1.はじめての労働

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母は、未婚で倫音を産んだ。 ホステスをして生計を立てていた倫音の母は、常連客と恋に落ち、「結婚しよう」という言葉を信じて身籠った。 ところが、相手の男には既に妻子がいた。 平たく言えば、母は騙されたのだ。 「よくあるマヌケな話……」 しかし、母から父の、自分を騙した男の愚痴を聞かされたことは一度たりともなかった。 「これしか出来ないから」と、今も派手な身なりでスナック勤めをしながら、倫音のために作る3度の食事には決して手を抜かない母。 「片手で足りないくらいの彼氏がいるから」と豪語しながら、ホステス時代に蓄えたお金を倫音の学費や足りない生活費に回し、みすぼらしいアパートで質素に暮らす母。 大胆なのか、堅実なのか。 (したた)かなのか、純粋なのか。 17年間一緒に暮らした倫音でさえ、母の真実の内面までは分からない。 「いっそ、清々しいほどネグレクトな毒親だったら、潔く捨てて出て行けるのに…」 食卓には、まだ温かい夕食が置かれている。 倫音は一人静かに手を合わせると、好物である母の手製である唐揚げを口にした。
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