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そのとき――、俺は自分が感じた感覚を、未だになんと言えばいいのかわからないでいる。
それは、黒い黒い服だった。
ただひたすらにシックな服だった。光眩しい、カラフルで色あざやかな世界の中、その服だけがまるで異質に存在しているかのようだった。
ただ一人、漆黒で、しかしそれでいてどこか透いている、まるで透明な夜空といったような矛盾をはらんだ、けれどそう言う以外に言葉に出来ない、不可思議なまでの美しさがそこにあった。
一歩前に出る度に、ひらりと『夜』が舞う。
そのスポットライトが夜を照らすたびに、まるでその光を吸い取るかのように、キラリと夜は光った。
またたく夜空の星々のように、しかし、その漆黒の夜をじゃましないように、おごそかに、つつましやかに、そのキラキラとした光で、夜を彩っていく。
長いステージの先まで到達したあと、くるりと夜は身をひるがえした。前の『服』に続く形で、ステージの袖の方へと戻っていく。
と、その先に誰かが立っているのが見えた。男――、制服と思われるものを身に着けた男子学生だ。
誰あれ、と兄に尋ねた。お前、今さらかよ、と兄が苦笑した。
「あの服をデザインした奴だよ。あぁやって、制作者は袖にたってモデルと自らが制作した服を出迎えるのが、うちの祭りの決まりって感じよ」
さっきからずっと人が立ってただろうが、と続けられた兄の言葉で、初めて自分が本当に『服』しか見ていなかったことに気がついた。その事実にまた驚く。俺は、こういうものに興味なんてなかった筈なのに、一体どうして――。
夜が歩いていく先を見る。しかしとて、こんな服を考える人間がどんな人間なのか気になった。
一体、どんな奴がこんな夜をデザインしたんだと。
自分の手前に戻ってきた夜の手を、男がうやうやしく取った。そうして、夜を導くように客側にむかせると、ぺこりと一度頭を共にさげる。そうしてその顔をあげた。
それは、一言で言うなら『太陽』のような男だった。
目についたのは、あざやかなオレンジ色の髪。発色のよいその色は、夜を出迎える者にしてはおかしい程にまぶしい姿だった。
そしてなにより、まぶしかったのは、その顔だった。
あげられたその顔には、笑顔がうかんでいた。これ以上はないというほどに。明るく、まぶしく、その笑顔は目の前の光景にむかって笑いかけていた。
それこそ、夜を手にする者としては、やはりひとかけらも似合わないように。
けど、相反する者だからこそ、まるで手に取ることができたというように。
キラキラと、その笑顔を光輝かせていた。――その光の中で。
「すげぇ……」
しぜんと落ちた言葉。吐き出すつもりもなければ、こんな風に自分が思った事にも、俺は口にするまでまったく気づかないでいた。
気づけば、イライラとした気持ちはなくなっていた。
目の前の、先程確かに自分の前を歩き去って行った夜が、まるでまだ目の前にいるかのように俺の頭の中で何度も何度もうかべられる。
なにかがわき立つような感覚がした。ぐわりと、ぞわりと。何かが、自分の中で。
それは新しいゲームをする時に似ている気がした。新しいゲーム、その中に広がる、新しいストーリー、新しい世界観、新しいシステム……。カセットをセットしたゲーム機を前に、そういうものへ心躍らせるあの時と、似ている。
けど、これはゲームじゃない。
これは現実だ。
現実の、いつか将来、この場に通う『俺の』――、現実だ。
胸の内が、熱くなり始めていく。
だからだろうか。
すぐ横にいた筈の兄の目が、目の前のステージを見つめるその目が。
どこか苦しそうに細められていることに気づかなかったのは――
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