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裏口からシェードの住処に侵入し、ギリザンジェロはヨタヨタと歩いていた。
「うう……だいぶ酔いが回ってきたようだな……」
グライン嶽につながる石橋を目指し、洞窟の岩壁をつたいながら、不安定な足どりで歩いて行く。
そんな情けない第一王子の後ろ姿を、象牙色の目がとらえていた。
「岩場に激落ちしながら酔いがさめんとは、兄上の異常ぶりはある意味、尊敬モノだな」
回り始めたはずの酔いが急激にさめていく程の、許しがたい声ーー
「その声は……!」
ギリザンジェロが足を止め、声がする後方に顔を向けると、石の階段にはドラジャロシーが座っていた。
「やはり貴様か、ドラジャロシー。そこで何をしている……!?
この洞窟内は俺でさえ、緊急時以外の立ち入りを認められていないのだぞ。ソレを貴様ごときがいけしゃあしゃあと……」
「『兄上でさえ』だよな。だったら兄上こそ洞窟にいる理由がないだろ。
フン。どーせ落とされた場所からグライン嶽に戻るには、洞窟をぬけて行くのが一番手っ取り早いってぇ考えなんだろ?」
「見て分からんのかっっ。今の俺は、まっすぐ歩く事すらままならない非常事態なのだ。
近道を目の前にしていながら遠回りなどしていられるか!」
「ただの酔っぱらいのクセによ。なぁ〜にが非常事態だ」
ドラジャロシーは腰を上げ、コートに付いた汚れをはたく。
「まあ、見つからなければいいだろう。さいわい、もうこの洞窟にゼスタフェは住んでいない。要注意はフライトだけだ」
「ドラジャロシー。貴様いったい何をたくらんでいるのだ?
貴様がシェードの住処にいたのには、何か理由があるんだろう」
ギリザンジェロは眉根を寄せて、ドラジャロシーを見つめた。
「俺が何かたくらんでいるとして、なぜシェードの住処なんだ。そもそも俺は……」
「待てっっ。ドラジャロシー!」
片手の手の平をドラジャロシーに向け彼の言葉をさえぎると、ギリザンジェロは目の玉を左へと動かした。
兄がその方向に誰かの気配を感じたのだと思い、ドラジャロシーもまた、同じ方へと目玉を動かす。
静まり返った洞窟の中に、かすかに聞こえてくる話し声……
「ほら、聞こえるだろう? ドラジャロシー」
「シェードたちが住んでいるんだ。話し声が聞こえても不思議ではない。
とりあえず、誰かが来る前に早いとこ洞窟から出た方がいいな……」
「バカがっっ。聞こえるのは声だけではないだろっっ。貴様の耳は節穴か!」
「ソレを言うなら目だろーがっっ。アホ兄貴が!」
声のトーンを抑えつつ言い合う二人の耳に、
チャポ~ン。ピチャッ。ピチャッ。
ーーハッキリと、水の音が聞こえた。
ギリザンジェロは、何かに導かれるように話し声と水音のする方向へ歩みを進める。
この時はもう、今にも転びそうな酔いどれの足ではなく、危ないデコボコ道をも難なくスタスタと進んでいた。
「兄上っっ」
ドラジャロシーもまた、何かに引き付けられるように兄の後を追った。
両側から岩肌が迫るゆるやかなカーブの細道を行くと、独特な匂いが二人の鼻先をよぎった。
「そうだ。この奥には……」
ギリザンジェロの足が早まり、しばらくすると、今度は急に立ち止まった。
「おお……やはり……!」
細道の圧迫感から解放され大きな空間に出るや、そこに広がる光景にギリザンジェロは目をうるませた。
「兄上、もしやここは……」
ドラジャロシーも、その奇跡なる光景に息をのんだ。
ほの暗い洞窟が青く光り、うっすらと立ち込める温泉の湯気が、二人の王子を包みこむ。
だが、二人を感動させたのはそんなつまらないモノではなかった。
温泉など珍しくはない。グライン嶽の自室にもあるものだし、青い光は父親を連想させる最悪な現象だ。
それに、立ち込める湯気などもってのほか。
彼らにとって、何より見たいモノを見えにくくしているだけなのだから。
この時、ギリザンジェロとドラジャロシーが目を奪われていた夢の光景とは――
「まさかアンタがあん時の黒影だったとはねぇ。
それにしてもシェードとは思えない、なんともお粗末な仕掛けだったよねぇ」
「うるさいったら。そのお粗末な仕掛けに引っかかったのは誰なんだよ」
「まあね……王子とギンギンが転んじゃった時はあたしもビックリしたよ。あんまりマヌケ過ぎててさ」
「あ~あ。あたしの努力のかいなく、結局ギリザ王子は今日のパーティーに間に合ったんだよねぇ」
「とーぜんでしょっ。あたしみたいな優秀なシェードが付いてんだからっ」
洞窟の温泉につかっている、美少女サファイアと、セクシー少女ルース。女子シェード二人の姿だった。
彼女たちは湯気で隠された獣たちの視線に全く気付かず、
それぞれの王子に振り回され疲れきった身体と心を癒していた。
若くハリのある肌が、湯気の合間にチラホラと見えている。
これこそが、王子兄弟を誘い、感動させるにいたった奇跡の光景だったのだ。
「そうそう、ルース。あの林でさ、ブレンドの男に会ったんだよ。センジとかゆう……」
「人間界であたしに攻撃してきたアイツ? あたしも林で、それらしい奴に会ったよ」
「ホント!?」
「顔は分かんなかったけどあの変な格好、もしやと思ってたけど……
やっぱりあたしが取って投げた男は、センジってブレンドだったんだ!」
「と、取って投げたの……?」
「だってさぁ。妙なモンかぶってて、いきなり道聞いてくるからさぁ。あんまりにも気味が悪くて……」
「……やっぱアレ、またかぶってたんだ……」
「でもなんで魔界にいたんだろ。サファ、何か話したのかい?」
「ううん。急いでたから。ただ……」
サファイアは、煎路に一瞬ときめいたあの時の自分を思い出した。
(バカバカッ。あたしが好きなのはゼスタフェさんだけなんだからっ)
「ただ、なんなのさ? あんた顔が赤いよ。のぼせてんじゃない?」
「べ、別にっっ。それよりルース。今日もゼスタフェさん、最高にカッコ良かったんだよっ」
知らず知らず意識していた煎路を頭から消去させるべく、サファイアはゼスタフェの話に切りかえた。
「サファ、あんたも気の毒だねぇ。
コラルンジェラ様にドゥレンズィに……他にもライバルが多いんだもんねぇ」
「ドゥレンズィなんかライバルにならないよっ。でもコラルンジェラ様は……
今日のパーティーでも、ずっと見てたよ。ゼスタフェさんの事……」
サファイアは、どこか複雑な心境になっていた。
これまで通り、ゼスタフェとコラルンジェラの関係にやきもきしながらも、
さっきのように、不意に煎路の顔を思い浮かべる、そんな自分が理解できなかった。
「それよりサファッ。あたしはパーティーまでに帰れなかったからお会いできなかったけど、マトハ―ヴェン王子はどうだった?」
「どうって? お変わりなかったよ?」
「ステキだよねぇ〜
マトハ―ヴェン王子がお生まれになったサトナシでもノミモンド学院でも、王子のファンクラブが出来てるらしいよっ!」
「え――っ!? マトハ―ヴェン王子のファンクラブがぁ――っ!?」
サファイアの大声が、温泉を囲む岩々に反響した。
シェード女子二人の会話の内容までは聞こえなかった獣たちだったが、さすがにサファイアが叫んだそのセリフだけは、しっかりと聞こえていた。
そしてこの、聞き捨てならないサファイアのセリフを耳にして、獣たちが黙っていられるはずもなく、思わずそろって声を張り上げた。
「マトハ―ヴェンのファンクラブだとぉ――っ!?」
今度は獣たちの怒号が、岩々に反響する。
「だ、誰か居る!!」
サファイアとルースがギョッとして温泉の入口に目をやると、
湯気と湯気の隙間から、見覚えのある赤い目と象牙色の目がハッキリと見えた。
「うっ、うそっっ!!」
動転するあまり、サファイアはあろう事かその場で勢いよく立てってしまった。
思いも寄らないサファイアの行動にルースは仰天してうろたえる。
「ちょっっ!! サファッッ!!」
湯から出たサファイアの、はずみのあるピチピチの裸体が露になっている。
まさしく、ギリザンジェロとドラジャロシーが待ちわびていた瞬間だった。
「おおおおお――っっ!!!!」
マトハ―ヴェンのファンクラブなど、この瞬間はどうでもいい。
この一時だけは、美少女の産まれたままの姿をまぶたに焼き付けていたい。
二人の王子の表情筋はだらしなく伸びきり、ついでに口から流れるヨダレも伸びきっていた。
「やだ――っっ!!!!」
サファイアは恥ずかし過ぎて半泣きになり、両腕を交差させて胸を覆った。
「な、何をするサファイア! 腕をのけよ!!」
「兄上っ。上がダメでもまだかろうじて下が――!」
赤と象牙色の目線が下がるより先に、
「バカッ! 何やってんの、サファ! さっさと湯につかりなってば!!」
ルースの助言で、サファイアは慌ててしゃがみ込み温泉に身を沈めた。
「ああっっ!!」
夢にまで見た光景をこんなにも早く失った王子たちの落胆ぶりは、かなりのものだ。
しかし、気落ちしている場合ではない現状を、彼らは数秒後に思い知らされる事となる。
「動くな……!」
ギリザンジェロとドラジャロシーの後ろから、厳しい声がした。
と同時に、並んで立つ二人の肩と肩の間に、白い光が走った。
嫌な予感に身をすくめつつ、二人は白光りのする肩に顔をかたむけ、視線を落とした。
「これは!?」
白光りの正体は、なんと剣の刃先だった。
ゆっくりと振り返りその刃を目でたどっていくと、剣の柄を握る浅黒い手にいきついた。
「フ、フライト!?」
背後から、王子と王子の間に剣の刃先をはさんでいたのは、女シェードのフライトだった。
「……王子たちでしたか。湯気のせいで視界がぼやけ、てっきり曲者かと……
失礼いたしました」
と言いながらも、フライトは剣を下ろそうともせず、それどころか柄を握る手にますます力を込めている。
「王子たちはどうやら血迷われ……
いえ、迷われたようですね。私がグライン嶽までお送りいたしましょう」
「そっ、そうだっ。愚弟は別として俺はこの大衆浴場に迷いこんだだけだ!
分かればそのような物騒な物は早くおさめよ! 無礼ではないか!」
「俺は兄上ののぞき見を阻止すべく後を追って来ただけだ! グライン嶽まで送ってもらわずとも一人で帰れるわっっ」
二人はフライトに、それぞれ必死で訴えた。
「……」
王子たちの聞き苦しい言い訳に、フライトは何も返さず、光らせていた剣を鞘におさめた。
白と黒が入り混じった色の、フライトの目。
剣はおさめたものの、その目は依然として王子兄弟に厳しい視線を投げつけている。
「……王子たちが何と申されようと、私がグライン嶽までお供いたします。
グライン嶽の……『審判雛五段』まで――」
「し、審判雛五段だと!?」
「正気か! フライト!!」
――審判雛五段――
フライトが口にした恐ろしい響きが、ギリザンジェロとドラジャロシーを縮み上がらせ、それから後はすっかり黙らせてしまった。
二人の耳には、もう何も聞こえない。聞きたくもない。
お先真っ暗だ。
つかの間の天国から、本格的な地獄。
二人の王子は、完全に奈落へと突き落とされていた……
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