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55 夏山秋の新人戦!
札幌の繁華街に詳しい風間に付いて行った小花と姫野はレストランに入った。手慣れた風間に注文を任せると、三人はお絞りで手を拭いた。
「ところでさ。小花ちゃんて高校は横浜だったんでしょう? どういう学校だったの」
「おい、風間、それは」
姫野が秘密を話すなと小花が話すのを止めようとしたが、小花はしばらく風間に会えなくなる気がしている小花は、大丈夫だと姫野に目で訴えた。
「女子高ですよ、寄宿制の」
「へえ、それって。寮に住むんでしょう? 決まりって厳しいの」
ため息をつく姫野も実は耳を大きくして聞いていた。
「そうですね。テレビは無いですし、朝のお祈りとかありから、女子修道院のイメージに近いと思いますよ」
「え? テレビが無いって。じゃ映画とかは」
驚く風間に小花は笑顔で応える。
「映画館で観ますよ」
「え? わざわざ映画館で?!」
「風間。別に映画館で観てもいいだろう」
「だって。先輩、それって面倒じゃ」
「うるさい。鈴子を浦島太郎扱いするんじゃない」
「ふふふ」
笑っている小花を見た風間もにっこりした。
「ね、小花ちゃん。今度、俺と一緒に映画に行こうよ」
「あらら? 風間さんは彼女さんがいるでしょう」
「小花ちゃんは特別だよって、痛?」
姫野は風間の耳を掴んだ。
「おい……あのグアムのビキニの女はどうした?」
風間は、ケロとした顔で応えた。
「あれは得意先の女医さんですよ。俺はただ、旅行のお供をしただけですよ」
「もてるんですね。風間さんって」
「いいや。小花ちゃん。姫野先輩の方がもっともてるんだよ?」
「余計なこと言うな。あ? 料理が来たぞ」
三人は仕事の話をしながら楽しく食事をした。そして店を後にした三人は、姫野の運転で国道36号線を走っていた。ビールを飲んだ風間を彼の家に下ろした姫野は、小花の家に向かっている時、思い出したように話し出した。
「そう言えば鈴子。お前、最初に風間に逢った時に、有名な手土産を買って来たな。あれはどうやって買ったんだ?」
出会った時、小花は風間のために並ばなければ買えないレアなどら焼きを簡単に買ってきたことがあった。姫野はその入手方法をずっと聞きたかったと打ち明けた。
「そうですか……あれは亡くなった私の父が好物だったので、私が頼めば作ってくれるんです。あの日はたまたまキャンセルがあって譲ってもらいましたが」
「そうか、だがお前、あの時。俺の事を『人でなし』って言ったな」
「すみません……風間さんが本気で悩んでいると思ったので、つい」
「今は? 今はどう思っているんだ」
「今ですか? 今はそうは思っていないわ」
ごくんと小花はツバを飲んだ。
「姫野さんは口は悪いけれど、一緒にいると安心して、何かお役に立ちたいって思う方です」
「…………」
姫野は嬉しくて言葉も出ず、運転をしている。
「でも姫野さん……考えたら忙しいですよね。鈴子の面倒までかけてごめんなさい」
「何を言い出すんだ。仕事のことなんか一切、気にするな。とにかく鈴子は卒業することだけを考えろ」
「でも、私に構っていたら時間がないわ」
「俺はお前との時間だけで生きていきたいから、それでいいんだよ、鈴子」
「姫野さん……」
姫野の嬉しそうな顔に小花は頬を染め、彼もまた胸をドキドキさせていた。
◇◇◇
その翌朝。中央第一営業所では、会議が行われていた。
「えー。今月も売り上げ目標を達成する試算だ。さて、最後に新人戦についてだ」
石原部長がそういって椅子にどかっと座った。机に肘をついて書く気もないのにペンを持った。
「うちの風間はボンクラだ! だが姫野から引き継いだ得意先のおかげで、何もせずとも現在、売り上げ成績で新人でトップになっている」
「ラッキーね、風間君」
松田は笑顔で足を組む。風間も満面の笑みを浮かべる。
「はい! でも俺は幸運の星の元に生まれたんで、これくらい普通ですよ」
「謙遜しなくてもいいのよ」
「いえいえ? これも全て俺の日頃の行いの良さもあるので、当然と言えばまあ、当然の成績だし」
「風間は幸せ者だな……俺はお前が羨ましいぜ」
「あざっす」
石原に褒められ風間はぺこんと頭を下げた。石原は満足そうにうなづく。
「だがな。第2位の帯広営業所の織田もかなり売っている。こいつは帯広営業所のバックアップを受けてやがるから、こっちもうかうかしてられないぞ」
「部長!」
風間が挙手をして意見を述べた。
「それって、もっと俺に売ってこいって意味ですか? 俺、トップにならないと、車のローンを自分で払わないといけないですよ」
「あらら、大変」
「お前は本当、幸せ者だよ……いいか?」
親の脛の丸齧りを狙っている風間の言葉を聞いた石原部長は立ち上がり、ホワイトボードに書き出した。
「やべ、これは違うペンだ? ……よし! いいか、風間。お前に何度も言っているがそろそろ理解してくれや。新人戦では売上金額だけが勝負ではないんだぞ」
石原は利益の計算方法を改めて説明した。営業職の新人で売上を競わせているが、担当の病院の規模によって不公平になってしまうと語った。
「大病院を担当する奴もいれば、個人病院がばかりの奴もいるだろう? だから『売上』『回収』『利益』。この三つをはじき出してお前のセールスポイントを出し、ポイントで競っているんだ」
そういって石原は学校の先生の気分でホワイトボードには謎の計算式を書いた。見慣れている松田は爪を見て、風間はあくびをしている。
「こんな感じだな。いいか、聞けよ! 風間は現在、姫野の設定した薬の値段で利益も出ているし、薬代も回収できているから、何もせずともポイントが高い」
石原は計算式で意味を必死に説明する。
「ここがこうなって……お、おい、こっち見ろってば! 風間……俺はお前のために書いているんだぞ? はい、そう、こっち見て。いいですか? だから売り上げを伸ばそうとして、勝手に薬を安く売ると、反ってポイントが下がります」
「じゃ、部長。ポイントを上げるには、値段を高して売ればいいんですね」
「計算上そうなるが、そんな事をしたら今度は医者が薬の支払いを渋るぞ」
「はあ? じゃあ、俺はどうすればいいんですか。ね? 姫野先輩! 先輩」
「さあ、姫野。お前の知恵の出番だ」
「え」
全員が彼を注視した。先ほどから腕を組んで考えていた姫野は、すっと顔を上げた。
「……あのですね。部長、なぜ自分ですか? 部長が自分で考えるんじゃなかったんですか」
そう聞いていた姫野に石原は納得しながら頷く。
「そうだ。俺は確かに考えると言った……が、何一つ思い浮かばなかったよ……」
「先輩! 俺を優勝させてください! 良い方法があるんでしょう?」
「風間君は正直ね、羨ましいわ」
「姫野……頼む。俺の骨を拾ってくれ」
「はあ……」
わがままばかりの営業所。腹を立てるのは卒業した姫野は口を開いた。
「では意見を言わせていただきます。古い債権の回収はどうですか」
「古い債権の回収? なんですかそれ」
「そうか……その手があったか」
「今、資料を出します」
風間は目をぱちくりさせ、石原は驚いた。松田はすごい勢いでパソコンの資料を検索している。姫野は話を続けた。
「バブル崩壊後、我が中央第一営業所のエリアのススキノでは薬代を支払わず廃院した医療機関が多数あります」
姫野は廃業した医療機関のツケを回収しようと言い出した。
「最近わかったのですが、その時の先生が違う病院にいるのを見かけています。これらのツケの回収は風間にうってつけかと」
「先輩、俺はまだわかんないです。何それ?」
松田は優しく説明した。
「あのね、風間君。姫野係長が言っているのは潰れたクリニックから、昔の薬代をもらうって話よ。これは古い借金だから、回収ポイントが高いわ。難易度が高いからそうなっているの」
「よし。それやれ! 決まりだ」
会議後、姫野は石原と相談し、どこの債権を回収するか決めた。そして姫野と風間のコンビは、つぶれたクリニックの責任者の元を訪れる日々を送った。
まず居場所を見つけることが至難だったが、ダメで元々、全リストを当たってみようと姫野の声に、風間も心を上向きにし励んだ。
「はあ、心が折れる……」
「そうか? 俺は全く平気だぞ」
「うううう」
こうして十日経ち、風間の精神力はピークになっていた。営業所で彼は椅子で死にそうになっていた。
「風間さん。脚をよけてくださいまし。モップが通りませんので」
「うわ? 心配してくれないよーーー!」
小花の冷遇に風間は悲しくなった。松田は呆れた。
「小花ちゃんは心配してないわけはないと思うけれど」
「そうですわ。なんだか知りませんが、ファイト!」
「うう……もっとやれってことかい」
松田女子の叱咤に、風間は机に伏した。すると、姫野が書類を片手に営業所に戻っていた。風のように入ってきた姫野は掃除をしている小花の頭を撫でてから座った。
「風間、今、利益管理部に確認したが、お前はまだトップだそうだ」
「やりー!」
元気になってバンザイする風間であるが姫野はまだ油断していない。
「しかしな。帯広もこの数字を知っているから、恐らく月末に大量に販売してくるぞ」
「翌月に返品する手ね。大病院ならできる必殺技だけど風間君の得意先は小規模だものね」
来月の分を今月に買ってもらうという昭和の必殺技は禁じ手である。この禁じ手は翌月の売り上げが激減するため通常は無意味であるが、新人戦がかかっている単月の売り上げ勝負のリングでは、帯広は何でもしてくると姫野は認識をしていた。
「勝負はこの九月の一ヶ月間だけだしな。でも、そうだ! 風間、古い不良債権は、少し入金があったぞ」
「マジですか」
「ああ。少し脅し的な取り立てだったかと思ったが、まあ、効果があったようだ」
姫野が何をしたのか誰も触れないまま、松田と小花が風間を励ます。
「どう? 少しやる気になったかしら?」
「そうです。風間さんはやればできる子ですよ!」
風間がゆっくり振り向くと、小花が雑巾を握って微笑んでいた。
「小花ちゃん……」
「だから姫野さんの言う通りにしましょう!」
「わぁかりましたぁ! ふう、スッキリ」
「何がスッキリだ」
元気の出た風間に、姫野はあきれて果ててコーヒーを飲んだが、小花の笑顔で気持ちを相殺した。
そんな翌日。姫野と風間は不良債権ブラックリストの最大ブラック先。赤いレンガ造りの古い診療所にやってきた。雑草だらけのボロ建物を風間は嫌がる。
「先輩、『赤レンガ診療所』ってありますけど、そもそも、ここ、人が住んでいるんですか」
「……住んでるな。ほら、獣道のような道がある」
「すげえ」
雑草を踏みしめた道を進んだ二人は、壊れかけの郵便受けを見た。チラシがベロンとはみ出ていたを姫野は横目で見た。
「行くぞ! ここには春に石原部長が来たって言ってからな」
「……ふあい」
「失礼します、夏山愛生堂です」
診療所の玄関は開いていた。姫野は躊躇わずずんずん入って行った。こういう勇気と言うか度胸を、風間は尊敬していた。
「うう、俺は怖い」
「離せ! しがみつくな! あの、誰もいませんか?」
「……うるせえな。誰だ!」
奥の診察室から男性の声がした。姫野は声が聞こえた部屋に行った。
「平先生ですね? 失礼します」
姫野がノックしてからドアを開けると、車椅子の老人がいた。床にはウイスキーの瓶が転がっていた。元は診察室だったのだろうが、今は埃だけらの部屋になっている。姫野は臆せず挨拶する。
「私は夏山愛生堂の姫野と申します。こちらは風間と申します」
「風間? もしかして。薬局の息子か」
「そうですね」
親をそう肯定した風間を、平老人は繁々と見ている。
「そうか……繋がり眉毛の親父はどうした?」
「薬局で元気にしています」
「あいつの息子か……そうか、懐かしいな」
風間に関心している平老人に姫野は語りかけた。
「平先生。今日は我々は債権のお話しをしにきました」
「は? 聞こえないな」
急にトボケ出した平老人に風間は耳元で叫ぶ。
「さいけんです!」
「なんだって?」
明らかにとぼけてる態度に風間は怒る。
「先輩。こいつ急に耳が遠くなりやがった」
「アホ! 何がこいつだ! 全部聞こえているぞ、このボンクラ息子め」
平老人は、杖で床をバンと叩いた。風間はびくとした。
「だいたいなんだ! いきなり来て何だその態度は。それが人に物を頼む態度か!」
怒るのは演技かどうか微妙である。だが姫野は平気な顔で頼む。
「我々は法に基づいております。先生、どうか支払って頂けないでしょうか」
「……法だと? いつから夏山はこんな弁護士みたいな男を営業に使う様になったんだ? お前達は薬屋だろう。俺は医者だぞ?!」
顔を真っ赤にして平老人は怒る。風間は無理だと思った。
「先輩、帰りましょうよ。これは無理ですよ」
「いいえ……平先生。今日は帰りますが、また来ます」
「うるさい。来るな!」
「お話ありがとうございました。また来ます」
姫野は平老人の癇癪を関せず、姫野が頭を下げて部屋を出た。風間も後に続いた。
「先輩! なんですか、あの態度、明らかに演技でしょう」
「まあ。初日はこんなもんだろうな」
「何を笑っているんですか」
どこか笑みを浮かべている姫野は病院の写真を撮ると、すっと助手席に座った。
「帰るぞ。ここには明日来よう」
「マジですか」
「ああ、手応えもあったしな」
「どこがですか?」
「ん? それはこれからさ……さあ、次に行くか」
……頑固ジジイか、寂しい老人か、まあ、どっちもだろうな。
憂いを滲ませた姫野の含み笑いに訳のわからない風間はむっとしたまま運転席に座った。秋の札幌は紅葉に包まれていた。
完
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