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Instrumental/またはオープニング//または『彼』の始まりの話
――音楽ができるだけじゃ、音楽はやれないんですよ。
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将来の夢、というのが嫌いだった。
正確には、将来の夢、という言葉が。嫌いだった。
母に、高校にいる兄のところに物を届けるように言われたのは、小学六年のある秋の日のこと。
夏休みもとっくのとうに終わり、冬の足音も近づき始めているような、そんな冷たい風が街にふくそんなころの事だった。
「ねぇ。あんた、どうせヒマなんでしょ? お兄ちゃんのところに忘れ物届けてやってくれない?」
あの子、財布忘れてっちゃったのよね~。せっかくの学祭だっていうのに、と自室のベットで転がっている俺にむかって、母が言ってきた。
そうして、ほらこれ、とまるで届ける事が当然であるかのように、その黒い二つ折の財布を俺の前に差しだしてきた。
正直、今日は休日。できれば外には行きたくなかった。
ただでさえ、日ごろは寒い中、学校へ向かったり、その学校の庭で寒さに震わされながら走ったりさせられいるのだ。たまの休日ぐらい、こうして暖かい場所で何も考えずにゴロゴロしたい。それが正直な気持ちだった。
しかし、こういうときの母のそれは、質問ではない事を、当時から俺はよく知っていた。母のやってくれない? は、やりなさい、をやわらかく言い換えただけのものなのだ。
わかりやすく言えば、大福の中のものを、見た目が一緒だからって餡子からチョコクリームに変えたようなものだ。たとえ見た目が似てても、味はまったく違うものであるということを、この母は理解していないのだ。
はぁ、とため息をつくと、俺はベットから起き上がった。プレイしていた携帯ゲームをセーブし、電源を落とした後、わぁったよ、と返した。
口が悪い、と母が俺をしかった。アンタに似たんだよ、とは口がさけても言えなかった。
「そうだ。どうせだからアンタもちょっとは遊んできなさいよ。将来は、アンタも通う場所なんだからね。ちょうどいいから、学校見学でもしてきなさい」
そう言って、寒さ対策をする息子のコートのポッケに、雑に財布を押し込みながら、母が言った。学校見学って……。昔から知ってる地元の中高一貫校を、今さらどう見学してこいというのだ。
(……『将来』、ね)
まぁしかし、やはりあれこれ言ってもムダな事は知ってる。
結局俺は、母に押されるがままに、兄の学校へと向かうことになった。
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