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48 僕のシンデレラ
『もしもし? 義堂。達者か』
……やばい? うっかり出てしまった。
出てはいけない人の電話をとってしまった義堂は鼻を摘んだ。
「現在、こ、この電話は、迷惑防止のため、録音機能がついております……」
『義堂! お前の声じゃないか。慎也だよ。詐欺じゃないから』
言い逃れができない義堂は、諦めた。
「はあ、慎也坊ちゃま……はい、爺は生きております」
『知ってるよ。それよりさ、あのさ。聞きたい事があるからさ。今度逢いたいんだけど」
……やばい? これは鈴子お嬢様の話かも?
会うわけには行かない義堂は演技を始めた。
「うう……ゴホゴホ! うう……これはキャッチザコールドかな? 頭も痛いし……目もクラクラじゃ……これを坊ちゃまに移すわけには」
『平気だよ。薬があるから』
そんな義堂の言葉を断ち切るように慎也は話した。
「土曜の朝に来てくれ。マンションだぞ、よろしく!」
こうして一方的に呼びつけられた義堂は、後日、慎也のマンションにやってきた。
「来ましたわい」
「なんだ? ずいぶん日焼けしてるな? まあ、入ってくれ」
「言われなくても入ります! ほう、綺麗になさっておいでですね」
夏山家の執事をしていた義堂は、久しぶりに逢った慎也の成長に感心していた。
「適当に座ってくれ。で? 今は道路工事のガードマンとかやってるの?」
「坊ちゃま。爺はそんなに日焼けしておりますか? まあ、自然の中におりますので」
義堂は心配になってガラスに映った自分の顔を確認していた。
「ハハハ。でも、元気そうでよかったよ」
そういって慎也はコーヒーを淹れてくれた。座っていた義堂はびっくりした。
「これを坊ちゃまが淹れてくださったんですか? このような芸当ができるようになったのですか?!」
「だってさ、誰もいないからな。洗濯もして掃除もしているぞ」
「……嬉しや? 自分で靴下も履けなかった坊ちゃまが……」
ようやく自立した慎也に義堂は涙を流した。
「いいから。見苦しいから泣くな。コーヒーが冷めるぞ。俺も飲もうっと」
「いただきます」
とにかく二人はコーヒーを一口飲んだ。そして義堂が持って来たカステラをつまみながら話し始めた。
「ええとな。実はな。今、真子さんと鈴子を捜しているんだ」
「う? ゴホゴホ!」
「ほら、ティッシュ。自分で拭けよ」
慎也は話を続けた。
「まあ。自分で追いだしておいて今更だけどさ。結構、前から調査をしているんだ」
「そ、そうですか」
義堂は武の調べで慎也が二人を捜している事を知っていたが、このストレートな話にびくびくしていた。
……バレるわけにはいかん! 誤魔化すぞ!
「水飲むか?」
「……す、すみません。胸がつかえました。いやですな、年を取るとツバがでないものですから、口の中の水分を持っていかれましたわい」
「まだ死ぬなよ?……えっとな。これが資料でさ。義堂、驚くなよ。俺もショックだったんだけど、真子さんはもう亡くなったって事なんだ」
「真子様? う!」
全てを知っている義堂は動悸がしてきた。慎也はやっと心配してきた。
「大丈夫か? 爺? 顔が悪いぞ」
「はあ。はあ、それを言うなら顔色ですぞ。そうですか、真子様が」
義堂は本当はとっくに知っていたが、慎也の口から聞くのは衝撃的だった。
「俺が追い出したせいだ。きっと……」
慎也はそう悲しく囁き、義堂に背を向けて立ち、窓の外を見た。
「……爺。お前はこの事、知っていたんじゃないか?」
「へ? 知りません。真子様が乳がんで亡くなっていたなんて」
「そうか、やはり……」
「な、なんのことか、さ、さっぱりですぞ。そうですか……悲しいですな」
そんな義堂はコーヒーカップを戻そうとしたが、ソーサーの上に置けずにカチャカチャと震えてしまった。
「と、年を取るのは嫌ですな? おい、ワシの手! 止れ! こら」
「……本当に嘘がつけない奴だ。どれ、貸せ」
義堂が真子の死を知っていたと確信した慎也は代わりにカップを着地させた。慎也は義堂に真顔を見せた。
「俺が知りたいのは、俺の出生の話だ」
「出生?」
「なあ、義堂。母さんは子供が出来なかったから、当時愛人だった真子さんに俺を生ませたんだろう? そうだろう」
「…………」
……弁護士の調べはついているんだ。
父が亡くなった後、後妻の真子を夏山から追放してしまった慎也は、真子を悪女と誤解していた。しかし、その後、彼女は遺産も受け取らず義妹の鈴子と去ったと知り慎也は二人の行方を調査した。その調べのうちに真子が生みの母であり、今は亡くなっているという報告を聞いた。
……真実を知っているのは、もう、義堂だけだなんだ。
慎也は悲しげに義堂を見つめた。
「母さんは交通事故が原因で亡くなったけど、今にして思えば、病院で亡くなる寸前に何か言いたそうだったんだ」
「…………」
慎也は義堂をじっと見つめた。義堂は彼の目を眼力に負けて、下を向いてしまった。
「義堂! 本当の事を言ってくれ。ここに産婦人科のカルテもあるし、資料ではそうなっているんだ」
「…………」
「義堂!」
慎也は立ち上がり、義堂の隣に座り彼の細肩を激しく揺さぶった。
「頼む! 教えてくれ!! 俺の母さんは育ての親で、真子さんが生みの母なのか?」
「…………」
「俺の慎也って名前には『真』の漢字が入っているじゃないか! それって真子さの『真』なのか? なあ、そういう意味なのか?」
「…………」
「義堂! 義堂!! 言えよ!」
「ゆ、揺らしすぎ?」
「ご、ごめん! つい」
「激しい?……鞭打ちになる? そ、そうです」
「やっぱり! そうなんだな!」
慎也は義堂を離し、脱力してソファにもたれた。
「義堂……話せ、全てを、包み隠さずに……」
「はい! 当時の奥様は、不妊治療で肉体的にも精神的にも参っておいででした」
義堂は諦めて語り出した。
「そんな奥様を、旦那様は支えておいででした。ですが、仕事も本当に忙しく旦那様自身もご両親に跡取りを期待されて限界だった、と思います」
「あの祖父母ならそうだろうな。今なら父さんのプレッシャーが良く分かるよ」
慎也は神経質だった祖父母を思い出しながら椅子に座りなおし、義堂にため息混じりで尋ねた。
「真子さんって、後妻に入る前から父さんの愛人だったんだよな? それって、いつぐらいからの関係だったの?」
「……圭子奥様と旦那様が不妊治療で関係が難しかった時でしょうか」
義堂は窓の外を見上げた。
「真子様は準ミス雪の女王の選ばれたほどの綺麗な方で、夏山の事務員でした。これは旦那様の一目惚れでしたね」
「真子さんが誘惑したんじゃないんだ?」
「はい。旦那様と奥様は若い頃の見合い結婚でした。不仲ではありませんでしたが、旦那様にとって真子様は初恋というか、恋をしたお方だったのでしょうね」
……そうだったんだ。てっきり真子さんが誘惑したのだと思っていた。
母が亡くなった後、後妻となった真子を父の愛人だと忌み嫌い追い出してしまった慎也は胸が痛んだ。その顔を見た義堂も悲しげであった。
「……坊ちゃまが真子様を受け入れられなかったのは仕方ありません。奥様が亡くなってすぐに籍を入れた旦那様が悪いのです」
「なぜ父さんは、そうしたんだろう。批判されると思うのに」
「鈴子お嬢様の学校のためです」
義堂の意外な答えに慎也は驚いた。
「どういうこと?」
「鈴子様が入ろうとしていた横浜の学校は、シングルマザーでは入学できないのです。ですので真子様も鈴子様も受験を諦めていたのですが、旦那様は父親としてできる事をしてやりたいと言って」
「それで、すぐに入籍したのか……でもなぜ、俺に相談してくれなかったんだ」
「旦那様はいっぱいいっぱいでした。お仕事も多忙でしたし、爺から見ても坊ちゃまの気遣いまで、気が及ばなかったと思います」
「……そうか」
当時の慎也は父を恨んだが、今にしてみれば父がどれだけ多忙であったのか慎也には想像ができた。
……母を亡くして、父さんは悲しむ時間もなかったんだな。
義堂の話を聞いていた慎也は父の気持ちがわかってきていた。
「それで愛人だった真子さんが、後妻になったんだな」
「はい。奥様が亡き後、旦那様を精神的にずっと支えていたのが真子様でございます。真子様がいらっしゃらなければ、あの激動の時代を俊也様はやっていけなかったでしょうな」
「でも……話は戻るけれど、俺は愛人の子供なんだろう? 俺が生まれて、母さんは複雑じゃなかったのか」
義堂はすっと立ち、窓辺に立った。
「実は、これは圭子奥様が言い出した事でございます」
「母さんが?……まさか」
圭子は父の正妻であり、慎也が母だと思っていた人である。育ててくれた彼女は交通事故で亡くなっている。
「圭子様と真子様は世間では奇妙に見えるでしょうが、仲良くやっておいででした。坊ちゃまを圭子奥様が育てることになった詳しい経緯は爺は存じません。ですが、赤ん坊の坊ちゃまを圭子様に託した時の真子さまの悲しむ姿は、この義堂、一生忘れることは無いでしょう」
意外な経緯を知った慎也は呆然とした。
「父さんは、父さんはどうだったんだ」
「俊也様は喜んでいたというよりも、正直、ほっとされていましたな。圭子奥様も元気になり、ご両親も御喜びでしたので。しかし、真子様だけがお可哀そうで……」
「そうなるな。一人だけ犠牲になったんだから」
父の愛人で悪女な後妻だと思っていた女性は、慎也の産みの母であり愛があったことを知った慎也は、胸が苦しくなった。
「真子様は札幌にいては慎也様に逢いたくなるとおっしゃいまして、一度俊也様と別れして、一人で東京で暮らしていたのです。しかし、俊也様は真子様がお好きだったので、そうもいかず」
「それで父は東京にマンションを買ったのか」
「はい」
……親父のわがままだったのか、真子さんじゃなく。
「真子さんは……まだ若かったから、父と別れて他の男性とやり直す事もできたんだろうな」
「そうかもしれませんね。しかし、俊也様としても真子様を幸せにしたかったのだと思います」
「そして……鈴子が生まれるのか」
「はい。ですがこのことは、しばらく圭子様はご存知なかったはずです」
義堂は悲しく語る。慎也も当時を思い浮かべていた。
「父も忙しかったし、俺も反抗期で両親とは口を聞かなかったからな」
「どこの家でもそうですし、それに圭子様は慎也坊ちゃまを心から愛しておいででしたよ」
「……ああ。俺も今自分がこうしていられるのは、あの口うるさい母のおかげだと思って感謝しているんだ。自分の子じゃないのに、あんなに大切にしてくれて」
義堂は目に光る物をハンカチでそっと拭いた。
「うう……圭子奥様が今の坊ちゃまを見たら、御喜びでしょうね。目に浮かびますわい」
「いや、だらしがないって怒っているさ! アハハハ。懐かしいな」
二人はここで泣き笑いをした。どれくらいの時間かわからないが、義堂は慎也に寄り添ってくれていた。
やがて慎也はソファを立ち、キッチンでコーヒーを淹れ直しながら語った。
「爺。俺、鈴子を捜しているんだ」
「ほう」
「でも……いないんだよ、探しても」
「さあ? どこにいるのでしょうね」
……きた! これは誤魔化さないと!
慎也も大切であるが、鈴子も大切である。義堂はがんじがらめで口を閉ざす。
「鈴子にはさ、正也おじさんが遺産がどうのこうのって出しゃばったみたいでさ。怖がって名前を変えたようなんだ」
「へえ~。そんな事ができるんですか」
「俺も知らなかったけどさ。弁護士はそう言ってたし」
「ほお。時代は進んでおるのですね」
先ほどよりも余裕のある義堂に、慎也は眉を潜めた。義堂は調子に乗って話を続ける。
「夫婦別姓とか色々あるようですものね……へえ、名前をね」
「お前。何か知っているんじゃないか」
「何をですか? それよりも、義堂も聞きとうございます。星野菜々子さんの件です」
「おっと?」
これには慎也も言葉が詰まりながら、コーヒーを出した。義堂は反撃を開始した。
「噂によれば、外国ツアーで活躍された元プロゴルファーで、英語も堪能でクールな女性と伺っていますが」
「まあ、そんな感じだな」
「慎也様よりも年上で大変しっかりした素敵なお姉さま、あ、失敬」
つい小花の話をそのまま話してしまった義堂は、オホンと咳を払って誤魔化した。
「お姉さまって、なんだよ」
「ハハハ。噂ですよ」
「確かに年上だけど、なんていうか、可愛い所もあってさ。なんつうか、その」
恥ずかしがっている慎也に義堂は目を細めていた。
「そ、そのうち紹介するよ」
「是非に願います」
そう言って義堂はコーヒーを一口飲んだ時、スマホが鳴りだした。
……ピンチ! これはお嬢様じゃ!
義堂は音を消した。
「なんだ爺。電話か? 出てやれ」
「いいのです。どうせ宅配便ですので」
だが小花はしつこく掛けてくるので、異常事態かと彼は心配になった。
「すみません、坊ちゃま。そのベランダで話します……『もしもし。しつこいですぞ』」
『それはこっちのセリフよ。義堂? どこに居るの』
「い、言えません」
ベランダでちらっと背後を見ると、慎也がクッキーも出してくれていた。
『あのね。今、警察から電話が合って、義堂の山岳パトロールの車がね、大通り公園に乗り捨ててあるって連絡が来たの』
「なんですと? しかし、なぜお嬢様に電話が行ったのじゃ?」
『車の中にあった「もしも死んだ時の連絡先」が私の番号だったみたい』
「確かにそうです。では爺はどうすれば? 車を取りに行けばよいのですか?」
すると小花は、現在、武が手稲山のロッジへ車の鍵を取りに向かっていると話した。
『とにかく! 爺は今から話す番号に電話をして! 知っている刑事さんだから平気よ』
「……わかりました。及川刑事ですな。はい、どうも」
ふう、と電話を切った義堂は振り返った。
「お嬢様?」
「ぎゃあああああ」
一息入れて振り向いた義堂は真後ろにいた慎也にびっくりした。
「車がどうしたんだ?」
「じ、爺の心の臓を止めるおつもりか!」
「止まってないだろう? で、誰? 今の電話って」
義堂は咄嗟に嘘を言う。
「む、息子を名乗る還付金詐欺でした。爺の金を狙っておるようですが、そんなものはござらんので安心してくだされ。さあ、義堂はお暇しますぞ」
こうして彼はそそくさと帰り仕度をした。
「あ、坊ちゃま。これは赤飯です。召し上がってください」
「わかった。でも良かった。お前の顔を見て、ホッとしたよ」
「義堂もです。すっかり社長の顔になりましたな……」
そう言って二人は玄関まで歩いていた。
「だって仕事が面白いんだ……秘書は生意気で社員も滅茶苦茶な奴ばっかりでさ。特に元気なお掃除の女の子がいてさ。俺に風呂とか沸かしてくれるんだ」
「……左様ですか。しかし、菜々子様というお方がいるのに浮気はいけませんね」
「そういうのじゃないんだよ! なんていうか、妹みたいな感じなんだ」
……ああ……早く、お二人が幸せになれれば良いのに……
小花を妹と知らないのに、彼女を妹のように思っている慎也を義堂は悲しくも愛しく思ってしまった。
「…………」
「義堂?」
「いえ? なんでもござらん」
靴を履いていた義堂の動きがピタと停まったので慎也は思わず首を傾げたが、彼はまた動き出した。
「では、また参ります。爺は雨の日は暇なのですぞ」
「わかった。雨だな? あはっは」
そういって慎也に玄関の外まで送ってもらった義堂はやってきたエレベーターに乗り込んだ。
「じゃあな。義堂。車にはねられるなよ」
「ふん。慎也坊ちゃま、あっかんべー」
「あはは……爺。ありがとう……」
扉が閉まる寸前に見えた慎也は昔に戻ったような顔をしていた。
……血が呼ぶのだろうな。鈴子様を慕われるとは……
そんな想いを抱いて彼はマンションを出た。雨がやんだ札幌の空には、虹がでていた。
慎也と小花の幸せを願う義堂は、空を見上げていた。
初公開 2019・7・18
再公開 2024・11・6
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