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調子がさほど悪いと感じてなくても、不意に思い出されるのは、嫌な記憶や怒りの記憶で、楽しかった
嬉しかった記憶だって、それなりに沢山記憶してるはずなのに、思い出されるのは嫌な記憶。
お風呂に入っていて、ふとこんなことを思い出した。
私が発達障害の診断を受け、薬を飲んで改善していきましょうとなった時、夫は先生に聞いた。
この薬は一生飲み続けるんですか?
先生は途中休むこともあるけれど、基本的には一生飲み続けるものだと言いました。
一生薬を飲み続ける、それは私にとっても、夫にとっても、ショックではあった。発達障害の薬は副作用も強く、体に負担もかかるからだ。
それでも、生まれつき体のどこかに疾患がある場合、やはり一生薬を飲み続けるという人も沢山いるだろうし、私もそういうものだと。この薬とは一生のお付き合いだと、比較的すぐに腹を括った。
しかしながら、その事を姑に告げた時に、こんな言葉が返ってきた。
それじゃあ、私には孫を諦めろ、そういう事なのね。
涙を流しながら言った。
悪いけど泣きたいのは私の方だ。
おかしくはないだろうか。
それじゃあ、あなたはもう子供は産めないって事ね?とかなら分かる。まあこれもどうかと思うけれど。
私には孫を諦めろ
まるで私が悪者ではないか。なぜに姑が被害者の立場になっている?
結婚したら、女はどんなに辛い目にあっても、痛い思いをしても、何としてでも子供を産むのが当たり前だ!
と、不妊治療してまでは子供欲しくないと言った時に言われたこともある。
一体いつの時代の人なのか。私は徳川将軍家の嫁か何かなのか。
なんせ、子供を産まないこと、孫を作らないこと、跡継ぎ作らないことは、私への侮辱よ!
と言った姑ですからね。その言葉は私への侮辱にはならんのだろうか…。
そして不妊治療の辛さや頑張りは全く見ずに、結果だけを見て、ダメだった時は用無しとばかりに扱う。人権侵害とかにもならないのかしら…。
私はもうこの一連の出来事を忘れる事が出来ない。多分墓場まで持って行く。だからこれからも、度々思い出すのだろうね。
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