知られざる日本固有の板金鎧、短甲

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 翌週月曜、ゆめは八人分の入部届を顧問の寺楠先生に提出し、VR eスポーツ部は正式に青山中学校の部として認められることとなった。  記念すべき一回目の部活動は、ゲームルールの再確認。 「歴史上の軍団の多様性」や、「三将配分のパターン」というような人間将棋を楽しんでいくうえで最低限必要な情報を、ゆめがホワイトボードを使って八人に教え込む時間となった。 ゆめはこの説明を部活動終了時刻である午後七時まで続ける気満々だったようだが、始まって一時間もしないうちに最馬鹿女子の乃亜が「も~ムリ」と悲鳴を上げたため、この日の部活動は午後五時を過ぎたところであえなく終了となった。 予想外に生じた空き時間を使って、駈とゆめの二人は明治神宮人間将棋スタジアムを再訪することにした。 以前、二人で明治神宮人間将棋スタジアムを訪れたときの目的は見学だったが、この日の目的は武器を見ることだ。 駈は一円の価値もないとされるEランクのツヴァイヘンダーで、ヴァイキング戦、ウシワカ戦で立て続けに結果を出してきた。しかし、この結果はあくまでも奇跡が味方してくれたおかげで得られたものにすぎず、今後も活躍を続けられるとは限らなかった。 そこで、投げ銭で手に入れた一一万円で質の高い武器を買うのはどうか、という話になったのだった。  中世風の建物「武器屋」の入り口を、二人は、今度は私服ではなく制服を着た姿でくぐる。  デパートの売り場を思わせる棚で仕切られた道を、二人はぐるりと視線を巡らせながら、ゆっくりとした足取りで歩いていく。  突きあたりで向きを変えると、別の客の姿が目に入った。小学校高学年くらいの男の子だ。  男の子は無言のまま、目の前に飾られている剣を一心に見つめ続けている。  剣身は大きく、柄には四つ葉のクローバーを思わせる独特の装飾がついている。これは、スコットランドの剣クレイモアの特徴だ。  クレイモアの前に佇む少年は、よく見ると肩をしゃくりあげていた。  駈の位置からは顔は見えない。しかし、震える肩から、泣いているのだと想像がつく。  あの子は一体なぜ、クレイモアの前で涙しているのか。  考えてみる。  思い当たる理由は、一つしかない。  あの子はきっと、ウォレスの引退にショックを受けたスコットランドファンなんだ。  慰めてやらなきゃ。 駈が一歩を踏み出そうとした時、その動きを制するように誰かが背後から肩に触れてきた。  首だけで後ろを振り向くと、甲冑の胸部が目の前にあった。白銀の鎧だ。胸部と腰当てだけを見れば、様々なゲームで見られるような金属板で作られるプレートメイルであるが、肩当てが個性的な形をしている。丸くゆがめた細長い板を縦に連ねる構造。ダンゴムシの甲殻を彷彿 とさせる外観だ。全ての細長い板に必ず八つの小さな穴があけられており、そこに紐を通すことで板同士が結ばれている。この構造はおそらく腕の可動域を狭めないための工夫だろう。  駈は、自分より一まわり背が高いこの人物の顔を見上げる。  見上げた瞬間、険のある眼差しと目があった。若い男だ。 「やめとけ」  男が言った。諭すような落ち着いた声音だった。 「こればっかりは、外野が励ましてどうこうなる問題じゃない」  兜は、戦国時代のものから前面の飾りを外し、しころ(後頭部と顔の左右を守る部分)の広がりを最小限に抑えたようなものだった。兜飾りの代わりなのか、頭頂部には鷹かなにかのものと思われる羽根が三枚つけられている。  白銀の甲冑を着ている割に、男は日本人的な容貌をしていた。高校生くらいに見える。  勇者っぽい雰囲気の日本の男子高校生に、至近距離から張り詰めた眼差しを送られる。  状況への理解が追いつかない駈は、瞠目したまま固まり続ける他なかった。 「これです」  声がして、我に返る。男の子が発した声だ。  ひねっていた首を戻すと、男の子の横に男性店員の姿があった。駈が固まっている間に、連れこられたのだろう。この店員に訴えるように、男の子はクレイモアを指さしている。 もうこうなったら、自分が次世代のウォレスになってやる。 そういう意気込みが男の子を突き動かしているように、駈には感じられた。 「これ、いくらですか?」  男の子が店員に尋ねる。 「一〇万だよ」 「じ、一〇万……?」  店員の顔を見上げる双眸が丸くなる。丸くなったのは一瞬で、その目はすぐに伏せられた。ぽかりと口を半開きにしたまま、男の子は沈黙する。ややあって、目線がおそるおそる上を向く。か細い声が絞り出される。 「取り置きは、できませんか?」  「取り置きって、いつまで?」 「僕がバイトが出来るようになるまで……」 「それはさすがに無理だな」  店員が困ったように笑む。 「そう……ですか」 つぶやいたその口をぎゅっと結びながら、男の子は俯く。そのまま、動かなくなる。萎んだように見える体の横で、小さな握り拳が震えていた。歯を食いしばって現実を受け止めようとしているのだろう。  どうしても欲しいものが、どうしても手に入らない。その苦しみがどういうものなのかは、一四歳の駈にもわかる。  仮に俺があの子の立場だったら、やっぱりあんな風に固まっちまってただろう。  気持ちが痛いほどわかるからこそ、駈は男の子から目が離せない。  ありゃ、今にも泣きだすんじゃないか。  そう思ったとき、今まで重かった肩がふいに軽くなる。甲冑戦士の手が、離れたのだ。  銀色の背中が、駈の眼前に現れたかと思いきや遠ざかっていく。それは、今まで駈の後ろにいたはずの甲冑戦士の背中だった。 「あれは……短甲と呼ばれる日本の古墳時代の甲冑よ」  甲冑戦士の背中に視線を突き刺したまま、ゆめが呟く。 「えっ、あれ日本なの?」  ゆめは無言で頷く。 「古墳時代前期にこの国でもっとも一般的だった鎧ね」 「日本中に古墳が造られた大和王権の時代に、あんな、西洋のものにしか見えない煌びやかなプレートメイルがこの国にあったなんて……」  駈がこう呟いたところで、甲冑戦士が男の子の目の前で足を止めた。  男の子に話しかけるのかと思いきや、止まったその場所でゆらりと向きを変え、壁に飾られたクレイモアと正対する。手を伸ばし、剣を手にする。双手で握った柄を、甲冑戦士は小気味よく揺らす。武器の安定性か何かを計っているのだろう。  揺れ終えた矢先、剣が垂直になる。顔に近づけた剣身に、甲冑戦士は見入るようなまなざしを注ぐ。 「いい剣だな」  呟きながら、顔から刀身を離す。そのまま剣を水平にし、正眼に構える。 「見た目より軽いし、ぐらつきもない」  双手で握った柄を、もう一度くいくいと揺らす。それから柄をひねり、鎬の面を見やる。 「たしかに、一〇万の価値はあるようだ」  瞬きしない目が、剣身を根元から撫で上げていく。その目は切っ先を捉えた瞬間、横に流れた。柄から片方の手が離れる。離れたその手が、近くに置いてあった鞘へと伸びる。 かちゃり。合うように作られた剣と鞘が、音を響かせて一つになった。 鞘に収めた剣を、甲冑戦士は側にいた男性店員に差し出す。 「俺が買おう」 「あ、はい。ありがとうございます」  軽く辞儀をし、クレイモア受け取ったあと、店員はそそくさと奥に見えるカウンターの方に歩いていく。その背中を甲冑戦士は、対照的に思える程のんびりとした足取りで追う。追いながら、また声をかける。 「あ、それとIoT収納袋のLサイズを一つ」 「色は何になさいますか?」 「黒で」 「かしこまりました」  武器と、武器を持ち歩くためのIoT収納袋を同時に買うということなのだろう。  二人の男がカウンター越しにやり取りを続ける一方、最初にクレイモアを欲した男の子は、一人立ち尽くしていた。カウンターの方を向いているため、駈の位置からはその表情をうかがい知ることはできない。  男の子は駈とカウンターを結ぶ直線の上にいるので、カウンターの様子を見ようとすると、寂しげな後ろ姿まで目に入ってきてしまう。それが辛い。  もう、これ以上は見てられねー。  駈は目の前の光景から目を逸らそうとする。そのとき、視界の奥で白銀の背中が翻った。甲冑戦士が踵を返したのだ。  片方の手が、剣を収めた鞘を握っている。  どうやら、買い物を済ませたらしい。  もう一つの買い物品であるIoTキャリーケースを引き、甲冑戦士は歩き出す。こちらへ戻ってくる。そう思いきや、足は思いのほかすぐに止まった。甲冑戦士と男の子、二人が数歩分の距離を挟んで向かいあう。  足を止めた甲冑戦士の双眸は、身長差のある男の子を確かにとらえていた。  鞘をつかむ手が、鎧の胸の高さまで持ち上がる。 「これは、たしかにいい剣だ」  男の子から剣へ、視線を移しながら甲冑戦士が呟く。少し間をおいて、「いい剣だけど」と続ける。 「俺はクレイモアは別に好きじゃないんだよな」  これまで一貫してシリアスだった声音が、ひょいと砕けたものになる。同時に表情も砕け、眉尻の下がった優しげな笑みが零れる。 「俺が持っていても仕方がないから、このクレイモアは持つべき人に預けておくしかない」  鞘に収まったクレイモアが、男の子に差し出される。 「君はこの剣をどんな持ち主より大切にできる自信はあるか?」 男の子の小さな頭が水平に戻る。甲冑戦士の顔から剣へ、視線を移したのだろう。  しばし無言でクレイモアを見つめたあと、男の子は小さく頷いてみせる。その頷きに、甲冑戦士は同じくらいささやかな頷きで応える。 「なら、これは君に使ってほしい」  やさしげな眼差しを男の子に注ぎながら、甲冑戦士はささやきに近い、どこまでも落ち着いた声でそう言った。 「俺の代わりに、ぜひとも君がこの剣を輝かせてやってくれ」 そう言い残し、甲冑戦士は歩き出す。  男の子の横を過ぎると、駈の方に近づいてくる。 「待って」 遠ざかっていく甲冑の背中に、男の子が声をかける。 「これ……お金は?」  甲冑戦士が足を止めた。ゆらりとふり返る。 「さっき君は、取り置きはバイトが出来るようになるまで、って言ってたよな」 甲冑戦士の眼差しが男の子に向けられる。 男の子はニ、三度目を瞬かせたあと、ゆっくりと首を縦に振った。その頷きに、甲冑戦士はさらに深い頷きで応える。それから口角を上げ、優しげな笑みを作る。 「その言葉を信じるよ」  一言を残し、甲冑戦士は体をもう一度ひるがえした。そして、今度こそ去っていく。 甲冑戦士が去った店内に、駈とゆめと男の子だけが残される。 IoTキャリーケースをみつめる男の子の顔がふいに歪む。小さな両肩が震えはじめる。震えが限界に達したところで、男の子は崩れるように膝をつき、IoTキャリーケースを抱きしめた。泣き顔を隠すように顔を伏せる。  静謐な店内に、すすり泣く声が響きはじめる。  この声が、駈とゆめを我に返らせた。 一度顔を見合わせたあと、二人は慌てて、出て行った白銀の背中を追いかける。
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