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『港区立青山中学校VR eスポーツ部、部員募集!
男女の別なく、年齢の別もなく、体格の別もない。
人であるかぎり誰もが同じフィールドで対等に戦うことができる。
そんな夢のようなスポーツが、この世界には存在する。
そのスポーツの名はeスポーツ。
コンピューターの発達にともない可能となった電子機器を介して行われる競技、いわゆる、対戦ゲームである。
eスポーツの競技人口は二〇三八年現在、全世界で一〇億人を超える。
これは野球やサッカーのような電子機器を介さないスポーツから、チェスや将棋のようなボードゲームまで含めたありとあらゆる競技の中で、最も大きい数字だ。
地球で一番人気があるということは、このスポーツでチャンピオンになれば地球で一番のカリスマになれるということ。
地球の主人公になれるということ。
主人公になろうとするのに理由なんてない。
この部に入って、私と一緒に地球の主人公をめざそう!』
そう書かれたチラシを春瀬ゆめは、椅子を踏み台に使って校舎の壁の上の方へもっていく。
右上、左上。右下、左下。四つの画鋲を刺し終えた瞬間、ゆめは椅子の座面を蹴り、颯爽と飛んだ。制服のスカートが空気を孕んで膨らむ。しなやかな着地を決めるやいなや、ゆめはバレエダンサーのようにくるりと体を回し、チラシに向きなおる。
パン、パン。音を立てて合掌し、目をつぶる。
「部員、来ますように」
チラシを神社の拝殿に見立て、祈りを捧げる。このチラシの文はゆめ自身が考えたものだ。
「よいしょ、っと」
長い祈りを終えると、椅子を脇に抱え、目の前にあるVR eスポーツ部の部室へ入る。
VR eスポーツ部の部室は教室の半分ほどの広さで、普通の部室と比べるとやや広い。
床には、二〇二九年に実用化した新型のランニングマシンである二軸ランニングマシンが、九台配置されている。
このランニングマシンの最大の特徴は、ベルトコンベアが二軸化されていること。
二軸ランニングマシンのベルトコンベアは、無数の小さなベルトコンベアを横に延々と繋げることで形作られている。この構造のおかげで、二軸ランニングマシンは縦にも横にも、二つを組み合わせれば斜めにも、人間の歩行や走行を相殺することができるのだ。
この革新的な機能によって二軸ランニングマシンは、二〇三八年現在、VRスーツで触覚体験を得るタイプのVRを実現する上での必需品となっている。
VR eスポーツ部の根幹といっても過言ではないこの設備の脇を通り、ゆめは部室の最奥部に鎮座するロッカーの方へ歩いていく。
この部室には二軸ランニングマシンの台数に合わせた九個のロッカーが置かれていて、それぞれの中には一着のVRスーツと一個のVRゴーグルがしまわれている。
横並びに置かれた九個のうち一番まん中に置かれているのが、ゆめのロッカーだった。
扉をあけ、真っ白いVRスーツを取りだす。
手早く着がえを済ませると、ゆめはさっそく二軸ランニングマシンに乗った。
高さ一〇センチの台の上でゆめは、VRを接続する前に一度、深呼吸をした。それからゆっくりと目蓋を閉じる。そうさせたのは、感慨だった。自分でもよくわからない不思議な感慨が胸を満たしている。VRが既に接続可能であるにも関わらずゆめは、物思いに沈んでいく……
ノーベル賞受賞者。
教科書に載っている偉人。
音楽室に飾られた肖像画。
歴代の総理大臣。
日本の民間企業における管理職。
プロ野球選手。
Jリーグ選手。
プロeスポーツプレーヤー。
一見何のつながりもないように見えるこれらには、実は一つの共通点がある。
それは、その地位に就くほぼすべての人間が男性によって占められているということ。
この世界は根本的に、女性が大きな夢を抱ける世界ではない。
人類八〇億人の半数を占める『女性』にとって立ち入ることのできない領域が、この世界にはあまりにも多すぎる。
女は一体、何のためにこの世界に生まれてくるのか。同級生よりいくらか知性の発達が早かった春瀬ゆめは、小学六年生の頃にはもうすでにこの世界の在り方に対し疑念を抱いていた。
一一歳のゆめは、見えない何かに頭を押さえつけられているような閉塞感を感じながら、その閉塞感の根源である世界の理に対する憤りをため込みつづけていた。
女として生まれたゆめにとってこの世界は、知れば知るほど幻滅させられる世界だった。
しかし、そんな彼女の失意の日々にある日突然、転機が訪れることになる。
それは、冬休みを間近に控えた十二月中旬に起きた出来事だった。
放課後、午後四時。いつもの通学路を通って一軒家の自宅に帰宅したゆめは、玄関で靴を脱いだあと、いつものようにリビングの前を通り過ぎ自室のある二階へ上がろうとした。そのとき、たまたまついていたリビングに置いてあるテレビから、あるニュースが耳に流れ込んできたのだ。
『九人がチームを組んで戦うVR eスポーツ、「人間チェス」の国際大会で史上初めて女性プレーヤーが大会MVPに選出されしました。史上初となる女性戴冠者、その名は嵐龍!』
思わず顔を向けたテレビに映しだされていたのは、中国の三国時代の軍装に身を包んだ軍勢と、古代ローマの軍装に身を包んだ軍勢が、激しい攻防を繰り広げる場面だった。
嵐龍
中国軍とローマ軍、どちらも軍勢の総数は九人。彼らのいる空間は升の形をした巨大城壁に
よって囲われており、地面には乾いた砂のみが広がっている。
升形コロッセオの内側で対峙する、人数を九人でそろえた二つの軍勢。
まぎれもなく、VR eスポーツ『人間チェス』の対戦風景だ。
二〇三〇年代におけるVRは仮想現実に五感を繋ぐフルダイブVRではなく、VRゴーグル、VRスーツで視覚&聴覚&触覚を表現するタイプのVR、いわゆる3VRだ。
3VRにおいてはプレーヤー本人のありのままの身体能力が『ステータス』となる。
そのためこの世界で上を目指す者には必然的に、現実世界における生身の身体でもって武器をあつかう技術――武器術――を習得する必要性に迫られることになる。
武器、盾、兜、鎧。各々に自分の装備を纏ったアバターキャラたちが、古代ローマのコロッセオをほうふつとさせる巨大闘技場の内側で、敵軍の王を討つべく戦いを繰りひろげる。
敵味方が入り乱れ乱戦の様相を呈しつつあるこの戦場には、一人だけ異次元の輝きを放つ兵士がいた。この兵士こそ戦場における唯一の女性プレーヤー、嵐龍である。
ボブヘアーの美しい黒髪を靡かせながら、嵐龍は痩躯の女性ならではの軽快な動きで敵兵を翻弄する。
ふわり、ふわり、ふわり。風に舞う落葉をほうふつとさせる、軽快にして不規則な動き。
予測が難しいその動きの合間に小剣による斬撃を放ち、敵を一人、また一人と屠っていく。
戦っているというよりは、軽やかな舞を踊っているように見える挙動。
それは中国伝統武器術、『酔剣』の動きに他ならなかった。
嵐龍の酔剣には、敏捷性や柔軟性といった女性特有の武器がいかんなく発揮されていた。
彼女は兜はかぶらず、 彼女は兜はかぶらず、胴には筒袖鎧――三国時代に軍の主要な甲冑として使用された、鱗状の小札を隙間なく重ねて作る鱗鎧――を纏っている。
守りを捨てているからこそ実現できる悪魔的なスピードに、長方形の盾と鎧兜で身を固めた重装のローマ兵はまったくついていくことができず、なすすべもなく切り伏せられていく。
美しくも恐ろしく、凛々しくも猛々しい。中国伝統武器術『酔剣』特有の流水を思わせる優雅な剣舞を実況者は絶賛し、ファンは喝采を送る――そんな光景をテレビ越しに見た一一歳の私は、頭を強くぶん殴られる感覚を味わうほかなかった。
初めて経験する体の芯から湧きだす興奮に身を震わせながら、私はこのとき悟った。
この世界が女性が大きな夢を抱ける世界ではないというのは、私個人の勝手な思い込みに過ぎなかったのだということを。
この世界が今も女性にとって閉ざされた世界であることは、厳然たる事実だ。
でも、だからこそ。
私たちの世代の頑張りで、これから切り拓いていくことができるんだ。
この世に完璧な人間というものが存在しないのと同じように、完璧な世界というものももしかしたら存在しないのかもしれない。
でも、だからこそ。
どんな時代に生まれたとしても、人は必ずなにかと戦うことができるんだ。
あの人、嵐龍がそうしてみせたように。
私も、世界の壁と向きあおう。
そして。
物語を創っていこう。
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