ハンニン探し

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 しかたなくぼくはベットに入って、しばらくねえさんのこと、あの人のこと、それからこの国のことを考えた。 みんなハンニン探しにやっきになっている。 バカらしいなあと思う。 ハンニンなんてもうこの国にはいない。  しいて言うなら、子どもたちをおとなしいままに、自分たちの思いどおりに(あつか)いたいこの国にとっては、この国以外のすべての人間がネズミ捕り(ハンニン)なのだろう。 子どもたちの自由なんて、この国のオトナたちは、ほんとはどうでもいいんだ。 だけど、ネズミ捕り(ハンニン)非難(ひなん)したほうが、ほめられると思っている。 いいねってたくさんほめられると思っているから、みんなネズミ捕り(ハンニン)探しにやっきになっているんだ。 そのネズミ捕り(ハンニン)が求めたのが、ほんとは子どもたちから有害なネズミを遠ざけることだったなんてのも、気づかないで。 そしてたいてい、そういう声の大きなオトナたち自身が、ぼくたち子どもを、ペストまみれのネズミの()においやってしまっている、そんな事実(じじつ)にさえ気づきもしないで。 ああ、もう、偽名(ぎめい)なんかじゃないのに。 何度も何度も、さけんでいた名前。 会いたいよ、フランねえさん。
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