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「…………」
蝋燭の一つも無い、暗闇の支配する長い廊下に、コツ、コツという靴音だけが響き渡る。
前を行く使用人の女性を見失わぬよう、そして、不意に飛び出してくるやも知れぬ敵の攻撃を捌き切れるよう、神経を張り詰めていたアイリスは、ふと、眼前の女性に妙な違和感を覚え、その背中を注視する。
見た目は、ただの人間の女性である。しかし、見た目通りの『ただの人間』ということはないだろう。
アイリスの思考を、正しく読み取ってみせたこと、そして何より、このような闇に閉ざされた王国の城郭に住んでいること自体が、それを切に物語っている。
では、一体全体何者であるというのか。
「……そういえば、申し遅れましたね。私はアイリス。貴女の、お名前は?」
「私にも、そして我が主にも、名前というものは御座いません」
「……! 名前が、無い……」
流石に驚愕を隠し切れず、アイリスは歩調を乱す。そんな彼女に、使用人の女は唐突に足を止めると、くるりと振り返ってその無表情なる顔を真っ直ぐにアイリスへと向けた。
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