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主人公の流儀
左:砂川乃亜 中央:青追駈 右:春瀬ゆめ
VRスーツを着た男が激烈な速度で四肢を振っている。
手刀にした双手と、踵を浮かせた足を激しく動かす姿はさながらアスリートの疾走だ。
しかしそうやって運動をしている割に、彼はまったく移動をしていなかった。
自身が乗るニメートル四方の四角い台の中心部に、いつまでも留まり続けているのだ。
直線的に走るだけではなく、男はときにコーナリングするように体軸を傾けたりする。
踵を返して、逆走することもある。
走るだけではなく、ジャンプもする。
側転したり、前転したりもする。
本当に、ありとあらゆる種類の運動をしているのだ。
にも関わらず男は、一貫して四角い台の中心部に留まり続けている。
台の中心部と男の間に、強力な磁力が働いているのか? 原理を知らない人が見たら、そのように思うだろう。
この不思議な現象の謎を解く鍵は、男の足元の四角い台にある。
二軸ランニングマシン。二〇二九年に実用化されたこの装置の、縦にも横にも斜めにも人間の歩行や走行を相殺できる機能が、運動する男を台の中心部に留まらせていたのだ。
二〇三九年の正月、一二畳の居間に置かれたテレビが飛んだり跳ねたりするゲームキャラを映し出していた。このキャラの動きは、画面端の小窓に映るプレーヤーの動きと完全にシンクロしている。これはVR eスポーツ「VRスーパーマーリオ」の競技風景だ。
VRスーパーマーリオは、ザコ敵と障害物と穴への転落を回避しながらゴールを目指すアクションゲームだ。クリアタイムを如何に短くするかを考えればいいだけのシンプルなゲームなので、大人から子供まで幅広くユーザーがいる。その競技人口は、全世界で数千万人にもなる。
安定した人気の高さから、VRスーパーマーリオは二〇三九年現在、VR eスポーツ国際大会の定番種目となっていた。正月早々、ゲームのプレー画面をテレビ視聴者として見ることができるのは、そういうわけがあってのことだった。
億単位の高額賞金をかけて競われるプロプレイヤー達の熱き戦いを、中学二年生の青迫駈は、こたつに入りみかんを食べながら観戦していた。
駈が一個のみかんを食べ終わり、次のみかんに手を伸ばそうとした瞬間、VRスーパーマーリオのトッププレーヤー「フェルディナンド山崎」の出番が回ってきた。
客席からの大声援に、長身のフェルディナンド山崎が手をふって応える。華々しいその光景に見入りながら、駈は同じこたつに入っている祖父に呼びかけた。
「なあ、じーちゃん」
祖父はややあって、「ん?」と返してきた。中継に見入っていたのだろう。
「俺ってさ、今まで主人公ってマンガやアニメの中にだけいる存在だと思ってたんだよ」
少しの間、言葉を切る。祖父は何も言わない。無言のまま真意を計っているのだろう。
「でもさ、そういうわけでもないのかな」
駈の視線の先で、フェルディナンド山崎が所定の位置、すなわち二軸ランニングマシンの中心部に立つ。大人らしい悠然とした立ち姿だった。その勇姿に見入ったまま、駈は言葉を続ける。
「現実世界にも、主人公みたいな人っているんだな」
「ふぅむ……」
祖父が老人特有の呻きに似た小声を漏らす。そのまま沈黙する。呻きの背後にあるものがなんなのか、駈が考えをめぐらそうとしたまさにその瞬間、小窓の中にいるフェルディナンド山崎が爆走をはじめた。プレーが始まったのだ。
暴走機関車顔負けの鬼気迫る走りに、駈は一瞬で目と心を持っていかれてしまった。
直前に祖父と交わしていた話さえ、頭の片隅に消えてしまう。
「駈は、主人公になりたいのか?」
唐突に意識が引き戻される。抜殻の体にスッと、魂が戻った。そんな感覚だった。
「なりたい……俺が?」
思わず、駈は祖父の面をまじまじと見つめてしまう。
見つめた面には朗らかな微笑が浮かんでいた。仏様を思わせる、優しげな笑みだ。
「なりたい……のかな」
目をそらし、腕を組み考える。
「なりたい……かな。やっぱり」
「そうか」
同じ笑みを貼ったままの面が、こくこくと縦にふられる。それから、逆三角形の白髭がバネのように震え、口が動く。
「なりたい……とすれば駈、お前はどんな主人公になりたいのじゃ」
「どんな主人公……」
引き続き腕を組んだまま、考える。
「どんな主人公だろうなぁ……」
勇者。魔王。賢者。異能力者。霊能力者。武道家。スポーツマン。プロゲーマー。
改めて考えてみると、この世は本当にありとあらゆる「主人公像」で溢れている。
探偵。泥棒。ヒットマン。パイロット。スパーヒーロー。ダークヒーロー。
考えれば考えるほど出てくる。
「う~ん……ちょっと混乱してきたなぁ」
ほてった顔を両手で覆い、ふにゃりと仰向けになる。
「俺はいったい、どんな主人公になりたいんだろうなあ……」
「そんなに真剣に考えこまなくてもよいのじゃぞ」
「いや、でも……なんか自分自身が気になるっていうか」
「そぉかい」
しかし、考えても考えてもわからなかった。
「どうしてわからないんだろうなぁ~」
「いくら考えてもわからんということはつまり……」
塞がれていない耳に、祖父のしわがれ声が届く。
「どんな主人公になりたいというよりは、主人公そのものになりたい……というのが、駈の真の願いということなのではないか」
真の願い……
主人公そのもの……
「言われてみれば……たしかにそうかも」
身を起こし、祖父と目を合わせる。
「確かに俺は、どんな主人公になりたいというよりは、主人公そのものになりたい……気がする」
そうかそうかというように、祖父は頷きをくり返す。そして、その頷きが収まる前に、早くも次の問いを投げてくる。
「駈はいったい、主人公の何にそんなに惹かれるのじゃ?」
「何って、そりゃあ……」
つかの間、腕を組み考える。
「やっぱり、目立つところ? どんな物語においても、その物語の中で一番目立つ存在っていうのは、やっぱり主人公じゃん?」
「なるほど、一番目立つ存在か……」
朗らかだった祖父の顔つきが、この日初めて神妙なものへと変化する。
「主人公は物語の中で一番目立つ存在……たしかにのう」
笑みを忘れたまま呟く。真剣になにかを考えこんでいるようだ。
「じーちゃん?」
「……ん? ああ、すまんの」
少しの間を置き、祖父が微笑みかけてくる。そのまま面に笑みが貼りつく。
「つまり駈は、物語の中心としての主人公になれるものならなりたいと、そう思っているということじゃな?」
「う~ん……まあ、そうだね」
唸って捻りだした間違いない結論のはずなのに、語尾が勝手に心許なくなってしまう。言った言葉に自分自信が違和感を感じている証拠だ。残された違和感。それは……
「でも、現実世界は甘くないからなぁ~」
腕組みをしたまま、かくんと頭を垂れる。
「特に俺みたいな何をやっても平均値な、平凡な子供には、甘くない……」
「たしかにのう……」
「そこは否定してくれよぉ! じーちゃん」
天井に向かって喚く。
「すまぬすまぬ」
と、祖父は謝ってきたが、その声には笑いが滲んでいた。苦笑しているのだ。しばしの静寂を挟んで、
「じゃが、駈よ」
祖父は言った。いつもの平らかな声音だった。
「これはおもに少年誌の話じゃが……どんな物語の、どんな主人公だって、物語が始まった時点では、駈のように平均的な……というよりむしろ、周囲より劣った存在になっているものじゃろう」
「そっかなぁ……」
腕を組んだまま、可能な限り少年誌の主人公を思い浮かべてみる。
「いやでも、考えてみるとそうかも」
「じゃろう」
「いや、でもさ」
失念していた事柄に気づく。
「今は、現実世界は物語と違って厳しいって話をしてたところじゃん」
わざとじっとりした目を作る。その目で、祖父を訝しげに見つめる。
「少年誌の主人公が大抵最初は弱いっていうことと、現実世界は物語と違って厳しいっていうことに、いったいなんの関係があるっていうのさ」
「関係? ……ないことはないさ」
言いながら、祖父は中空を見やる。一点を見据えたまま、薄く平たい唇を震わせる。
「物語の根本は登場人物の成長と変化。成長と変化すなわち、物語。物語すなわち、成長と変化。そういうものなんじゃ。じゃからこそ、壮大なスケールの物語の主人公にはなによりもまず伸びしろが求められる。少年誌の主人公が大抵最初は弱いというお決まりの裏には、そういう事情があるのじゃ」
「伸びしろ……」
駈に微笑みかけながら、祖父は浅く頷く。
「長編の物語には、スケールがなによりもまず求められる。では、そのスケールとはなにか。駈にはわかるかの?」
「スケールとはなにか……」
唇をへの字にして考える。んーーと唸っているうち、ある閃きが走った。
「スケールとは何か……それこそが伸びしろ……ってこと?」
「そういうことじゃ」
よくできました、とでもいうように、祖父はうんうんと首を揺らす。
ようやく話に一区切りがついた。そう感じた駈は、首を逸らし天を仰ぐ。
「伸びしろかぁー」
「伸びしろじゃ」
鸚鵡返しに祖父は言う。好々爺然としたその態度が、駈の胸内にある疑念を抱かせた。
これって、つまり……
「――つまりじーちゃんは、駈には伸びしろがあるから主人公っぽいよって、はげましてくれてるわけね」
わざと不貞腐れたように言った。
「はげます……?」
祖父の声に惑いの色が滲む。
「まあその気持ちがないとはいわんが、わしはさっきから一貫して、自分の本心だけを語っておるつもりじゃよ」
「……そうなの?」
「うむ」
老いを感じさせない聡明な目を細めながら、祖父は浅く頷いた。どこまでも自然な笑顔だった。その笑みを見ているうち、駈はふと、自分の胸に照れが湧いてくるのを感じた。
「ふ~ん」
けだるげに呟き、顔をそらす。照れを隠すための意識的なそっけない態度だった。そのままテレビに顔を向け、頬杖をつく。数分ぶりに目をやったテレビには、白く明滅する長躯のシルエットが映し出されていた。そのシルエットを見た瞬間、駈は思わず息をのむ。
「うっわ、やっぱりフェルディナンド山崎が優勝なのか」
明滅する長躯の正体は、VR eスポーツ「スーパーマーリオ」の優勝者として絶え間ないフラッシュを浴び続けるフェルディナンド山崎だった。
重そうなトロフィーを片腕で抱きかかえながらも、山崎は客席の歓声に律儀に手を振って応えていた。スポーツマンの鏡と呼ぶべきその姿に、駈は心を大きく揺さぶられる。それからは、無心で画面を追うことしかできなかった。
駈が次に我に返ったのは、画面がCMに切り替わった後のことだった。
ほぉっ。水面に出たように息を吐く。
そのとき初めて、自分が今までずっと息を飲んで画面を見守っていたことに気づく。
それから駈は、肩で息をしながら少しづつ冷静さを取り戻していった。
ちょうど息が元に戻ったところで、CMが終わった。そして、ハイライトが始まる。
山崎の偉業を振り返るハイライトを見ながら、駈は腕を組んだまま感嘆の息を漏らす。
「……あれだけ日本の切り札とマスコミにプレッシャーをかけられながらも、本番でしっかり実力を発揮してみせるこの強心臓……いや、やっぱり半端ないわこの人」
信じられない。そういう気持ちを込めて、いやいやをするようにかぶりを振る。
「これこそ、主人公だわ」
「駈ー! もういくわよー」
少し離れた場所に停めてある車から、急かす声が飛んでくる。
「はいはいー! ちょっと待ってー!」
その車の助手席に座る母に、駈は険のある声を返した。それから首をひねり、軒下に立つ祖父母に向き直る。やはりというか、祖父は昨日と同じ和やかな笑みを浮かべていた。
「じーちゃん」
言いながら駈は、自分を見つめる着物姿の祖父を見つめ返す。
「昨日はありがとう」
辞儀をせず、口だけで礼をいう。孫らしく、屈託なく述べた礼だった。
「昨日じーちゃんがしてくれた話は、どれも興味深い話ばっかりだったよ」
祖父の顔の中で、眉尻だけが心もち下がる。感慨に浸っている。そう感じられる笑み方だった。その笑みを貼った面がまた、そうかそうかというように縦に揺れる。
「教えてやれることは、まだ山ほどある」
「ほんと?」
無言のまま、祖父は頷く。
「スゲー……」
ため息混じりにつぶやく。
「ていうか、いったい何者なんだよじーちゃんって」
「いつかわかる日が来るさ」
「なんだよその曖昧な言い方~!」
やってられっかとばかりに天に吼える。すると、祖父は顔全体をくしゃりと綻ばせて笑んだ。駄々をこねるような態度を面白く感じたのだろう。
「あ~もう、気になる~!」
「駈~! なにやってるの早くしなさい!」
「はいはい、今行くよ!」
怒声に怒声で応じる。一息を吐き、祖父母に向き直った。別れの挨拶をいわなきゃ。そう思い息を吸ったとき、先を制するように祖父の逆三角形の鬚が動いた。
「では、次に会ったときには教えよう」
「えっ……?」
思いがけない言葉だった。
「……まじで?」
呟くように問う。すると祖父はまた、無言で頷いてみせた。どうやら、本当らしい。
「まじかぁぁぁーーー! よっしゃぁぁぁーーー!」
両の拳を握りこみ、雄叫びを上げる。今にも走り出したい気分だった。
「そんなにはしゃぐことでもなかろうに」
「んなことないよー。俺にとってはすげー気になることなんだから」
「そうなのかい」
「駈ー!」
「はいはいはい、今行くって!」
不良っぽく舌打ちし、また祖父母に向き直る。
「じゃあ、行くよ」
「ああ。またな」
「学校の春休みにまた、遊びにおいで」
駈から見て祖父の左隣にいる祖母が、微笑みかけてくる。
「ああ、絶対くるよ。なんたって……」
言葉を切り、駈は視線を右へずらした。祖父と目があう。
「なんたって……次に来たときにはじーちゃんの秘密がわかるんだから」
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