青春バディ

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「今はもう一つしか置いてないんだけど……」  言いながら、ゆめは胸の高さまでもちあげた左手を上にむける。その手が示す先には、大型の赤いキャリーケースが置かれていた。 「このあたりがIoTキャリーケースの置き場になっていたの」 「あ、あいおーてぃー……?」 「IoTはモノのインターネットを意味する言葉。IoTキャリーケースは、直訳すると常時インターネットに接続されているキャリーケースという意味になる」 「これってたしか……中に入れた武器や防具をデータ化する機能を備えてるんだっけか」 「うん。ケースの内側には無数のセンサーが張り巡らされてて、それが中に入っているものをくまなくデータ化してしまうの」 「ケースでありながら、スキャン装置みたいな」 「そう、そんな感じ」 「今はもう一つしか置いてないってことは、かつては部員一人一人が自分のIoTキャリーケースをもってきて、ここに置いてたってことか」 「そういうこと」 「なるほどね」  かつては多くの部員が在籍していたが、ある事件をきっかけに廃部してしまった港区立青山中学校VR eスポーツ部の部室。学校側が用意した設備であるナイン・スクエアは残っているが、部員各人がもちこんだ私物であったIoTキャリーケースだけは姿を消してしまった。なんとも物さみしい風景だ。 「残ってるその一つは、春瀬の?」 「うん」 「マネージャーだったって話だけど、自分のアイテムもちゃんともってたんだな」 「部での役割はマネージャーだったけど、私も一応eスポーツチームの一員だったから」 「へー、じゃあ試合に出たこととかもあんの?」 「一度だけ、出場したことはある。部長が怪我をしたときに、棋士の代役として」 「棋士ってのは人間将棋におけるチームキャプテンだろ?」 「それだけじゃない。棋士はチームキャプテンにして、戦術担当者にして、それが倒されたら負けっていう将棋の王将に等しい存在でもある」 「その代役って……すげーな」  思わず感嘆の息を漏らしてしまう。 「すごいというか当然の人選よ。私は今も昔も学年一『ここ』がいい人間なんだから」  言いながらゆめは、自分の額の上へ人さし指をもっていく。 「それって……」 「成績学年トップってこと」 「うへぇ、マジか」  春瀬ゆめ。堂々としたふるまいからエリートに違いないとは思っていたが……まさか学年一位の知性の持ち主だったとは。 「てゆうか、うへぇ、ってなによ?」  ゆめの凛とした眉が寄る。 「いや別に深い意味は……」  引きつった笑みを浮かべつつ、駈は両手を上げる。降参のジェスチャーだ。 「そう?」  ゆめは両眉を上げ、すまし顔を作る。笑っていない目が怒りに燃える胸内を物語っているように感じられたため、駈は急遽自身の防衛本能に従いこくこくと頭をふっておくことにした。しかしゆめは、その反応にそっぽを向くようにぷいっと顔をそらしてしまう。  キャリーケースの前に立ったゆめが取っ手を握り膝をつく。駈はその隣に寄りそった。  ダブルファスナーが開けられ、ケースが二つに割れる。  内側に隠されていたのは、白い閃光だった。  眩しい。目蓋が勝手に閉じてしまう。強い光から目を守ろうとする人体の防御反応だ。  いま現れたのはなんだ? 鎧? 本当に鎧なのか?  鎧サイズの、複雑な形状をもつ立体物が目に刺さるほど強い光を放っていた。それだけはまちがいない。だがしかし、それ以上のことは思いだせない。  目を開けて確かめてみるしかない。  おそるおそるという風に駈はゆっくりとまぶたを持ちあげる。緩慢なその動きは、途中で大きく加速することになった。 「おおおうッッ!?」  思わず変な声をあげてしまう。  まぶしい光源の正体。それは、全面が真珠のような光沢を放つ煌びやかな鎧だった。 「なんッッッじゃこりゃっ!?」  目ん玉と鼻水が同時に噴きだしそうになる。  胸あて、肩あて、肘あて、小手、脛あて。細部まで作りこまれ、そして磨きこまれている。  レプリカとか、コスプレ用品とか、そういう次元ではない。  本物の、西洋式の甲冑。目の前に現れたのはそう呼ぶにふさわしいものだった。 「すげー……ピカピカに光ってる」 「当然でしょ。現代の甲冑師が制作した、本物の西洋甲冑なんだから」 「たしかに本物だな……これは」  ふと、あることに気づいた。 「この鎧、ウエストがずいぶんと細いな」 「まあ、それは女性用の甲冑だからね」 「女用の甲冑なんて、はじめて見たわ」 「ジャンヌ・ダルクの甲冑」  幾許かの時が流れたところで、ゆめがぽつりと呟いた。 「じ、ジャンヌ・ダルクぅ!?」  素っ頓狂な駈の叫びに対し、ゆめは淡々とした口調で、「うん」と答える。 「イタリア式ゴシック甲冑っていうんだけど……英仏百年戦争の後期に主流だったものなの。ミラノ式甲冑とも呼ばれてる」 「ヘェーッ……」  心躍るワードが一気に飛びだしてきて、若干頭が混乱してきた。 「あのさ」 「なに?」 「これ、触ってみてもいい?」 「え、えっ……?」  しばしの間もじもじと身じろぎを続けたあと、ゆめはいじらしく静かに頷いてみせた。 「う、うん。少しだけなら……」 「おおっ! よっしゃ」  手を伸ばそうとした矢先、「あの」と声をかけられる。 「少しだけだよ?」 「はいはい、わかってますって」  今一度、甲冑の全体をまじまじと見つめる。  ウエストのほっそりした神秘的な女性用西洋甲冑が、陰影のグラデーション効果により白・銀・鉛色という三種の光を湛えている。まさに息を呑む美しさだ。  この鎧の、どこに触れるか。そういう視点で眺めたときにまず目にとまるのは、やはり全パーツの中で一番大きく膨らんだ箇所である胸部だった。  手が、勝手に吸いよせられていく。触れたまさにその瞬間、 「あっ」  小さな叫びとも、嬌声的ななにかともとれる声を隣にいる女子が零した。  このとき、駈も思わず叫びそうになる。  氷に触れてしまった。そう思わず錯覚するほどの冷たさを、手のひらに感じたからだ。  触れたその一点から全身の体温を吸いだされ、奪われていく。そんな感覚がある。要するにこれは、見た目通り本物の鉄ってことだ。  理解を一つ得た。次は、触れたその手で撫でてみることにする。 「うお、すっげ滑らか」  ザラザラではなくツルツル。抵抗というものを感じない。それどころか、自走式掃除機のように指が勝手に滑っていく。ワックスでも塗っているのか。思わずそう感じてしまうほど、滑らかな手触りだった。ついクルクルと撫でまわしてしまう。 「ち、ちょっとっ……!」 「ほえ?」 「そこは一応、女性の胸にあたる部分なんだけど」 「胸?」  駈は小首をかしげる。 「いや、胸っちゃ胸だけど……これは別にただの鎧じゃん?」 「ただの鎧じゃないから!女性用の鎧」 「女性用の……」  頬がヒクヒクと痙攣し、声がひきつってしまう。 「そ、そっすね。その通りだと思います」  下手に口ごたえしても面倒なことになるだけなので、素直に従うことにする。  胸はダメ。胸から目を外す。するとウエストのさらに下、腰あてに自然と目が行った。この甲冑の腰あては、桔梗の花弁をひっくり返したような尖った形をしていた。それは機能性というよりは、造形美を重視したデザインという風に感じられる。  見れば見るほどかっこいい。  思わず、手を伸ばしていた。白銀に輝く花弁にそっと手を添わせる。その手を、曲線的な形状を確かめるようにずずずと運んでいこうとした矢先、 「え、ち、ちょおっとっ!」  ゆめが調子の外れた声で叫んだ。 「へっ?」 「そこは、女性の腰まわりの部分!」  バチン!  耳をつんざく叫びとともに、頬に物理的な衝撃がきた。  とっさに回避しようとした矢先の出来事だったので、駈はバトルマンガで言うところのエネルギー弾をくらった人物のように大きく吹っ飛び、壁に背を打ちつけることになった。 「んがはっ!!」  このときの打ち所が悪かったのか。霞に包まれるように、意識が白くぼやけていく。  俺は死ぬ……のか? と思った矢先。  バタン!  IOTキャリーケースが乱暴に閉じられる音が響く。 「男子なんかに見せたのが間違いだった!」  スカートが膨らむほど勢いよく身をひるがえし、ゆめが去っていく。ずかずかとした足どりが憤懣を伝えてくる。 「ちょ……おい、待てって!」  あわてて立ちあがろうとした、その時。 「ひゃっ!?」  ゆめの片足が滑る。バランスを失った体が後ろに傾きはじめた。 「ひゃわわわわーーっ!」  両腕がクロール選手さながらにぶんぶんと回る。もちろん空気をかき分けたってなんの意味もないわけだが、そんなことすらわからないほど今のゆめは錯乱しているのだろう。  このままいけば確実に、後ろむきに転倒する。  後頭部が床に叩きつけられ、意識を失うほどの衝撃を受け、そして……  悲劇。そう表現するしかない光景が、駈の胸内によぎった。思考したわけではない。像が勝手に浮かびあがってきたのだ。  ダメだ。そんな風に倒れちゃダメだ。  焦りが胸内に膨れあがったまさにそのとき、駈は自分の身体の深いところになにかがすっと降りてくる感覚を覚えた。直後、枷が外れたかのように勢いよく四肢が動きはじめる。  手を伸ばし、走りだす。意識的にではない。自分が今まで知らなかったなにかによって突き動かされている。体が他の誰かに操られているような、不思議な感覚。しかし不快ではない。むしろ高揚している。それは青迫駈という青年にとって未知なる体験だった。  これは……  そう、これはまさに……  駒…… 「――っと」  ふと気づくと両手がなにかを押さえていた。手に収まる大きさの左右対称の丸いもの。白くなっていた意識を収束させると、丸いものの正体が女子の肩であることがわかった。直前まで溺れるようにもがいていたゆめは、今は電池が切れたようにくたりとおとなしくなっていた。  俺は、間にあったのか。 「大丈夫か?」 「……うん」  華奢な肩がゆっくりと膨らんで、萎む。安堵の息を漏らしたのだろう。 「あ、ありがと」
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