事務員渡辺十和子の密かな愉しみ

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「今日の昼、梧桐さんと何話してたんですか?」  仕事終わりの電車の車中、珍しく定時で退社した佐倉と帰りが一緒になったところで、十和子は聞かれた。  こうして、佐倉と並んでつり革を握っていると、彼に色々知られてしまった朝を思い出す。あの後も、佐倉は十和子を腐女子だからといって蔑むことなく、むしろ以前よりも仲良くしてくれている。最近の子って本当に善い子だ…一歳しか違わないけど。未だに君を受けに設定している先輩を、どうか許してねと十和子は切に思うのだった。 「梧桐さんと話って…ああ、最近よく佐倉さんと話してるけど、何の話ししてるのかって…」 「言ったんですか?Bエ」 「言うわけないじゃないですかっ!職場の先輩に、そんなことっ」  しかも、攻めに…とは、流石に口を滑らせなかった。 「そうですか」  佐倉は十和子の答えを聞いて、少しホッとした様子を見せた。やはり、自分が腐男子になりかかっていることについて、梧桐には知られたくなかったのだろう。  二駅ほど過ぎてから、しばらく静かにしていた佐倉がまた、十和子に話しかけた。 「渡辺さんの持ってる小説の『攻め』って、梧桐さんにちょっと似てますよね」  十和子は佐倉が何気なく発した言葉に、口から心臓が飛び出るかと思った。やばい。なにか、勘付かれたか? 「腐女子の人って、どうなんです?その、…攻めに自分の好みを投影したりとかって…そういうの、あるんですか?」  その質問は、十和子が危惧していた話の流れとは微妙に方向が異なっていた。これはもしやと、十和子が視線を前方の車窓から横にいる佐倉の顔に移すと、彼は真剣な表情で十和子を見ていた。もしかして、もしかしなくても、嫉妬の表情…。  自分は今、この瞬間、まさに当て馬的立場のモブ子なのだ!!感激のあまり瞳を潤ませた十和子に対し、佐倉の方は急に白けた顔になった。 「俺、今、渡辺さんが考えてること100パー分かっちゃいました」  佐倉は十和子から顔を背けると、穏やかな彼には稀な投げやりな態度で言った。 「腐女子、メンドくせー」
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