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今月は忙しい。それは、大抵の会社はそうだろう。そして、ここも例外ではない。むしろ、物凄い忙しいだろう。こっちの会社は。というか、この人は。
この日は、ここ、清水部長のところへは俺が来た。
この人が相手じゃなければ……こんなに悩む事はなかったかもしれない。いい男だ。この人と付き合えれば彼女も幸せだと思う。
無駄な会話もなく、前回同様、淡々と仕事をこなした。この人と気まずくなるのは、俺の本望ではない。この人は、そんな私情を挟まないだろうけど。
仕事が終わり
「では、失礼します」
そう言って、そのまま帰ろうとする俺を彼が止めた。
「あー、今日は俺も終わりなんだ。待ってて」
何かを含ませるようなニュアンス。この忙しい時期に……この時間で終わり?考え付くのは、彼女と会うのだろうこと。
……嫌な……もんだな。彼と共に商談ルームを経て、下に下りる。
「君、今日は? 」
「これから、友人とそこで会うだけです」
恐らく、この会社前くらいで湊が待ってる。
「ここ、友人の会社から近いんで。清水部長は? 」
敢えて、聞いた。多少の苛立ちはあったかもしれない。だけど、俺を気にするなと言う意味合いでも。
「あー……実は、今日もそこのホテル取ってるんだよね。……この前よりランク上げた部屋」
……なぜ、俺にそんな事を敢えて言ってくるのか。気にするなとは、思ったが、ここまでは聞きたくない。勝手にすればいい。
この前の、ホテルから出てくる二人の姿を思い出す。こみ上げるのは、怒りなのか、嫉妬か……それとも……
「なんなら、君が代わりに行く? 」
その言葉に、ただでさえ穏やかではなかった胸の内で、何かが破裂した。代わりというのは……いつもの、バンコランなジョークのつもりなのだろう。
だけど……ジョークも流せないほどに、押さえきれなかった。
彼の胸に手を当てて、エレベーターホールの大きな観葉植物の陰に追いやった。最後の 冷静さが、せめて人気のないところへと動かした。
そんな俺に、清水部長はもう少し、奥へと入った。余裕、自信……。俺のこんな行動にも、動揺することなく。
「何? 」
「恥を承知でお願いします」
彼の胸から俺の手に、俺の鼓動と反した、冷静な鼓動が伝わる。
「引いて貰えませんか? 」
清水部長の目が、穏やかに細められた。
「君、無理なんじゃなかった? 」
「構いません」
彼の目を見据えて言った。
「そんな事、どうでもいい」
誠意を込めて、言った。それが、どういう事かわかっている。
「譲って下さい。絶対に、幸せにします」
しばらく、お互い鋭い視線を交わす。ふっと清水部長が脱力した。
「……分かったよ」
両手を上げて、降伏のジェスチャー。彼の言葉に、やっと動く事が出来た。同時に、安堵のため息が漏れる。
「条件がある」
「……何でも……」
何でも聞くつもりだった。……なのに
「君も、幸せになることだ」
彼はそう言った。ああ、こういう人だ、この人は。彼に笑顔を返した。
「感謝します、清水部長」
ふと……
「……清水部長にも誰か……」
って、今言うのは可笑しいな。
「結構だ」
そう言って、彼も笑った。
「まあ、男に壁ドンってのも悪くないな」
「そんな、若い言葉、ご存知なんですね」
……壁ドンとか。案外経験者か?威圧感半端ないな。それに……誰でも落ちる。この人にされたら。
彼と同時にビルを出ると
「吉良くん! 」
声、デカ。ちょっと、忘れてた、湊だ。
湊は、俺が一人じゃなかった事に気づくと恥ずかしそうに一礼した。
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