彼は誰時

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「平太、知ってるかい?八尋坊ちゃんが帰ってくるそうだよ」 「え?」  庭の掃き掃除をしていた平太に、女中が興奮した様子で話しかけてきた。平太にも寝耳に水だったので、思わず聞き返してしまった。 「あんたも聞いてないんだね。どうやら大学卒業前に一度帰ってくることになったらしいよ。正月にも帰省してこないぐらいだったのにどんな風の吹き回しなのかね」  すると女中が辺りをキョロキョロと見回し始め、ちょいちょいと平太を手で呼んだ。呼ばれるがまま女中の傍に行くと、女中は平太の耳元で囁いた。 「どうも結婚のためじゃないかって言われてるね。この間、隣町の小間物屋の旦那様が家にきてたでしょ?確かあそこにちょうどいい年頃の娘さんがいたはずなんだよ」 「でも卒業までは半年あるんですよ?婚儀にはまだ早いのでは……」  上京して帝国大学に通っている八尋は、今年大学を卒業する。流石に結婚は早すぎる気がした。八尋の三つ上の長男が結婚したのも最近だ。 「利かん坊だったから学校にでも通わせとけってことだったらしいけど、そのせいで勉強ばっかりして家に帰ってこなくなったじゃない?結婚でもしたらこっちに帰ってくるんじゃないかって大旦那様は考えてるんじゃないかしら」  八尋の悪口が癇に障ったが、平太は黙ってその話を聞いていた。厄介払いのように東京に行かされた八尋は、毎月平太には手紙と贈り物をくれていた。大学では電気の勉強をしていると専門用語も交えて書いてきたこともあったが、平太には難しくてわからなかった。だが癖のある文字で大学生活を面白おかしく書いており、とても楽しそうだった。この狭い田舎より東京のほうが八尋には性に合っているようだった。
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