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雑踏。
駅ビルの改札前。人々が忙しなく動いている。くたびれたスーツのサラリーマン、連れ立つ老婦人、女子高生、中年の太った男、群れる男子中学生……。
誰一人、止まっている者はいなかった。ある者は改札をくぐろうとし、ある者はチャージをしに、ある者は駅から出ていき、ある者はティッシュペーパーを配布し、ある者はビルの中へ入っていく。誰もがせわしなく足を動かし、交差していた。
―――「それ」を除いては。
それはある日の夕方だった。
いつも通り、私は東京駅の改札を出て別の私鉄に乗り換えようとしているところであった。その日も駅の改札口は混雑していた。誰もが行きかい、誰もがすたすたと歩いていた。
そんな中、「それ」だけはぴくりとも動いていなかった。イエローのジャケットを羽織った、若い男の後ろ姿だと思った。
動いていなかった。
右手にポケットティッシュを持ち、さもそれを配るかのような姿勢だった。ぴたりと止まって微動だにしていない。
異様だった。
マネキンかと思ったが、道の真ん中にありすぎているし、意味がよくわからない。
……きみがわるい。
わたしは少しだけ歩みを止めて「それ」を見ていたが、すぐに見なかったことにして、足を私鉄の改札口へと向けた。
人だろう。たんに、ちょっとぼーっとしているだけのティッシュ配りのバイト。
その日はそう思った。私鉄に乗るころにはもう、私はその存在を忘れていた。
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