居酒屋

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「ケンイチローは元気にしているかい?」 鈴木は仕事の帰りに大学時代から付き合いのある村井と居酒屋に来ていた。 「ああ」 浮かない返事を返す鈴木の顔を村井が気になる様子で覗き込む。 若者が多く賑やかな店内とは対象的な鈴木の表情であった。 「どうしたんだい?」 「お世話になっている取引先の社長さんがいるんだけどさ」 「ん?ケンイチローと社長さんが何か関係があるのかい?」 村井は鈴木の意味が全く理解できないでいる。 村井の家で飼っていた犬の赤ちゃんを鈴木に引き取ってもらい、ケンイチローという名前を夫婦で付けて可愛がってくれていることまではよく知っている。 ただ、その犬の話に取引先の社長との共通点が見当たらない。 「絵本会社の社長さんにいつかは本当のことを伝えないといけないとはわかっているんだけど」 鈴木は村井にすべてを話した。 山内の会社に初めて営業で飛び込んだ時のことに(さかのぼ)る。 山内の創る絵本のファンだった鈴木はなんとか取引をしたいと思っていた。 幸い受付のスタッフはすんなりと山内のいる社長室へと鈴木を招き入れてくれた。 必死に鈴木の描いた絵を売り込むと同時に、自分自身を売り込もうとした。 その中でつい鈴木は「子どもがいる」という設定を自分に課してしまったのだった。 子どものための絵本に携わろうとする者で実生活では子どもがいないとなるとどこか信頼性や説得力がないと考えたからである。 それ以来、山内と話す時はもちろん、仕事上では鈴木は子どもがいるという設定を貫いていた。
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