第一章「慟哭の和魂」

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 「平成最後の夏」という言葉があちこちで聞こえるようになってきた。そんな中であっても、夜明けは高校生たちにとって、いつもと変わらない一日の始まりに変わりはなかった。  だがそんな日々を繰り返していたある日の朝、雷鳴が静かな町中に響き渡った。 「のわあーっ!?」  大音量にたたき起こされ、伊薙海斗(いなぎかいと)はベッドから転げ落ちそうな勢いで跳び起きた。  パニックになりながら、寝起きの頭を無理やり回転させて海斗は何が起きたのか状況を把握しようとした。 「げーほげほっ! 何で煙が!?」  だがその瞬間、思い切り煙を吸い込んでしまい、海斗は盛大にせき込んだ。室内は真っ白な煙が充満して何も見えなくなっていた。  喉と目に染みる痛みに耐えながら勘を頼りに窓へ向かい、手に冷たい感覚があたったところで窓を一気に開く。 「な、何だったんだいったい……」  煙が徐々に抜けていき、部屋の様子がはっきり見えていく。  そして目の前に現れた光景に、海斗は思わず悲鳴を上げた。 「な……何だこれーっ!?」  スポットライトのように、ベッドに真上から神々しく日光が差し込んでくる。だが、ここは室内だ。普通に考えればあり得ない。その原因は真上にぽっかり空いた大穴。そして寝ていたベッドの周りに散らばる木片。  それは何かが屋根を突き破り、彼の部屋に落ちてきたことを示していた。 「か、雷でも落ちたのか……?」  だが、天井から見える空は見事なまでの快晴だった。果たして雲もないのに雷が落ちるのだろうか。いや、そもそも雷が落ちたのによく大丈夫だったものだ。そんなことが頭の中でぐるぐると巡っていると、彼を驚かせる更なる事態が起きた。 『うう……何が起きたの?』 「は?」  海斗の耳に女の子の声が届いた。しかし、彼はそれを不思議に思う。なぜなら彼の家は両親と祖父、そして自分の四人家族。女の子の声が聞こえるはずがないのだ。 『ここ……どこなの?』 「え? え?」  周囲を見渡すが女の子らしい影は見えない。ベッドの影も、下ものぞき込んでみるが同じだ。 『え? なんで体が勝手に動いてるの?』 「お、おい。誰だ、一体どこにいるんだよ?」  窓から外も見てみたが、どこにもそれらしい姿はない。声はするけど姿は見えない。そんな状況に海斗も徐々に不安を抱き始めていた。 「まさか……お化けか?」 『失礼ね、誰がお化けよ!』  至近距離から響いた声に海斗は身をすくませた。だが、彼の周りには以前として誰の姿もなかった。 「お前、どこにいるんだよ。いい加減姿を見せろ!」 『アンタこそどこにいるのよ。姿を見せなさい!』  (らち)が明かない。そう思った海斗だが、視界の端にあるものが映った直後、女の子の声が少し不安そうなトーンで聞こえて来た。 『ちょ、ちょっと待って。今そこに鏡……なかった?』 「ああ、あるけど?」  机の上に置いてある鏡だった。毎朝海斗が寝癖がないかチェックするのに使っている物だ。海斗はそれを手に取って見る。 「鏡がどうかしたのか?」 『……うそ』 「は?」  鏡を(のぞ)き込むと、そこにはいつもと変わらない海斗の顔があった。だがそれを彼が確認した時、海斗は自分の中に突如妙な感覚が沸き上がってきたのを感じた。 『いやああああっ!』 「わっ!」 『わ、私が……男になってるーっ!?』 「はあっ!?」  何故か海斗の中から「悲しい」感情が込み上がった。だが彼はまだそんな気持ちを抱いてはいない。むしろ今、悲鳴を上げた女の子の感情と言った方が相応(ふさわ)しい。そう思い立った瞬間、海斗も遂に女の子の居場所に気づいた。 「まさか……」  手で耳をふさいでみる。しかし女の子の悲鳴はそれでも聞こえ続ける。至近距離どころの話ではない。この声は聞こえていたものだった。 「嘘だろ!?」 『なんで、どうして!? いったい私どうしちゃったの。夢なら覚めてーっ!』  泣きたいのは海斗も同じだった。朝っぱらから部屋に落雷。天井には大穴。その上なぜだか自分の中から女の子の声がする。いったい何をすればこんな目に遭うというのだろうか。 『そもそもアンタ誰なのよ! 私の体に何したの!』 「人聞きの悪いことを言うな! お前が俺の中に入って来たんだろう!」  鏡の中の自分に向けて海斗は怒鳴りつける。真面目に考えれば何をやっているんだろうと少し悲しい気持ちになってしまうが、今はそのことについて考えるのはやめることにした。 「……とりあえず名乗らないか」 『……いいわ。いつまでも“アンタ”とか“お前”じゃ不便だもの』 「俺は伊薙海斗(いなぎかいと)。この家の子で、そもそもここは俺の部屋だ。それで、お前は?」 『ミサキよ。私は――』  ミサキと名乗った人物(そもそも人なのかも怪しいが)の声が唐突に止まる。海斗は不思議に思うが、沈黙の時間があまりにも長いので彼から問いかけてみた。 「おい、どうしたんだよ?」 『……全然覚えてない』 「ちょっと待て!」  思わず海斗は鏡の自分に向かって顔を近づけた。目には見えない女の子に向けて問い詰める。 「お前が何もわからなかったら本当にどうしようもないだろ!?」 『仕方ないでしょ! 名前以外、本当に何も覚えてないんだから!』 「それじゃあこの状態、どうしろって言うんだ。俺、これから学校だぞ!」 『知らないわよ!』  海斗が時計を見る。まだ時間に余裕はあるが、この後は日課が待っている。その後は朝食を食べて高校へ行く準備を考えなければならない。このままミサキを何とかする方法がないのならこの状態のまま学校へ行くしかない。  そもそも、体の中から女の子の声がするなど、どう経緯を説明したらいいのか。「雷に打たれたら女の子と一つになっていた」とでも言えばいいのだろうか。そんな言葉が海斗の頭に浮かんだ。 「最悪だ! 三文小説のキャッチコピーかよ!」 『ちょっと、変なこと考えないでよ!?』 「わかるのかよ!?」 『何となくニュアンスが伝わるのよ!』  最悪の追い打ちだった。海斗も年頃の高校生。健全なこと以外(・・)も考えることだってある。そんな思考が全てミサキに読まれてしまうというのか。 『何かエロいこと考えてたでしょ! 男ってこれだから最低!』 「やかましい! 人が何考えたって自由だろ!」 『女の子がそばにいるのよ。デリカシーってもんはないの、このエロ猿!』 「やかましい、人の中に勝手に入って来たお前に言われたくないよ!」  再び始まる言い争い。その罵声のぶつけ合いは、部屋に近づいてきた足音に気づくこともなく――。 「朝っぱらからやかましいわバカもぉぉぉん!」 「わっ!?」 『きゃっ!?』  そして二人のケンカは、再び落ちたカミナリ(・・・・)によって中断されるのだった。 『こ、この人誰よ?』 「じ、じいちゃん!?」  そこにいたのは道着に袴の姿で仁王立ちをする祖父、伊薙武志(いなぎたけし)の姿だった。  最初の雷の衝撃で歪んだ海斗の部屋のドアを力づくでこじ開け、鬼のような形相で海斗を(にら)みつけていた。 「お前の部屋に雷が落ちたと思って心配して来てみたら、何をやっとるんじゃ!」 「何って……」 「ええ歳して一人で鏡の中の自分に話しかけおって。あれか、もう一人の自分とか言う奴か。高校二年生にもなって『ちゅーにびょー』とかいう奴か!」 「違うって! そもそもこいつが……って、ちょっと待て」  説明をしようとしたところで海斗は武志(たけし)の発した言葉と自分の認識に存在する違和感に気づいた。 「……じいちゃん。今、一人で(・・・)って言った?」 「それがどうしたんじゃ」 「まさか、聞こえてないのか?」 『そうみたいね』  ミサキも試しに武志(たけし)に声をかけてみるが、まったく反応を示さない。どうやらその声は海斗にのみ聞こえるようだ。 「何を言っとる。ちゃんとお前の声は聞こえとるわ! 人を年寄り扱いしおって」 「いやいや、そういう意味で言ったわけじゃないから」 「黙らんか。そんな腑抜(ふぬ)けた精神だから『ちゅーにびょー』なんて病気にかかるんじゃ!」 「いや、それ病気じゃないし!」 「問答無用じゃ! 来い。その浮ついた根性を叩き直してくれるわ!」 「ちょ、ちょっと待ってじいちゃん!」  首根っこをつかまれ、海斗は引きずられるように部屋から引っ張り出される。連れていかれる先は道場。これから地獄が待っているのは明らかだった。  海斗はこれまで様々な形で朝を迎えたことはあったが、この日は雷が落ちて部屋は半壊。自分は得体の知れない女の子が憑りついている。おまけに祖父のカミナリがこれから落ちる――史上最悪の目覚めだった。
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