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「平太、これ大旦那様たちのところに持っていっておくれ」
雑用が終わり厨房に顔を出してみると、忙しそうに女中たちが料理を作っていた。女中が指し示した先には、お盆にのった徳利とお猪口があった。
「お昼から酒なんてねえ」
「坊ちゃんが帰ってきたんだ、大旦那様も嬉しいんだろうさ」
平太は「わかりました」と返事をすると、お盆をもち、八尋達が飲食している部屋に向かった。八尋には会いたくはなかったが、仕事なのだからどうしようもない。そう思いながらも歩みはどうしても遅くなってしまう。
やっとのことで部屋の前についたとき、中から旦那様のがなり立てる声が障子越しから聞こえてきた。
「なんだと!?とても良い縁談なんだぞ!!何が不満なんだ!!」
「父上、落ち着いて……」
興奮し捲し立てる大旦那様を、八尋の兄上が諫めている。平太は動くこともできずに、そのまま聞き耳を立てる形になってしまった。
「親父殿、申し訳ないですが俺は結婚しません。家にも帰りません。先生に研究室に誘ってもらっていますのでそこで研究しようと考えています」
「家のことはいいが、結婚しないっていうのは……」
「好いた人がいます。その人以外とは一生添い遂げることは考えられません」
衝撃的な痛みが、平太を貫いた。好いた人がいるなんて、平太は聞いたことがなかった。八尋は平太に隠し事など一切しないものだと思っていた。だがそれは思いあがりだともわかっていた。八尋はもう自分の手を握って寝物語をねだっていた子供ではないのだ。あの頃から成長できていないのは自分だけだということを改めて突き付けられた気がした。
「ならもう金の援助はしないぞ!!わかっているのか!!」
「ちょっと父上それは言いすぎでは……」
「金の心配なら大丈夫です」
その先の話を聞きたくなかった。平太はお盆を部屋の前に置いたまま、逃げるように立ち去った。
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