知られざる日本固有の板金鎧、短甲

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 外に出て視線をめぐらすと、そう遠くない露店の前を銀色の背中が過ぎようとしていた。  行き交う歩行者の間を機敏にすり抜けながら、ゆめはその背中に声を浴びせる。 「ちょ……ちょっとそこのあなた!」 「……ん?」  金属製の靴を履く足が止まった。ゆらり。甲冑がひるがえる。体格のいい戦士に似あう、のんびりしたふり向きだった。鋭い切っ先のような目が一瞬、胸内をちらついた。先ほど駈が肩をつかまれたときに見つめあった目だ。あの目がまた、来る。無意識にそう思い、駈は思わず身がまえた。  吊り上がりも吊り下がりもしていない、切れ長の目と目が合う。  その目は、先ほどの鋭さを微塵も残していなかった。  凪いでいる。  風のない日の湖面のように穏やかで、なんの感情も写していない。  吊り上がりも釣り下がりもしていない、切れ長の凪いだ目。  まさに仏像の目だ。  その目が、駈の目線を受け止めた直後、少しだけ大きくなる。 「ああ、きみか」 「なんなんですか今の」  駈の左隣にいるゆめが、相手が言い終わるのを待たずに問う。 「は?」 「今の店で起きたことですよ!」  怒鳴りながら、ゆめはたった今自分が飛び出してきた武器屋に人差し指をむける。 「何が何だか理解できなかったんで、ちゃんと説明してもらいたいんですけど」 「いや……知らない奴からいきなり怒り狂われても、わけわかんねーんだけど」 「いや、だから、わけわかんないのはこっちなんです」 「はぁ……?」  甲冑戦士の眉が寄る。二〇センチ高い位置からゆめを見下ろす目が、不快げに細められる。腐臭を嗅いだような顔つきだ。  一体なんなんだこいつは。  そういう心内が、透けて見える。 「わけわかんないって、なにがわかんないんだよ」 「そんなの買ったばかりのアイテムをあの店に置いてきたことに決まってるじゃないですか」 「アイテム? ……あぁ」  目同様に平たい甲冑戦士の眉が持ち上がる。はっと気づいた、という風な顔だ。ようやくこちらが抱いている疑問の中身を理解してくれたらしい。  一〇万の剣を買ったと思いきや譲り渡した、あの行動の真意とは一体何だったのか。その謎が、ついに語られる時が来た。  駈は胸をときめかせて待つ。  しかし、甲冑戦士が満を持して語った真実は、駈とゆめを唖然とさせるものだった。 「いや、あれはべつに、そんなに深い意味はないんだけど」  ぽかり。口が半開きになる。  一瞬言葉を失ったあと、駈は詰まった息を押し出すように一発、奇声を放った。 「はぁっ!?」  高校生くらいに見えるプレーヤーが、通りすがりの少年に、特に深い意味もなく一〇万円ぶんのアイテムを譲り渡した。  この真実は、ちょっと、いくらなんでも、予想外すぎた。 「いや……いやいやいや」  ゆめはこれでもかというほど、目を大きく見開く。 「ありえないです、そんなの」  ゆめは顎を上げ、強い眼差しで相手を睨めつける。 「一〇万もするアイテムを深い意味もなく、知らない相手にゆずり渡す……それって、普通の人間がすることじゃないですよね」  甲冑戦士の眉根がひくりと動いた。視線が横に流れる。まずいところを突かれた。そんな反応だ。沈黙したまま目をそらし続ける相手に、ゆめは半歩つめよる。 「あなたは一体、何者なんですか」 「何者……?」  低く呟きながら、甲冑戦士は逸らしていた視線をゆめに戻してくる。睨めつける、とまではいわないが、強い眼差しだった。つかの間垣間見えた惑いの色は、もうない。その目をゆめに向けたまま甲冑戦士は、 「俺は別に、何者でもねーよ」  さらりと言い捨てる。 「何者でもない人間が、戦士の格好してるって、おかしくないですか?」 「べつにおかしくはねーだろ。ここはプレーヤーが集う場所なんだから」 「プレーヤー?」  問うように呟く。 「プレーヤーって言いましたか? 今」 「いや? 言ってない」  甲冑戦士の視線が明後日の方向を向く。 「いや、言いましたよ。間違いなく」 「だから、んなこと言ってないって言ってるんだろ」 「じゃあ、なんで急に落ち着かないそぶりをみせ始めるんですか」  ちっ。舌打ちの音が響く。長い眉が寄り、忌々しげな眼差しが戻ってくる。 「プレーヤーだったら、なんだってんだ」 「プロプレーヤーなんですか?」 「どこまでも果てしなく踏み込んでくるな、お前」  羽根飾りのついた兜が、がくりと前倒しになる。前のめりに倒れる一歩手前のところで踏みとどまると、重々しい動作で体を起こす。 「プロ……まぁ、プロっていやあプロだよ」 「プロっていやあって……なんか曖昧な言い方だな」  言いながら、駈は顔を歪めてみせる。 「お前は少年探偵かなんかなのか」  甲冑戦士の視線がゆめから駈へ移る。 「いや、別にそういうキャラを目指してるわけじゃないんですけど……」  甲冑戦士の頬が二、三度ひくつく。 「なら、どういうキャラを目指してんだよ」 「どういうキャラ……」  小さく呟いていた。視線を斜め下に流す。  どういうキャラ……いや、どういう存在に、俺はなりたいのか。  あらためて考えてみる。 「プロっすね」  思考をめぐらしている最中に、言葉が口をついて転がり出た。  いや、違うな。  自分の言葉に違和を感じ、駈は再度、口を真一文字に結ぶ。  プロっていうのは、当面の目標ではあっても、目指すべき最終地点ではないだろ。  青迫駈。  お前はどういうキャラになりたいんだ。どういうキャラを目指してんだ。  そう問われたとき、返すべき返答。  それは…… 「嵐龍っていうラスボスに挑む主人公……っすかね」 「嵐龍がラスボス……」  甲冑戦士の口の端が綻ぶ。 「素人感丸出しの例え方だな」  顎を上げ、笑い交じりの声を漏らす。その語調には、相手を揶揄する響きがあった。 「大方、最近のウォレス引退のニュースを見て影響を受けたクチなんだろ」 「え? いや……」  まったくもってその通りなんだけど。  その通りなんだけれども。  そうです。ってここで素直に言ってしまったら、確実にあざ笑われる。そう感じる。  他者から嘲笑われ、見下されるようなことを言うな。  理性が、いや本能が警告を発する。  でも……  違いますと誤魔化したところでどうなる。  そのままこの話から逃げて、この人からも逃げて、人間将棋というスポーツからも逃げる。そういう自分の未来が、ふと脳裏を過った。  それじゃダメだろ。  自分に対する自信を失って、尻尾を巻いて逃げ帰るくらいなら――鼻で嗤われることを覚悟しても、俺はここで今、正直に言うしかない。 「そうっすけど……」  意を決して発したつもりが、なんら勢いのない掠れ声になってしまった。  悔しい。  甲冑戦士の幅の広い両肩が少し持ち上がる。 「ふーん、やっぱりな」  口調こそ嫌味ったらしいものだったが、その口調に似あうような下卑た笑いを顔に浮かべているわけではなかった。目は凪いでいて、ほとんど無表情に近い。  少年にクレイモアを買い与えたシーンからそうだったが、この人は内心で何を考えているのか、駈にはよくわからない。わからないというか、計り知れない。  でもそうやって理解しがたい相手だからこそ、もしかしたら自分の嗅覚は「ここを掘れ」と告げているのではないだろうか。  駈がそんな気づきを得たところで、甲冑戦士が口を開いた。 「嵐龍……シェ・クゥシンが強いのは、まあ確かに事実だよ。実際、時代を席巻してるしな。でも、唯一の特別な存在とは、俺は思わないな」  筋肉質な腕を組んだまま、甲冑戦士は視線を横に流す。 「人間将棋の世界には、嵐龍以外にもラスボスみたいな奴はいる。スキピオ、ハンニバル、ヴァイキングのイングリッド様とかな。そのあたりのプレーヤーは、年をまたいでコンスタントに結果を残すことで、自分たちが強者であることを証明してきた。  でも、嵐龍は違う。  嵐龍はまだ、そこまでの域には達していない。嵐龍が今、特別な存在に見えるのは、嵐龍戦術っていうまったく新しい戦術に時代が対応できていないからなんだよ。ふわりふわりと掴みどころのない嵐龍の特質を生かす、嵐龍戦術。それが研究されつくしたときに、嵐龍はまだ唯一絶対の戦士でいられるのか。それは、今の段階ではまだ誰にもわからないんだよ」 「今の時点では、まだわからない……」  低く呟く。顎を引き、甲冑戦士の横顔に上目遣いの視線を突き刺す。 「でもそれは裏を返せば、少なくとも今は、嵐龍はまぎれもなく全人間将棋プレーヤーを上から見下ろす、ラスボス的な存在ってことなんじゃないっすか?」  すっ。甲冑戦士の黒眸が動き、駈を見つめ返してくる。思わず息を呑んでしまうほど素早い、視線の動きだった。 「――まあ、そうなのかもしれない」  しばしの間、窺うような眼差しを駈に注いだ後、甲冑戦士は平らかな声音で言った。 「何ヵ月もつのかはわからないとはいえ、現在の人間将棋界において嵐龍はラスボスであることに変わりはないのかもな」  そこで、甲冑戦士は薄い笑みを零す。 「解説者の安木松太郎は嵐の時代とかなんとか言ってたが……まあ実際今は面白い時代なんだと思うよ。そういう、人間将棋を俯瞰的に見る人達にとっては」 「俯瞰的……?」  駈は目を細め、問う。 「始めたばかりのお前には、今はまだわからないだろうけど」  駈の真っ直ぐな視線を流し目で受け止めながら、甲冑戦士は言葉を継ぐ。   「人間将棋は一年や数年で幕を閉じるものじゃない。定常的に存在し続けるスポーツなんだ。だから、特定のチームやプレーヤーを年単位で応援している人がいる」  思わず目を瞠る。  絶叫し激しく地面を殴りつけるスコットランドファンの姿が、ふと脳裏に蘇ったからだ。 「そういう人たちにとっては」  甲冑戦士の声が耳に届き、我に返る。 「こないだの試合っていうのはどちらかといえば、悲劇とか悲惨っていう意味合いのほうが強いんだよ」  悲劇。悲壮。悲惨。  怒り。  嘆き。  涙。  スコットランドファンが嘆き狂うあの場面から、駈はそういったものを確かに感じとっていた。そして今日、それとほとんど同じものを、さっきの男の子の背中からも感じた。 「つまり、お兄さんは……」  足元に落としていた視線を上げ、駈は改めて甲冑戦士を見つめ返す。 「人間将棋歴の長いベテランとしてさっきクレイモアの前に立っていたあの男の子の心の傷を理解した、だから放っておけなくてあんなことをした……そういうことなんっすか?」  駈の問いに、甲冑戦士はろくに答えなかった。答えるかわりに、首を僅かに捻り顎を上げる。その視線の先には、赤い雲があった。腕組みをしたまま口を開く。 「どんなに眩しい太陽も、いつかは沈む」  甲冑戦士は眉を寄せ、表情に苦悶の色を滲ませた。 「自分の英雄が消える日が来るなんて、考えたくもない」  斜陽に輝く雲に見入ったまま、呟く。  腕を組んだまま微動だにしない甲冑戦士の視線の先で、夕日が輝きを増していく。光はやがて迸り、地上を広く橙色に染め上げた。その光はもちろん、夕日を見つめる甲冑戦士にも降り注いだ。白銀の胸甲がここぞとばかりに煌めく。煌めく。煌めく。  夕日と甲冑戦士が、果てしない距離を挟んで互いに見つめあっている。  そんな風に感じてしまうほど、印象的な光景だった。  駈は一枚の絵画を眺めている心持ちになる。  静謐な絵画に心を奪われたまま、ただ刻だけが過ぎていく。 「全ては、流れていくだけなのか」  ふいに甲冑戦士が呟いた。夕日を見つめる双眸がぱちりと瞬く。 「雨が川になり、川が海に流れ、海が雲を生み、また雨が降る。……そんな風に、この世のありとあらゆる物事は淡々と変化していく……そういうもんなのかもな」 「全ては、流れ……」  呟いていた。 「そんな風には俺は、考えたくないっすね……」 「考えたくないのなら、別に考えなくたっていい」  甲冑戦士の凪いだ視線が、夕日から駈へ移る。 「嵐龍はラスボスなんだ、俺はそのラスボスに立ち向かう勇者なんだと、思いたけりゃ思えばいい。お前の人生なんだから」  返答に困る。 「そ、そりゃどうも……」  口角を無理やり吊り上げる。不自然な笑顔になっているだろう。  この笑みに釣られたのか。  真一文字に結ばれていた甲冑戦士の口元がふいに、ふっと綻ぶ。 「ヒーローになるための最初の一歩、それは、自分を信じること」 「ヒーローになるためのって、もしかして……」  この問いを遮るように、甲冑戦士は白銀のプレートアーマーをひるがえした。そのまま駈とゆめに背を向けて歩き出す。 「ちょ……ちょっと!」  小さくなっていく後ろ姿にゆめが手を伸ばす。 「上がってきたきゃ、勝手に上がってこい。待っててやるから」 「話の途中ですよ!」  追いかけようと半歩踏み出したゆめの足が、止まる。視線の先にいる甲冑戦士がふいに立ち止まったからだ。片足を引き、緩慢に向きを変える。 「人間将棋の世界は広い。しかし、プロ人間将棋の世界は狭い。……だから、上に上がってくれば、嫌でも必ずまた会うことになる」  甲冑戦士が流し目で駈を捉える。その口元には、直前と変わらぬ微笑が浮かんでいた。 「話の続きをしたきゃ、俺の、いや俺達のいるステージに上がってこい」 「いや、そういわれても……」  駈が狼狽しているうちに、また甲冑がひるがえる。 「ちょっとお兄さん!」  今度は、甲冑戦士は足を止めない。駈は構わず問いを続けた。 「名前だけでも、教えてくれませんか!」  足を止めることも、ふり向くこともない。淡々と歩みを進めながら、甲冑戦士は通る声だけを返した。 「(わたり)だ」
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