1/2
43人が本棚に入れています
本棚に追加
/34ページ

並んで流れるのは泥の川、 真夏は酸えた臭いが上がった。 そんな昔も人も絶えたアパートの 階段を上がって突き当たり、 消したくても消せなかった 辛い記憶の部屋がある。 鍵どころか、ドアも半開きで 辛うじて付いているだけ。 ・・・ゆっくり、踏み込んだ。 安物の小さな丸いテーブル・・・  「お帰りなさい」 笑顔が振り返りそうだった。 鍋とヤカン、揃いのカップも あの暮らしの配置のまま・・・。 驚きというか・・・・ 諦めというか・・・・ なんだか、不思議な笑みが溢れた。 必ず僕が、ここへ戻ると 確信していたように、彼女の選んだ 家財道具が待っていたから。 西日に燃える黄色のカーテンは 何故だろう・・・・ いっそう焔をあげて鮮やかなまま。 一歩・・・二歩と部屋の奥へ。 床を踏むたび凹む足許、 そうだ・・・あの暮らしの後半は この床の凹みが、底無し沼のようで 怖くて怖くて仕方なかった・・・。 ガタガタいわせて窓を開けると 川向かいの屋敷森が目の前に。 「相変わらずカラスの住処か・・・」 湿った濃い緑に闇色の烏。 深夜になると月明かりで 不気味な景色に・・・。 窓と反対の台所へ向かい、 小さなドアを開けると、 薄汚いトイレ・・・、 ゆっくり頭を上げると ここに不似合いな、明るい色の ハートのイラスト、 天井一杯に大きなハート、 その中には無数の小さなハート。 見覚えある、書き覚えある絵。 (綺麗に・・・残ってたもんだ) 苦笑・・・・涙・・・・。 再び、部屋の中央に戻り、 グルリと見渡した。 若い僕は・・・ この不思議な空間で 夜毎女に狂ってた・・・。 女に溺れて過ごしてた・・・。 より深く彼女の “闇” へ 分け入れば入るほど 不幸の迷路に迷うとも知らずに 僕は彼女に・・・ いや、若い性に ただ溺れていた・・・。 埃も払わないまま 床に座ったのは、三十数年ぶり。 「ここが廃墟で残っていたとは・・・」 あの当時でも築年数不詳の、 近所の人が 不気味と噂してた ”オバケアパート“・・・。 いい加減な人々が いい加減に暮らす1K二階建て。 お印ばかりの流し台、 隣の排水音に目が覚める安普請。 そのくせ・・・ 天井にだけは立派な梁、 これ一本で危うい暮らしの 部屋を支えてた・・・。 何処からか流れるシャンソン、 古いレコードなのか、 ブチブチと途切れる音。 当時はアパートの住人の流す音かと 思っていたけれど・・・ こうして廃屋でも聴こえるあたり・・・ 近所の家でも掛けているのか・・・ 「始まりの音楽で終わるのか」 自嘲したって、もう遅い。 鞄から細いロープを取り出して 首の入る輪を描く・・・。 音楽に身を任せて 瞼を閉じれば 映画の場面のように・・・・ 彼女の笑顔が走馬灯・・・。            
/34ページ

最初のコメントを投稿しよう!