前半

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 では、名作に触れてみるのはどうでしょうか? あなたの価値観が変わるかもしれません。  かくして俺は、美術館に通い、美術書を読み漁った。  だが――マティスだ、ピカソだ、ドラクロワだ。ビザンティンだ、ベル・エポックだ、バロックだ、とかなりの時間を費やしたが、何も変わらない。  思い余って、旅行に行った。  国内の名所を巡り、海外の名所を巡る。  なのに、一ミリも心が動かない。  成果といえば、美術教室のリンゴの産地が判るようになったくらいである。  そこで俺は、ある小説を思い出した。  芥川龍之介の『地獄変』。  本棚から引っ張り出して、目を通す。  地獄変は、宮仕えする絵描きが、自分の娘が焼かれる様を見ることによって作品を完成させ、自殺する話だ。  彼は、本物を描くためには、本物を見なくては描けんと恐ろしい事を言ったがために、その結末に陥っていく。  人によって、様々な解釈がなされる作品だが、俺の考えはこうだ。  娘が焼かれた時、あの絵描きは『本当に心揺さぶられる物に今まで出会ったことが無かった』と悟ったのではないだろうか?   そして、『本当に心の奥底まで揺さぶられる物に出会ってしまった』からには、もう、『その先には何も無い』と悟ってしまったのではないか。  だから首を吊ったのではないか。     
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