第3章 誰かのために生きるということ

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 私達を隔てるものなど、なにも無かった頃が酷く懐かしくて、愛しくて、胸が圧し潰されそうなぐらい、悲しくて。 「ようまぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」  いやだ。  私に気付いてよ!  私の声を聞いてよ!  顔を上げて、私を見てよ!!  手が、腕が、壊れても構わない。見えない壁を叩き壊せるものなら、壊したい。  小さな彼の足下には、血だまりができている。  ゾワリと悪寒が走った。  冷や水を浴びせられたような、寒さに震えあがる。 「怪我をしたの? どこから出ている血なの?」  何度呼びかけても、届かない。  もどかしさが膨れ上がる。苛立ちで沸騰した頭を壁にぶつけた。  バリン!  大きなガラス片が頭上から落ちてくる。  バラバラと音を立てて、足下に散らかっていく。  やっと、壁を抜け出したと思ったら今度は燿馬の姿が―――ない。  私はキョロキョロと辺りを見渡しながら、嗄れた喉から愛しい人の名を絞り出した。 「ようまぁぁぁ! 返事をして! どこにいるの?!」  いつの間にか、見知らぬ森の中に私は立っている。  陽が落ちかけた空色の下で、真っ黒い影と同化した樹々がはげしく揺れていた。北風の中に雨の匂いを感じて、私はまた彼の名を叫んだ。  バサバサ  羽ばたきの気配を、肌で感じる。振り返ると、大きな黒い鳥が私の近くの岩場に降り立つところだった。  鳥と目が合うと、どういうわけか急に周囲が黒一色に染まる。  樹々が白い影となり、流れる川もごつごつとた岩場も墨絵を反転させたような不思議な光景に変化している。その風景の中で、唯一色がある石を見つけた。  駆け寄ると、それはどう見ても血だった。  驚き、でもすぐしゃがんでその血痕を確認する。  すると今度は、血痕の周辺から足跡が黄色く光って、浮かび上がる。  踵とつま先がちゃんとわかる足跡を目で追いかけると、その先に白く揺れる人影が視えた。
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