第3章 誰かのために生きるということ

27/51
1028人が本棚に入れています
本棚に追加
/134ページ
 立ち上がって辺りをぐるりと見渡した。気に入った画がどこにあるかは、なんとなく感じた場所にファインダーを向けて撮影する。  奥行きを感じさせる絵に仕上げたい私は、決まって一番近くにシンボルになるものを配置した。頭の中に構図が浮かびあがると、もう描きたくてうずうずする。 「真央さん。アトリエに戻りたい」 「オッケー」  そうと決まれば素早くて、私達は荷物をまとめて駐車場へ向かった。  ここが大陸だと思えば思うほど、木に高さを感じ、空がより一層遠くへ感じる。海の向こう側に日本があって、様々な文明や人々の歴史があって、私がいるこの時、この場所には視えない目印が必ずある。それを焼き付けるように、描きたい。  時は常に流れていく。止めようがない。  だから、切り取りたい。  風景画にも今ここにしかないエネルギーを、ちゃんと封じ込めたい。  朝日も夕焼けも、真上から刺さるキツイ日差しも、光を浴びたものたちが輪郭を浮かび上がらせたとき、私は興奮する。  夢中になって絵を描く。  アクリル絵の具は渇くのが早いし、キャンバスを丸めても伸ばしても絵の具に皹などはいらない。光を受けると明るめに反射して、色鮮やかに照り返すので気に入っている。油絵具ほど質感の自由さはないけれど、筆先の表情を工夫すれば油絵具にも負けない強さを表現できる気がした。  私は描くのが早く、ある程度カタチが視えるともう次の下塗りを始め、同時進行で数枚を手掛ける。体力と気力が続く限り噛り付いて描くことが、今の私に生き甲斐そのものとなっていた。描いている間は他のことは何も考えられないのも、助かっている。  油断するとすぐに彼を思い出し、恋しくなるのを避けていた。今はどう距離を取るのが正解なのか、自分でもまだわからないからだ。前みたいな、いるのかいないのかわからないような粗末な関係には、二度と戻りたくはない。あれは失敗だった。息を止めて右へならえをして、順序正しく折り目の通りに事を運べば幸せになれるは、大間違いだった。
/134ページ

最初のコメントを投稿しよう!