「自分史」から考える鹿児島の未来

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市入来町浦之名 から始まります。 (辺鄙な山奥に海辺の言葉である『浦』という漢字が用いられていかのは何故だ? という疑問を県立図書館で調査相談をしたところ、ちょうど通りすがりの親切な方が それは漢字通りの意味はありません、ただ『奥』という意味で「うら」に漢字が入来院氏によってあてられただけという大変貴重なご助言を頂きました、郷土史家の故平田某様から直接お聞きしたとのことでしたが、メモを忘れました 私の推測では地名に『裏』は縁起が悪いので『浦』という漢字があてられたか?) 20前後の人間に大した経歴はありませんから、多くは家族・親戚・友人・知人からの口伝による情報によります。 私は加治木町に生まれ、祖父・父が警察官だったので県内各地を回ります。1978~1981鹿児島市坂之上→1982~1985旧曽於郡財部町 ここで私は最初の組織 である幼稚園に出会います。 以降小学校~中学校~高校~大学~社会人 など学校・部活・会社・地域・集落・倶楽部あらゆる組織に加入します。 その組織の中における自分自身の立場・役割・実績・経歴などを先生・顧問・先輩・学友・後輩・上司・同僚・部下・家族・親戚の方々からの口伝 そして自らの履歴書・職務経歴書等の史料によって『自分史』を書き上げるのです。   リーダー役 補佐役 実務者  組織の中の自分はどういった存在なのか その証言を纏めるのです。   そして このグループの主旨に添わせるとしたら   鹿児島県の中の自分 或いは加治木町の中の自分 地域の中の自分 倶楽部・サークル組織の中の自分 という小さな小さな自分の歴史を辿って 今まで自分はこの鹿児島にどんな社会的・文化的貢献をしてきて それまで有してきた学識・経験などを用い、今後自分は鹿児島の発展、或いは凋落にどう貢献・対処するのか? 廃れゆく天文館 他方中国・韓国その他の国々の方々が訪れるようになった国際化の著しい鹿児島市 人口減少 高齢化 過疎化 母校の閉校 などの様々な問題に どのような対策をもって街を県をまもって行くのか それがあなた方ご自身が鹿児島にあらためて向き合ったこれからの鹿児島の未来へとつながって行くのではないでしょうか? 乱文 失礼致しました。
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