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ああ、それでもきっとこの背中を押してくれる少しばかりの風さえ吹いたなら、私はそれに身を委ねるのに。
扉の開く音がする。
ああ、決意が遅かったのだ。
どこかで見たような約束の展開。
私は5分に成り下がる。
しかし彼は動揺するそぶりを見せない。落ち着いた歩調で向ってくるのだ。
私は彼を見る。
ここで思いとどまるように説得するのが彼の役目であろう。
しかし、私の意志はそこまで脆くない。さらに彼がそれに値するほどの話をできるとも限らない。たいていこういう時は残念なフレーズを口にしてしまうのである。
辛いことだけではなく楽しいこともあるとか、家族が悲しむぞとか、飛び降りる勇気を別のところで生かせとか。
別に飛び降りることにはさして勇気なんて必要ない。
それはただ、恐怖心というストッパーが外れて死という運命への可能性が上がっただけの話なのだから。
そして可能性とはつまり確率と置き換えられ、右へ動く確率、左へ動く確率、前に動く確率、すなわち飛び降りる確率、というように私たちはこの確率の組合せを人生と呼んでいる。
自分の行動は自分の意志で決定するから確率の関与する余地などないと言う人もいるが、その意志が実は前々から神によって決められていて、それに操られているだけだと私は思う。
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