第3話 side reika

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店に入ると一人の男性と目が合う。私にゆっくりと近づいてきた。ここの……オーナーかしら? 「お一人ですか? 」 ……低く、優しい声。頷くと、カウンターへと案内してくれた。 「あまり、強くない物を」 そう言うと、甘過ぎないカクテルを目の前に置いてくれた。お酒はるなちゃんに禁止されている。そんなに弱いつもりもないのだけれど。おかげで、取引先とはお酒の席での付き合いがなくなった。まぁ1杯くらいなら。 一度やってみたかった。一人で飲む。大人の女性のイメージだ。変わらなきゃ。もう28歳になる。 今までの人生がどうであれ、変わる努力をしなければ、年を重ねただけになってしまう。私の思い付く限りの……その一歩のつもりだった。 目が合うとにっこりと微笑まれた。カウンターの中から、低い優しい声が響く。 「初めてのご来店ですよね。ここのオーナーの辻野です」 そう言った彼は、私よりも年上だろうか。一人の私を放っておくわけでも、ずーっと話しかけてくるわけでもなく、適度な距離を保ってくれた。 店の温度も、煩すぎない音楽も……心地よかった。それから、たまに合う……彼の視線も。 ──── その日から、ほんの1杯飲むために、このバーへ足を運ぶようになった。 ……癒し。この感情に名前をつけるとすると……“癒し”なのだと思う。 彼の雰囲気なのか、店の雰囲気なのか、何も話さなくても居心地がいい。彼が、他のお客さんと談笑しているのをじっと見ていた。 ……素敵なお店。今度、誰か誘って来ようかな。そう思っていた。 「……そろそろ、お名前聞いてもいいですか? 名字か、下の名前、どちらかでも」 何度目かに訪れた日、辻野さんがそう尋ねてきた。 「……麗佳。麗佳です」 「びっくりするほど……ぴったりなお名前ですね」 彼はそう言って笑った。 「麗佳さん」 彼がそう呼ぶと……ほんの少し、胸をくすぐられた気がした。
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