第3章 誰かのために生きるということ

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     *  駅舎の周辺にはもうタクシーひとつ停まってない。コンクリートの隙間から勢いよく生えた雑草が風に揺れている。考えなしにここまで来て、これからどうしたものかとため息をついた。  とりあえずタクシー乗り場のベンチに腰掛ける。東京よりも涼し気な夜風に吹かれながら、街灯の明りを頼りにタクシー会社の看板を見つけ、配車依頼の電話をかけた。するとすぐに車がやってきた。  ドアが開いて、そこに滑り込む。  行き先を告げるとき、俺は戸惑った。でも、ここまで来たんだ。迷っている場合じゃない。そう思い直して、運転手に『BLUESTAR』まで行ってくれと依頼した。  山道へと続く道のりで、行き交う車両が思いのほか数台あって、ホッとする。天下の温泉街箱根なのだから、当たり前か…。  駅のATMで降ろした金で清算を済ませ、俺はBLUESTARの前に降り立った。様子を見るだけだと言いながら、正面から堂々と入って行こうとするのは無謀だ。そこで俺は、再び携帯端末を取り出した。BLUESTARの番号じゃなく、尊美さんの番号に電話をかける。  番号交換をして、初めて俺から電話する相手なだけに、緊張する。BLUESTARは夜はBARとして営業しているのだが、そこで恵鈴に遭遇するわけにはいかない。真央さんは、ちょっと怖い。あの人はなにか、魔力なようなものを発している気がする。おふくろとはまた違う種類の、魔女。  獲って食われるような怖さを、なぜか俺は感じるのだった。そんなすごい女性の一回り年下夫である尊美さんは、すごい爽やかでとにかく気持ちが良い人。俺の頼みを聞いてくれるのは、あの人しかいない。  コールしてすぐに電話に出た声は、記憶のものよりしっとりと落ち着いていた。 「はい、もしもし? 燿馬くん。連絡、待ってたよ」
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