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「やっぱり、お前を九州に行かせて正解だったな。まさか、先輩のご実家の酒蔵に付喪神が宿っているとはな」 「……」  焼き椎茸を頬張りながら、台所で三本目の燗をつける(この酒を飲むまでは、今日の熱燗は二本までと決めていたが、美味い酒の前では、そんな決意なぞ意味をなさなかった)矢潮の背に向かって話し掛ける。  奴は徳利に酒を注ぐので精一杯らしく、返事をする様子がない。  こちらがしつこく声を掛けたせいで、奴が気を散らして酒を溢しちゃ困る。一先ず口を閉じ、例の酒蔵に思いを馳せた。  付喪神というのは、古い物に宿る精霊や神の名称だ。  もっとも、矢潮曰く、付喪とは言うものの、八百万(これは、とにかくいっぱいって意味だ)いるとされるそれらの凡そは、神見習いの"遣い"と呼ばれるものばかりで、神とされるほどに格が高いものは、一握りのみだとか。  ――かの酒蔵そのものに宿る付喪神もまた、遣いの域から逸してはいない。だが、あの者はなかなかに優秀だ。  今から数分前、二本目の熱燗が入っていた徳利がとうに空だと気付いた矢潮は、眉を顰めつつも、酒蔵の付喪神を奴にしてはかなり高く評価した。  なんでも、矢潮が視た酒蔵の付喪神は、美味い酒を造ろうと日々研鑽を積んできた杜氏と蔵人の姿勢に感化されたようで、酒精や麹菌達に自らの力を分け与えることで、酒の醸造を助けていたのだそうな。 (勤勉な杜氏の手と、献身的な付喪神の懐で大切に育まれた酒だ。そりゃあ、美味いに決まってる)  但し、この付喪神には難儀な点もあった。  ――実に"呑み助"でな。それも、"舌が肥えた大酒呑み(グルメなウワバミ)"で、美味い酒はつい多く味見してしまう、と宣っていたぞ。  つまり、要約すると、醸造中の酒がなくなるというS先輩の悩みの種は、酒蔵そのものにあったのだ。  だが、酒蔵の悪い癖については、杜氏である先輩のお祖父様も、経営者の親父さんも、蔵人達もお見通しだった。  酒造に携わる者は、自ずと信心深くなる。  米と水が酒へと転じる様は、神の御技を目の当たりにしているようだし、丹精込めて酒の世話をしている最中は、しばしば誰かに見守られているような心地になるのだ、といつだったかS先輩が語っていた。  見守るもの。蔵人らはそれを神と呼ぶのかもしれないが、その気配を長年に渡り感じてきた彼らは、醸造中の酒が減ったとしても、決して狼狽えはしない。  ――酒が減るのは、神様が召し上がっておいでなのだろう。    神様が呑まずにはいられないのなら、その酒は上出来ということだ。  そう思うからこそ、先輩の親父さんとお祖父様は、酒が減って不満げな跡継ぎに、放っておけ、と諭したのである。  だが、彼らとて気付くまい。  S先輩が蔵人として働き始めたその時に、大きな変化が酒蔵で起きたことを。  ご機嫌に猪口を仰いだオレは、器に残った甘露の匂いを嗅ぎ、うっとりと呟く。 「保食神(うけもちのかみ)に属するもの。そんな大層なお方が、今回の件に一枚噛んでいたなんて、誰も予想できねえさ」  今回の矢潮の調査で、S先輩について驚くべきことが発覚した。  この世の理のひとつとして、現世に生を受けた者には、一名につき一柱、その生き様を見守る担当の神――俗に言う、守護神が就く。  矢潮の見立てによると、S先輩の守護神は、日本の神話に興味のある人間ならば、一度は耳にするであろう五穀豊穣の神に関わりのあるものだったのだ。 (酒蔵の跡継ぎと五穀豊穣の神とはまた、よくできた組み合わせじゃないか。だが、なんとも愉快なのは、その神様が酒蔵の酒を大いにかっ喰らっていたことなんだけどな)  つまり、S先輩が入社した年から醸造中の酒が激減した理由は、酒蔵の付喪神のせいだけではなく、かの守護神にもあった。  S先輩が酒造を手掛けている間、彼が無自覚に引き連れていたかの神が、こっそりと(だが、結構大胆な量の)をしていたのだ。 「酒蔵の付喪神と、S先輩の守護神。呑み助がこれだけいるんだ。樽の三分の一なんて、そりゃあすぐ減るわな」 「しかし、神に味見をされるのは、決して悪いことではない。先も言ったが、神が口にしたこの酒は、撤饌(てっせん)――神への供物のおさがりと捉えるに充分だ。神の恩恵を授かり、その力を宿したものは、自ずと格が上がる。食と切っても切れない関係にある豊穣神に属するものの恩恵なら、酒の味の違いは顕著に現れるだろう。……違うか?」  トン、と三本目の燗ピンをオレの前に置いた矢潮が、無愛想に告げる。  矢潮の言うように、オレがかつて成人祝に貰った酒と、今飲んでいる先輩の造った酒の味の差は歴然としていた。 「確かにな。そうそう、今日、先輩に酒のお礼をしようと電話をした時に聞いたよ。今度、この酒を"神様のおさがり"って銘柄で、数量限定品として売り出すんだと」 「ほう、只では転ばないか」  先輩は、二柱の神が良いだけ味見をして、酒が目一杯減ったという曰く付きのピンチを逆手に取り、それを寧ろ品物の最大の価値としたのだ。  曰くと銘柄で消費者の興味を惹き付け、数量限定にすることで希少品という印象を抱かせ、この素晴らしい味と香りで魅せて、リピーターをつけようという魂胆らしい。  なんとまあ、商魂逞しいことか。
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