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――――――――――――――
「ハアッ、ハアッ」
レース会場に駆けこんだマキシリュは、愕然とした。
王子の魔馬ギンギンが、あのギンギン号が、苦戦を強いられているではないか……!
しかもコース外には、またしてもあの忌まわしいオレンジ色のブレンドがいる。
「よりにもよって……挑戦者はアイツだったのか! 王子はさぞかし……」
ゴール正面の特等席では、逆上したギリザンジェロが顔面紅潮となっている。
「まずい、まずいぞ……! 王子のお怒りが頂点に達している! こうなったら、やむを得ない……」
マキシリュは指先に魔力を集めると、迷いながらも挑戦魔馬の後ろ足へと、ねらいを定めた。
「どんな手を使っても、あの魔馬を勝たせる訳にはいかないんだ!」
卑劣な手段とは分かっていたが他に打開策を見出せず、
何より、競り合ったままだんだんゴールに近づいて行く二頭の魔馬のスピードを前にして、マキシリュにはあれこれと悩み考えている時間などなかった。
だがその時、レースに熱中していた観客たちが何やらガヤガヤと騒ぎ出し、彼らは魔馬から一時目を離して空を見上げていた。
「な、なんだ?」「さっきまであんなに晴れていたのに……」
晴天だった青い空が急速に色を変えて曇天となり、暗い空には赤い稲妻がひらめいている。
観客たちは、急な天気の崩れに動揺していた。
「雨が降りそうだな」「でも、赤い稲光なんて見た時ないぞ」
彼らの会話を聞き、マキシリュはハッとした。
特等席を改めて見直すと、ギリザンジェロの顔が紅潮しているのは上気して熱を帯びているせいではなく、
その赤い目が激烈な光を発し、己が顔面を照射していたからだったのだ――!
「王子が稲妻を起こされている……!
ダメだ! こうなってしまったら誰も、さすがにマトハーヴェン様でもなす術がないだろう……
やはり俺があの魔馬を止めるよりほかない!!」
マキシリュは意を決し、指先に込めた力を挑戦魔馬へと放つタイミングを見計らった。
「誰にもばれないよう、一瞬で仕留めなければ……!」
強大な魔力を持つ者だけが起こせる雷と、それに伴う悪天候――
雷鳴とどろく天を仰ぎ、煎路は、ギリザンジェロとドラジャロシーがシェードを引き連れ人間界に来た時の体験から、この後に何が起こるのかを予測してゾッとしていた。
「このパターンは……あんときゃ確か、しまいにはブルースパークも追加されたんだったよな。
つう事は、そのうち雹が落っこってくんのか!?
そうなっちまったら、最悪レースが中止にされるかもしれねえ!!」
煎路は、はっせんにラストスパートの発破をかけた。
「ここがふ踏んばりどころだ! 急げ、はっせん!! ゴールはお前のためだけにある事を忘れるな――っっ!!」
気合い満点のかけ声が功を奏し、ここへきて初めてはっせんは、頭ひとつ分ほどギンギンをリードした。
「おお!! はっせん!!」
待ちに待った光景に煎路の目が光り輝き、会場全体にも急な暗雲を物ともしない大歓声がわき起こった。
「よし行け!! わき目もふらずゴールへまっしぐらじゃ――っ!! 五百万インリョーはこの俺の……!!」
喜び勇んでジャンプが止まらない煎路だったが、
突然、不吉なエネルギーを察知してビクッと反応した。
よくよく目を凝らして見ると、見えるか見えないかの極々薄く、細い、透明の糸みたいな光線が、はっせんの足を目がけて加速している。
「王家の連中が、はっせんの勝利を阻止しようと攻撃してるに違えねー!」
はっせんと大金を守るため、煎路はすぐさま正体不明の光線をはね返すべく、手の平にパワーを集中させた。
「させるかぁぁ――っっ!!」
煎路ははっせんをねらう光線にパワーを投げつけようと、大きく手を振り上げた。
ところが、次の瞬間――
再び大歓声がわき起こり、煎路の視界に、にわかには信じがたい絶望的な光景が飛びこんできた。
なんと、ゴール間際で今度はギンギンがはっせんを追いぬき先行するや、
そのまま差し切りゴールラインを越えてしまったのだ。
「な、なんだとぉぉ――っっ!?」
煎路は思わず絶叫した。
かたやマキシリュは、思いもかけない急転直下の形勢逆転を目にするや、
指先から出していた光線を慌てて消滅させた。
「わああぁぁぁ――!!」
あまりにも劇的なフィナーレに、会場の熱気は一気に高まっていた。
激闘を繰り広げた二頭の魔馬の健闘をたたえ、観客は総立ちになり惜しみない拍手を送る。
そんな興奮冷めやらぬ会場の中でただ一人、
煎路だけはこの大どんでん返しの残酷であっけない幕切れを受け入れられず、地面に崩れ落ちググッと拳を握りしめていた。
「な、なな、なんで……」
黄金の舟から泥舟に乗せられるとは、まさにこの事か……
札束を抱えた勝利の女神に見放され、底なし沼に突き落とされた気分だ……
それなのに、黒い雲で覆われていた空は太陽を呼び戻し、不気味な赤い閃光もまばゆい陽光となり明るさを取り戻していく……
失意のどん底に叩き落とされた煎路とは逆に、マトハーヴェンとマキシリュはとりあえず愁眉を開いた。
ギンギンの勝利でギリザンジェロの面目が保たれ、
ガフェルズ王家の歴史に汚点となる記録を残す事態をもまぬがれ、加えては、サトナシの里の平和も守られたのだ。
ただ、マトハーヴェンには少しだけ気になる事があった。
「兄上。兄上には見えましたか? 対抗魔馬の足元に……」
「あの光線の事ならば、おそらくマキシリュであろう。ギンギンが愚魔馬に負けるなどと真剣に思いこみ、
あのようなこざかしい行動に出たのであろうな。フン、あせらずとも良いものを……」
「(兄上こそ相当お怒りでしたよね……)そうではなく、対抗魔馬の両足に、何かがすがり付いていたように見えたのですが……」
「特に気にもとめていなかったが、魔虫あたりではないのか? どうでも良かろう」
「魔虫……」
マトハーヴェンは、自分が目にしたモノが人の形に似ていたように思えてならなかった。
「酒をもて!! 分をわきまえぬ浅はかな挑戦者の完敗を祝い、皆で乾杯いたそうぞ!!」
上機嫌となったギリザンジェロの高らかな嘲笑が、サトナシの里にこだました。
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