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瑞々しい野菜や果物が並ぶ青果店。
その青果店から出て来た豆実は、帰り道とは逆の方向に足を早めていた。
他の店に寄る訳でもなく、街を散策する訳でもない。
「煎ちゃん、どこ行っちゃったのかしら……」
カフェテラスに煎路を置きざりにして三日がたち、豆実はどうにも気になっていた。
この辺りに煎路がいるはずもないだろうが、せめて何らかの情報が得られればと考えたのだ。
「まさか煎ちゃん、本当に一人で人間界に帰ったんじゃ……」
「ソイツはないな。断言してもいい」
「……!?」
後方から声がしたので振り返ると、一頭の魔馬がいた。
魔馬の馬上からは、焙義とロンヤが自分を見下ろしている。
「お兄ちゃんっっ。ロン君も、どうしたの!?」
豆実は魔馬に歩み寄り、二人を見上げた。
「旅案内のバイトが決まってな。これからさっそく仕事だ」
「旅案内? それじゃあ、しばらく帰って来ないの? どれくらい?」
「さあな。どうなるかは行ってみねーと分からねえ」
「あの、豆実ちゃんは……? ひょっとして、煎路さんを……?」
焙義の背後から、ロンヤはそれとなくきいた。
「ええ。なんだか気がかりで仕方なくって……」
「俺が気がかりなのは、アイツが魔界で何かやらかしたりしねえかって事だ」
焙義はあくまで煎路が魔界にとどまっていると決めつけているが、豆実の気持ちは半々だった。
「煎ちゃんはああ見えて極まれに義理がたい一面もあるから、
モンジさんやモモ君に申し訳なくなって人間界に戻った可能性もあるわ。お兄ちゃんにも言われたし。
でももし、まだ魔界に居るんだとしたら……」
豆実は自然と、自分の腕にかけている手提げ籠に目をやった。
籠の中には、煎路が大好きなポトフの材料が入っている。
もしかしたら今夜あたり、煎路がひょっこり帰って来るのではないかと期待して買っておいたのだ。
煎路の居所が魔界であれ人間界であれ、いずれにせよ、ちゃんとした食事が出来ているのだろうか……
豆実はまるで、我が子の身を案じる母親のように気をもんでいた。
「煎路は人間界には戻ってない。僕が証人だ!!」
三人の耳に突然、なじみのある声が聞こえてきた。
耳に快く、通りのいい若い男の声だ。
その声がした方に三人がいっせいに顔を向けると、そこにはなんと、
人間界にいるはずのモモタローが魔馬にまたがり、満面の笑みで「よっ!!」と、片手を上げていた。
「モモッ! お前どうしたんだ!?」
さすがの焙義も驚き、声を上げる。
そして、魔馬の手綱を操りモモタローと向き合った。
「モモ君! いつ魔界に来たのっ?」
豆実は驚くより先に喜び、音をならして両手を合わせた。
「モモさん……その魔馬は……?」
ロンヤはモモタローよりも、モモタローがまたがっている魔馬に関心を示し、まじまじと見た。
「魔界には昨日来たんだ。
君たちがどうしてるかと気になってさ。
ビルじーさんちにひと晩泊めてもらって、今朝早くパンブレッドに着いたってワケさ。
魔馬はじーさんの知り合いに借りた……と言うよりは、もらったみたいなもんかな」
モモタローは魔馬の体をさすりながら、つい今しがたアップルダ、サッガル母娘との再会を果たし、焙義たちが街へ出向いた事を聞いて追いかけて来たのだと語った。
焙義たちもまた、魔界に来てヒロキと再会した経緯や、煎路が消息を絶ったままである事など、簡潔に説明した。
時間がないのでこの時は、ロンヤにしゃべる間は一秒も与えられなかった。
「相変わらず好き放題やってんだな。煎路らしいよ」
「らし過ぎるだろ。おかげでこっちは……」
煎路の愚痴を言い出したら切りがない。
焙義は言いかけた話を途中で止め、手綱を握り直した。
「こうしてはいられないな。そろそろ行かねえと」
「お兄ちゃん。旅先でも煎ちゃんを忘れず気にかけておいてね」
「ああ。もちろんだ」
豆実に言われるまでもない。
焙義がこのバイトを選んだ一番の理由は、
煎路の行方をつかみ、弟がもくろんでいる王家の“カヒ探し”を見張るためだった。
現、王のシェード『ゼスタフェ=ゴールレンド』という男も、先代王のカヒを探している……
そしてその男の名は、焙義の脳裏にまとわりつきいまだ離れずにいるのだ。
「焙義クン。旅に出るなら僕も付いてっていいかな。
魔界まで来て、じっとなんかしていられないからさ」
生まれ育った魔界の空気を吸ってか、モモタローは子供みたいに目を輝かせる。
「ビルじーさんに通行証も用意してもらったから問題ないし。
な、かまわないだろ?」
「ああ、もちろんだ。頭数がそろってちょーどいいぜ」
「頭数? なんかよく分かんないけど、楽しみだなっ」
「そうと決まれば、出発するぞ」
「みんな、気を付けて行ってね。煎ちゃんの事くれぐれもお願いねっ」
「しつこいぞ、豆実」
「だって……」
「煎路より、煎路と関わる連中の方が心配だ!」
焙義とモモタローは異口同音に笑い飛ばし、同時に魔馬を走らせた。
いきなりだったので、ロンヤは振り落とされないよう慌てて焙義の腹に手を回す。
「豆実っ。お前も気を付けて帰れよ!」
「じゃあな、豆実ちゃん!」
「あわわ……行って……来ま……す!!」
去って行く二頭の魔馬と三人の背中は、豆実が見送る間もなく一瞬にして見えなくなっていた。
「もうっ。みんな薄情なんだから……」
そうつぶやきつつも、豆実は彼らの言葉に安心させられた。
そう、煎路なら、何があっても大丈夫。
この世に女の子が一人でも存在する限り、煎路の種はドロドロに汚れたとしても色を失うまでにはならないだろう。
燦然と昇る太陽のごとく、生命力みなぎる煎路のあの、オレンジ色の種だけは――
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