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51 彼女のために
「社長。緊急事態です」
「どうした? またネットで悪口が出たのか」
夏山愛生堂の社長室に総務部長の権藤がやってきた。野口がいない部屋で慎也は話を聞いた。
「いいえ。これをご覧ください」
「なんだよ……え? 小花さんが」
派遣会社ワールドから来ていたメールを知った慎也は、すぐに電話で抗議した。
「伊達さん。話が違うじゃないですか。小花さんはウチでずっと仕事を」
『申し訳ありません、夏山さん。ですが小花はそのメールにあったようにまだ学生なのですよ』
ワールドの伊達は小花が仕事のせいで学業が遅れていると語った。
『このままでは小花は進級できません。私は上司、いいえ? 親代わりとして小花を応援したいのです。どうぞご理解をお願いします』
「そ、そんな……」
『すみません、今は時間がないので。また改めてご連絡します』
伊達はそう言って電話を切った。呆然としている慎也が持つ受話器を権藤が代わりに下ろした。
「社長。私の話を聞いてください」
「いやだ」
慎也は回転椅子を回し権藤に背を向けた。しかし権藤は語る。
「それでも申し上げます。社長、今回の小花の休業は素直に認めるべきです」
権藤は真顔で語った。
「小花は派遣社員でありながら、職務以上のことをこなそうとしている今時、珍しい若者です」
「権藤、お前。小花さんをいじめていたじゃないか。何を今更」
慎也は背中を向けたまま話す。権藤は密かに拳を握る。
「……何を言われても結構です。自分は、あの娘のオーバーワークを懸念していました」
権藤の言葉を聞いた慎也は、ビクッとした。権藤は話し続ける。
「小花が来て以来、夏山の社員は彼女に頼りすぎでした。本来であれば社員が自力でやらねばならないことも、小花の人気に安易に頼ろうとする社員が実に多く、私はそれが気に入りませんでした」
「権藤……お前。そこまで小花さんのことを」
振り向いた慎也に権藤は誤魔化すように咳払いをした。
「社長。私は人事部長として、どの社員も的確に評価するのが仕事です。小花は派遣社員ですが、我が社で働く者としては本当に立派です。皆が嫌がる掃除の仕事を朗らかにこなし、いつも率先して…………す、すみません」
涙で言葉ができない権藤に慎也も涙が出てきた。権藤は深呼吸で涙を収めた。
「……うう、すみません。とにかく小花は、そういう社員です。だから私は、メールにあったように、今は小花に学業に専念させてやるべきであり、静かに送り出したい所存です……」
「そ、そうか」
……そうだよな。小花さんがいなくなるって言ったら、暴動が起きるな。
「それとです。そこには『休業』とあります」
「本当だ」
小花の派遣の終了という文字でパニックになっていた慎也は、ようやく冷静になってきた。それによく見れば休むという意味なのでやめるわけではないとわかった。
「そうです。ですので、復帰後はぜひ我が社で勤務してもらえるようにワールドさんに要望を出しておくのが良いかと思います」
「わかったよ。権藤さん。そうしようか」
「何の話ですか」
社長室に野口が入ってきた。さすがに野口には権藤も事情を明かした。野口は驚きで持っていた書類を床に落としてしまったが、やはり権藤の提案通りにすると話した。
「小花さんのためですものね……では、西條君だけには伝えておきますか。それ以上は秘密厳守ですね」
「ああ。絶対漏らしてはいけないぞ、小花が休業できなくなる」
怖い顔で迫る権藤に慎也もわかったと肩をすくめた。
「そんな顔しなくてもわかったから! じゃあ、俺と、権藤さんと、野口と、西條……あと、姫野も知っているだろうな」
権藤も野口も頷いた。野口は内線で姫野を社長室に呼び、改めて小花の派遣終了の経緯を尋ねた。姫野も学業に専念のためだと語った。
「では姫野。何度も聞くが、これは結婚するためじゃないんだな」
「はい、社長。彼女はまずは卒業したいというので、それが理由です」
「そ、か……」
社長室は寂しそうになったが権藤が仕切った。
「姫野、とにかく小花の派遣終了は秘密だ。同僚の吉田さんにも前の日に言うくらいに小花に指示しろ」
「はい」
「それと、総務の事務員にも秘密にします。高橋に話したら全道に知られてしまうのでな」
張り切っている権藤に野口は心配そうに思い出す。
「ええと……一番秘密が漏れそうなのは、小花さんですね。小花さんが自分でポロッと言ってしまうのが一番ありそうです」
野口の言葉に一同は頷いた。しかし、姫野は大丈夫だと済ましていた。
「彼女は今までも色んな職場で掃除をしてきたので、何気なく辞めるのは慣れているそうです。送別会をしてもらったり、餞別をもらtたりすると後が大変だってわかっているようなので」
「それならいいな」
「では、それで行こう」
野口と権藤は小花のために決意を固めていた。
「では、今の話は小花に伝えておきます……ん」
姫野の目には落ち込んでいる慎也が目に入った。姫野は慎也に優しく声をかけた。
「社長、大丈夫ですよ。小花は休むだけですので」
励ます姫野に慎也は悲しく呟いた。
「ふん! お前は小花さんに会おうと思えば会えるから、そんな呑気なことを言っているんだよ」
……確かにそうだ、社長も寂しいのだな。
弟のような存在の慎也を見た姫野は、胸が少し痛んだ。
「……社長、では、今度、自分とゴルフに行きましょうか」
「え? いいの」
「もちろんです。だからさあ、元気を出して仕事をしましょう」
最後は姫野の言葉で小花の休業が認められた。そうとは知らない小花は廊下を掃除していた。
「お、小花か」
「権藤部長……わ、私」
……まずい。スマホを充電しているのを見られてしまった……
廊下のコンセントを使っていたので怒られると思った小花は、謝ろうとした。
「あの、これは緊急連絡が」
「……玄関の花瓶の水を取り替えておけよ」
「え? あ、はい」
……あれ? わからなかったのかしら。ラッキー!
権藤は気がつかないふりをして通り過ぎた。だが、彼の気遣いを知らない小花は、笑みを浮かべた。
「はい! やっておきます」
……ふふふ、今日はついてるわ、さて、と。綺麗にしないと、ね。
秋の夏山ビルは日差しが眩しかった。愛に包まれている会社には笑顔が溢れている。
完
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