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乳母特製のサンドイッチを食べ終えたギリザンジェロは、ラズベリーたっぷりのレモネードを飲み、乾いた口を湿らせた。
「うむ。これもまた美味であるぞ」
「……兄上……」
なぜこうなったのか……?
その真相なら、究明するまでもない。
ギリザンジェロとドラジャロシーがシェードの住処に無断で侵入し、そのうえ乙女の入浴シーンを盗み見したから。
それだけだ。
それが問題だったはずなのに、ギリザンジェロはマトハーヴェンのファンクラブが全ての根源だと罪を転嫁し、
ファンクラブの実態を探ろうと躍起になっている。
兄に突っ込みを入れたいのはやまやまだが、下手にこじらせこれ以上話が長引いても困る。
かと言って、このまま傾聴しているだけではいつまでたっても兄の長談義は終わらないと悟り、
マトハ―ヴェンは、自分が話の主導権を握る覚悟を決めた。
「つまり、兄上がこの冊子を手にしたのはノミモンド学院なんですね? そうに違いありませんよね?」
『春めき王子・マトハ―ヴェン様日和』は、ページ数は少ないもののオールカラーでなかなか立派な作りだ。
これだけの冊子を作るのには、結構な金がかかるだろう。
ノミモンド学院に籍を置く良家の子女ならば、あり余るこづかいでどうにでも出来るはずだ。
マトハ―ヴェンはその考えに加え、兄がノミモンド学院へ向かったと言ったのを聞き、そう結論づけた。
「……その通りだ。身分を知られぬよう調査するのは苦労したぞ。
女どもには怪しまれ、つまるところ何も教えてはもらえなかったがな」
「僕のせいで不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ないです……
けれど兄上。僕のファンクラブがあるのは事実ですが、特別という訳ではないのです。
よく考えて下さい。僕が庶民的だからこそ、そういったクラブが結成されたんですよ」
「お前が庶民的だからだと?」
マトハーヴェンは何としてでも、不満で充満している兄の脳を納得させられるよう、仕向けなければならなかった。
「そうです。彼女たちにとって、兄上たちは雲の上の存在なのでしょうが、僕は手の届きやすい存在なのでしょう。
しかし、国民が常に関心を示しているのは正統な王位継承者であるギリザ兄上とドラジャ兄上、お二人だけなんですよ」
「……お前もれっきとした第三の継承者ではないか。
ファンクラブとやらの女どもはむしろ、お前が次期王になるのを望んでいるのではないのか?」
「ハハッ。あり得ませんよ。僕は純血の魔族ではありません。半分は天使族のブレンドですからね」
マトハ―ヴェンは軽く笑い飛ばし、自分と兄たちとの地位の差をあえて兄に印象づけた。
「……なるほど……そうであったか」
レモネードの氷と同調するように、ギリザンジェロの誤解も次第にとけていく。
「そうとは知らず、俺ともあろう者が……
たかがちっぽけなファンクラブごときでムキになり、お前が玉座をねらっていると疑うなど……!」
猜疑心にとらわれ、可愛い弟を一方的に責めていた己に対する怒りなのか、
ギリザンジェロは自らの眉間にげんこつを押し当て身を震わせた。
その時、打ち震えるギリザンジェロの身体のどこかで、けたたましくベルが鳴った。
「むむっ!?」
ギリザンジェロは、自らの身体をあちこちタッチする。
そして、トラウザーズのポケットに硬い感触があるのに気付き、その硬い物を取り出した。
すると、ベルの音も一段と大きく鳴った。
「おお、手元電話であったか! 部屋に置きっぱなしだとばかり思っていたぞ!」
「今まで、足に違和感なかったんですか……?」
「なにしろ慌ただしかったからな」
ギリザンジェロは電話の画面に目をやり、表示されている名を確認してから、通話ボタンを押して応答した。
「俺様だ。何事ぞ」
『王子っ、ご無事でしたか!?
何度もお電話いたしましたが出ていただけず、先ほどまでは全くつながらずで王子の安否すら分からず、本当に気が気ではありませんでした!』
電話の相手は、マキシリュだった。
思えば、誰にも何も告げずにギンギンとここまで来ていたのだ。
“王子命”のマキシリュにしてみれば、心配で心配でたまらなかっただろう。
その必死な声から、ギリザンジェロと連絡がとれ、マキシリュの安堵がどれ程のものなのかがくみ取れる。
「フフッ。つながらなかったとは、やはり田舎は電波が悪いようだな」
『王子っ、今どちらに!?』
「サトナシよ。ノーシュガガ城でマトハ―ヴェンと語らっておる。うまい“ラズネード”を飲みながらな」
『やはりマトハ―ヴェン王子とご一緒でしたかっ。
実は私もノーシュガガ城に向かっております!
すでにサトナシの里に入っておりますので、どうか今しばらくお待ちください!』
「フン……勝手にするがよい」
素っ気なく電話を切ったギリザンジェロだが、
いつもどんな時も「何はさておき王子が第一」というマキシリュの心がけには、内心ご満悦だった。
「そういえば、ドラジャ兄上はどこでどうしているのでしょうか」
マトハ―ヴェンが、何げなくつぶやいた。
「兄上。ドラジャ兄上に電話をかけてみてはどうでしょう」
「冗談はその冊子だけにしておけ。
奴にかける電話があるなら、とっくにこの手で破壊しておるわ」
「そう言わずに兄上、ドラジャ兄上もここに呼びましょう。僕が電話をかけてみますよっ」
コートのふところから手元電話を取り出したマトハ―ヴェンの動作を見るや、ギリザンジェロの目が鋭く光った。
「余計なマネをするな!」
ギリザンジェロはマトハ―ヴェンの指先めがけて魔力を放ち、
マトハ―ヴェンの手から手元電話をはじき飛ばした。
飛ばされた電話は床に落ち、スルスルと滑っていく。
「本当に破壊されなかっただけ幸運だったと思え、マトハ―ヴェン!」
そんな兄の言動に、マトハ―ヴェンは胸を痛めた。
いずれは国の、強いて言えば魔界の頂点に立つ兄たちだ。
他国との友好関係を築き、誰もが平和に暮らせる世の中に出来るよう互いに助け合ってほしい。
そのためなら、自分も陰ながら可能な限りの力を尽くそう。
マトハ―ヴェンは日頃から、そんな理想の未来を描いていた。
それに、マトハ―ヴェンは危惧していたのだ。
二人の兄が王位を巡り争い続ければ、過去に父が起こした『ゴービーッシュ城の悲劇』が再来するのではないかと……
兄たちにだけは、父と同じあやまちを繰り返してほしくないと、心底から願っていた。
だからこそ、どうしても言わずにはいられなかった。
「ギリザ兄上……なぜ、ドラジャ兄上に対しては穏やかになれないのですか?
僕は、お二人にはもっと仲良くしてもらいたいのです」
「マトハ―ヴェン。お前は人が好すぎるぞ。
ドラジャロシーはたかがちっぽけなファンクラブごときでムキになり、お前が玉座をねらっているのではないかと疑っていたのだぞ!
可愛い弟であるお前にあらぬ疑いを抱く罪深いドラジャロシーを、簡単に許すつもりなのか!?」
「え……? (それは、貴方では……?)」
マトハーヴェンの目が、点になる。
「だが安心いたせ、マトハ―ヴェン。
この俺だけは、いかなる時もお前を信じている。
ドラジャロシーなんぞとは違い、庶民的なファンクラブなどにまどわされたりはせぬぞっ」
「……」
もうどこにも、マトハ―ヴェンに不信感を募らせノーシュガガ城まで押しかけて来たギリザンジェロは存在しない。
かわりに、実際どう思っているのか定かではないドラジャロシーに罪を着せ、
その罪を憎み憤慨するギリザンジェロが居た。
(こうなってはもうダメだ。聞き流すよりほかない……)
マトハーヴェンはやおら立ち上がり、床に落とされた手元電話を拾い上げた。
電話の画面を見ると、何件かの不在着信が表示されている。
音が鳴らないよう設定していたため、今初めて気が付いた。
それらはノミモンド学院の友人、特に女友達からのメールがほとんどだった。
次々メールを開いていくと、一通だけ送信者不明のメールが出てきた。
「ん? これは誰からだろう?」
マトハ―ヴェンは、謎のメールの文に目を見はった。
その内容は、
『このメールを三日以内に、千名以上に送信しなければ貴様に不運が訪れるであろう。
ただし、誰でも良い訳ではないと知れ。
貴様のファンクラブの会員に限るものと心得よ』
という、不幸のメール的なものだったのだ。
読み終えたマトハ―ヴェンは、困惑した顔つきで小さく息を吐く。
送信者が何者であるか、上から目線のその文面ですぐに分かったからだ。
思い当たるのは二人だけ。
だが、その内の一人は目の前にいる。
(……どうやら、ファンクラブの件はドラジャ兄上も気を悪くしているようだな……)
メールを送ってきたのは次兄、ドラジャロシーに間違いないだろう。
どうしたものかと新たに悩みが増えたマトハ―ヴェンだったが、
(それにしても、二人の兄上は物言いも気質も、徹底して似ているなぁ~)
しみじみと思い、感心している内に、ポロポロと目から鱗が落ちたような気になった。
(そうか……お二人は今のままでいいのかもしれない……!)
王家の将来に危機感を持ち続けていた自分は、とんだ思い違いをしていたのではないか?
もしかしたら兄たちは、互いに刺激し合いぶつかる事で士気を高めているのかもしれない。
いざ同じ目的を果たすためならば、その時こそは力を合わせてくれるのかもしれない。
こんなにも半端なく似た者同士なのだから、本来は誰より理解し合えるはずなのだ。
例えばそう、父の悪口で盛り上がっている時など、他の誰も入りこめないほど恐ろしく意気投合し、
瞳を爛々と輝かせているではないか――
(周りの者たちにとっては、はた迷惑な時もあるにはあるが……)
マトハ―ヴェンは苦笑した。
苦笑しつつも、一瞬にしてスッキリした気分になっていた。
そして、ギリザンジェロに見られぬよう、送信者不明の謎のメールにこっそりと返信した。
たった一言、『心得ました』と入力して――
とにもかくにも、マトハ―ヴェンを窮地に追い込もうとしていたファンクラブ作成の冊子の一件は、
これにて落着? となった。
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