第3章 誰かのために生きるということ

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「じゃあ、行こうか」  案内された客室は、本館の二階の奥に位置していた。階段を上がり、四枚の扉をやり過ごしたその先にあって、ドアプレートには「blossom」と英語表記されている。 「ここは、スイートルーム。次の改装を控えている部屋だ」 「はい」  入るといきなり大きな絵が飾ってあった。ニューヨークのマンハッタンを思わせる風景画の中に桜並木が並んでいる。絵とは思えない奥行きのある、写真みたいな絵。 「これ、いいだろ」  俺は、頷いた。 「風景画。まるでそこにいるみたいな気持ちにさせられる、この絵。箱の中の四角い部屋に、殺風景な空間に、こういう絵がひとつあるだけで違ってくる」 「……はい」  俺はなぜか、その絵に圧倒された。その筆運びに、なにかとてつもない引力を感じて、思わず指先でそっと触れてみる。  すると、絵から俺に向かって風が吹いた、気がした。花弁が舞い散る海岸線の公園に、俺は立っている気分になる。  こげ茶色の桜の幹と、白に薄紅を落としたような淡いピンク色の小さな花の集合体が風に揺れる。人々の雑踏の気配も心地良い。春の木漏れ日を浴びて、懐かしさを覚えた。  ふと、足下に目をやるとそこには深い藍色で書かれた文字が書かれている。しゃがんでその一点に目を凝らすと、文字は浮かび上がって俺に主張してくるのだ。  そこにサインされていた名前を読む。  それは……まさか………。  E.aoi とある。筆跡でわかる。これは、恵鈴の絵だ。 「……どういうことですか?! あいつ、こんな大きな絵をいつの間に」  尊美さんがニコリと笑う。 「さすが、双子だね。ちゃんとわかるんだ。やっぱり、すごいな!」  それから尊美は、恵鈴が過ごした一か月間を順序良く説明してくれた。恵鈴がなぜ、蒼井を名乗っているのかも、風景画を描いているのかも、すべて。
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