腹直筋、外腹斜筋、内腹斜筋、腹横筋の告白

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「よっ」のタイミングで、もう2回、男の蹴りが僕らへと突き刺ささりました。 ご主人様は首にかけたロザリオを必死に握りしめ、涙と鼻水を垂れ流し、歯を食いしばり耐え忍びます。 嵐が過ぎ去るのを待つ小舟のように。植物の種が雪解けをじっと待つように。 男はご主人様の髪を掴み上げ、くしゃくしゃになった顔を確認すると、満面の笑みを浮かべました。 サンドバッグ、いや、ご主人様の場合、総体重の70%が水分のためウォーターバッグのほうが近いでしょうか。 リアクション付きの代用品。男は不満の捌け口にご主人様を、そして僕らを扱っていました。 しかしながら、男はご主人様の顔を殴りません。 「顔は"あと"が残って、めだつ」 男のその言葉は「跡」と「痕」。どちらの意味か。 もしくは二重の意味? いや、男にはそこまで考える知能があるとは到底思えません。 単純に、夜の仕事にさしつかえること。 そしてもうひとつは、ご主人様がシャワーを浴びるたび、僕らに残った痣で『わからせる』こと。 特に後者の効果は抜群でした。 そんな日々が、繰り返し繰り返し、続いていました。 守らなくては。僕らがご主人様を守らなければ…… 僕らは力が足りず"ふたり"を守れない無力な現実に、いくら必死に身を強張らせてもご主人様と、その中にいる新しい命を守ることすら出来そうにないことを。そう思いながら、ただ純粋に悲しみ続けました。 ――ご主人様は妊娠していました。 しかしそれを男には言い出せませんでした。 そのはずです。男は職を失い、礼節を欠き、傲慢。その癖、自尊心は高く、ご主人様を殴ることでそれを満たし、酒を食らえば残りわずかな自制心をも失うような人間でした。 そんな人間を、果たして人の親にしていいのか。 ご主人様は迷い続けました。 しかし宿った命に罪はない。 何度も何度も"どうするか"を迷い続けました。 ある日、男はご主人様の帰宅を笑顔で迎えました。 珍しくも博打で大きな勝利を得たようです。今日に限っては酒の匂いもしませんでした。 テーブルに雑多に並べられた、スーパーマーケットで購入したであろう総菜の数々。 しかしながら、悪阻(つわり)に苦しむご主人様には、その料理の香りすら苦痛でした。 「さあ、食え!今日は、お前の言うことをなんでも聞いてやる、いつものお返しだ」 男は、ご主人様と出会った時と同じ声色を出します。ご主人様は思い出しました。
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