているのか?
わざわざサトナシにまで来られるくらいだ。バースデーパーティーで僕に落ち度があったのだろうか……)
いくら考えても仕方がない。
兄に直接、確かめるしかないだろう。
ただその前に、第一王子の急な来訪により緊張して固まっている家来たちを、救ってやらねばならない。
「兄上にレモネードを持つよう、婆やに伝えてくれないか。
それから、僕は兄上と大事な話があるんだ。君たちは各自、持ち場へ戻ってくれ」
マトハ―ヴェンはそれとなく、家来たちに声をかけた。
「俺様のレモネードはラズベリーたっぷりでと、追加で伝えておけ」
「か、かしこまりましたっっ」
極度の緊張から解き放たれ、家来たちが早々引き下がると、
マトハ―ヴェンは兄の指示に従い再びガーデンチェアに腰をかけた。
真正面の兄は、肘掛に両肘を置き、
胸元で両手の指を組み合わせ足も組むという『洞察座り』で、マトハ―ヴェンを凝視している。
「天使族の『絶世の美女』を母に持つだけの事はあるな。
マトハ―ヴェンよ。温情ある、なんてステキなお顔なのだ」
「は? ……兄上?」
「俺はお前にずいぶんと目をかけてきた。
あの貪欲で面憎い愚弟とは違い、
お前はたえず俺を立て、敬意を払っていただけにな。しかし……それがまさか……」
ギリザンジェロの眼光が、マトハ―ヴェンの木賊色の目を貫いた。
「まさかお前が虎視眈々と、次期王の座をねらっていようとは……!!」
予想だにしない兄の衝撃発言に、マトハ―ヴェンは我が耳を疑った。
「ま、待ってくださいっ。兄上は何か誤解しているようですっ。僕は王の座など決して……」
「ならばコレをどう説明するのだ、マトハ―ヴェン!!」
マトハ―ヴェンの釈明をかき消すように、
ギリザンジェロは組んでいた足を広げるや、コートのふところから一冊の冊子を取り出し、ガーデンテーブルの天板に叩きつけた。
『春めき王子・マトハ―ヴェン様日和』
でかでかとタイトルが書かれたその冊子の表紙には、マトハ―ヴェンの顔写真がドアップで載せられている。
気になる冊子の中身はというと、マトハーヴェンの魅力を紹介する文が写真付きで「これでもか」と埋めつくされており、
最後のページにはファンクラブの会員を募る項目まであるではないか。
自分のファンクラブが結成されているのは知っていたが、
ここまで本格的だったとは、マトハーヴェン本人も意外だった。
(僕なんかのためにありがたい事だが、でも今は……)
今は感謝より何より、目前にある噴火寸前の活火山を鎮めなくてはならない。
兄は冊子を叩きつけた後、『洞察座り』に戻り再度自分を見すえている。
先ほどよりもドロドロとした、溶岩のごとく赤い目で……
「異母弟よ。この俺がどこで冊子を手にしたのか知りたかろう。
話せば少々長くなるが、俺の時間をムダにせんよう要点をまとめて聞かそうぞ」
「は、はあ……」
「時は、俺のバースデーナイト……キャヴァとの情事の後にさかのぼる」
「キャヴァとの……!?」
マトハ―ヴェンは、ほんの少し声を上げた。
「それでは兄上。キャヴァとは仲むつまじくやっているんですね。
兄上のバースデーナイトをキャヴァと過ごしたとは素晴らしい! それを聞いて安心しました!」
二人がうまくいっていないとの噂は、ノーシュガガ城にも届いている。
マトハ―ヴェンは心配していただけに、こんな状況でも二人の行く末を思い喜ばずにはいられなかった。
つられて、ギリザンジェロの表情もゆるんでいく。
「フフッ。まあな……と言いたいところだが、その後、俺はキャヴァに露台から外へ吹っ飛ばされ、
シェードの住処の裏口付近に落下した」
「え……?」
目を丸くするマトハ―ヴェンをよそに、ギリザンジェロは落下地点からノーシュガガ城に来るまでの経緯を語り始めた。
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