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「……」
次の日も、「それ」はいた。
今日は娘の愛子の誕生日だった。仕事が少し遅くなり、残業モードに突入しそうだった職場で、なんとか無理やり仕事をおわらせ(明日にまわし)、会社から飛び出してきたところだった。手には、ショートケーキ三つが入ったケーキの箱。
愛子は喜ぶだろうか。
いつも仕事が忙しく、また賃金も高くはないため、休みを取って家族で遊びに行ったりはなかなかさせてやれないが、誕生日くらいはケーキを家族三人水入らず、楽しく囲みたい。妻の理恵は、愛子のすきなハンバーグを作って待っているだろうか。
そんなことを考えながら、私は午後六時の東京駅の改札をくぐった。
「それ」は、いた。
昨日と全く同じ格好で、全く同じポーズのまま、やはり微動だにしていなかった。
私はまた、きみがわるくなった。そして今度は、家に帰っても忘れることのできそうにない好奇心が、むくりと顔を出した。
私は、足を「それ」に向けた。すこしおそれながら、すこしだけわくわくしながら。
「それ」はやはり、近くで見れば見るほど人だった。皮膚の漢字も、表情も、体の折曲がり方も、完全に大学生くらいの若い男のそれだった。しかし、動いていなかった。まばたきもなかった。
「……なんだ、これ」
まわりを見回しても、まるでこれが目に入らないかのように、人々はスタスタと足早に過ぎ去っていくばかり。この若い男も不気味なら、周囲の人々も不気味に見えてきた。
なぜ、気づかないのだろう。
これはいったいなんなのだろう。
一風変わったオブジェか何かだろうか。東京はそういう突飛なことをやりがちだ、わからなくもない。どこかのテレビ局の番組の、企画の一つだろうか。最近はやりのモニタリング。そう思ってまわりを見回したが、巨大な駅ビルのほかには整然とひらけた駅前の交差点があるばかりで、それらしいカメラやカメラマンは見当たらない。
「それ」は――彼は、まるでティッシュを配っていたその瞬間、魔女かなにかに石にされてしまったように、精巧な人間らしさを有したまま、ぴたりとも動いていなかった。
人々は歩いていく。
交差点から駅へ、駅から外へ、公園へ、広場へ、自宅へ、会社へ、友達の家へ、カラオケへ、漫画喫茶へ、ホテルへ、書店へ……。誰もが目的地を持って動いている。
彼と、私以外は。
そのときだった。
「いたいた! これかぁ」
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