2.ねぇ、わたしを捨てないで

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 診療内科では、「左脚に何か特別な思い出がありますか?」と訊かれ、咄嗟(とっさ)に思い出せなかった。過去あった出来事をよく整理して、次回詳しく話して欲しいと言われた。美樹に女性の魅力を感じるという話をしたが、左脚が溶けるように見えたり感じたりすることの原因とは思えない、出逢いから時間が経過していないので、多分因果関係は少ないだろうとの見解だった。    (うち)までの帰り道で、歩きながら、「左脚」と僕は口に出して言ってみた。「マイ・レフト・フット」と英語でも。そう言えば、そういう題名の映画があったなぁ。確か誰かの伝記がもとになっていたはず。主人公は、脳性麻痺で左脚だけが僅かに動かせた。僕は、左脚に異常を感じるが、それは一時的な現象で、美樹と一緒にいない今はこうして歩くこともできる。ずいぶん恵まれている、と言えないか。  その時、(ひらめ)いたのは、あの左脚の異常は、美樹とは交際するな、という警告ではないのか、ということだった。彼女と一緒にいる時だけ、脚が溶けてグニャグニャに変容するわけだから。今までのように口説くのはやめて、暫く、距離を置いてみよう、そう思った。  ところが、皮肉なもので、僕が連絡しないと、美樹の方からメッセージ・アプリで、「また会って欲しい。」と言ってくるようになった。「ちょっと仕事が忙しい。」と一度はぐらかしてみたが、その1週間後にまた「会いたい。」と連絡があった。そのメッセージを既読スルーのまま放っておくと、今度は、直接電話がかかって来たのだ。    やはり、会った方が良いだろう。会って、本当の事情を正直に話すしかないだろう。それで、頭のおかしな人だと思われて、彼女が去っていったとしても、それはそれで仕方ないことだ、と僕は腹をくくった。  僕は、虎ノ門ヒルズのルーフトップバーを予約して、次の金曜日の夜に美樹と19時30分に会う約束をした。一時的で精神的な障害について打ち明けるには、余りにもロマンチックな場所で、愛の告白をされるんじゃないかと勘違いされるかもしれない、と僕は自分のセッティングに苦笑いしたが、彼女のような美しい女性(ひと)にはそれなりのシチュエーションが必要な気がして、そんな選択になってしまった。  何て切り出そうか? 僕は、待ち合わせの30分前から、ソファの席に一人座って、キールのシャンパン割りを飲んでいた。    
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