52 秋の草原

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52 秋の草原

「さあ、社長の番ですよ」 「あ? ああそうだったな、どれどれ」  週末の休日。ゴルフ場に来ていた慎也は姫野と風間と一緒にゴルフ場に来ていた。秋晴れのさわやか空気の芝生の上。心あらずの慎也であったが気を使わない姫野と風間と一緒にプレイを楽しんで午前中を終えた。やがて三人はランチを食べてた。 「なあ、風間って初心者だって言ってなかったか?」 「ゴルフ場の初心者っす。練習場では打っていたから」 「くそ……俺よりも上手だなんて」  口を尖らせる慎也を気にせず姫野は黙々と食べながら語る。 「人と比べてもしょうがないですよ。それよりも社長もなかなかです。やっぱりそのゴルフクラブの方が、やりやすいようにみえますね」 「ああ。確かに打ちやすかった。高級品が良いというものじゃなんだな」  慎也は接待ゴルフがあるのでそれなりにプレイできないと恥ずかしい立場である。そんな慎也のために姫野はこの日も助言をした。姫野の厳しくも愛がある言葉は慎也は嬉しく、しみじみとビールを飲んだ。 「でも気分良い! 接待はするよりもされる方がいいな……」 「社長がそれを言うんですか? 俺たちは接待するばっかりなのに」 「風間、それが俺たちの仕事なんだからしょうがないだろう」 「ははは! そうか、それなら今度、風間の接待をしてやるよ」 「今度じゃなくて、今でもいいですよ」 「自分も含めてください」  姫野の言葉で三人は笑った。風間と姫野の嘘のない笑みに慎也もほっとしていた。  若くして社長になった慎也は、取引先の社長と話す機会が多い。しかし新米の慎也は気を使う事が多くストレスになっていた。自分と同世代の姫野と風間と過ごす時間は、慎也にとって癒しの時間になっていた。 「ふふ、それにしても、社長は本当に上手になりました。自分の指導はちょっと厳し過ぎたかなと思っていたので」 「いや? 指導は厳しいよ。もっと手加減してくれてもいいぞ、なあ? 風間って、寝たのか?」  慎也がふと見ると、風間はソファに横になって寝てしまった。すやすやと眠る彼に姫野は構わずお茶を飲んだ。 「すみません。こいつは寝ると三十分は起きませんので、少し寝かせてやってください」 「いいよ。じゃあビールをもう一杯!」  慎也は自らオーダーすると、ソファに背持たれた。離れた席で周囲に客がいない席は静かだった。 「姫野。その後、小花さんの件は作戦通りに進んでいるから」 「わかっています」  休業することを社員に秘密にすることになっている。慎也の言葉は嬉しい姫野であるが、風間の前で話すのでちょっとイラとしてしまった。 「風間はいいな」 「何を急に」  驚き顔の姫野に慎也はしみじみと語る。 「姫野みたいな上司がいるからだよ。俺なんか親父が死んでいきなり継いだもんだから、右も左も分からないし……」 「そうなんですか? でも慎也社長の伯父の、夏山正也元専務も、聞けば教えてくれると思いますが」 「正也おじさんか……」  慎也社前にビールがどんと置かれた。慎也はその泡を見つめていた。 「正也おじさんには聞けないんだよ」  そう言って慎也はビールを飲み干した。姫野は首を傾げた。 「聞けないって、入院でもされているんですか」 「いや。そうじゃないけれど、姫野は……親父を知っているんだよな?」 「はい。新人当時、俊也会長が担当していたエリアになった縁で、ずいぶん可愛がってもらいました」  慎也の父の俊也が社長時代、北大生をインターンで招こう! と言い出した時の第一号が姫野だった。俊也は有能な姫野を可愛がり秘書の仕事までさせた逸話がある。そして姫野が入社した際、かつて自分が担当していた札幌の中心部の激戦区のエリアを担当させ、時には自ら同行し姫野を擁護していた過去がある。  その頃、慎也はフランスに留学しており、専務は俊也の弟の正也氏が務めていた。そして俊也が死去し、自分が呼び戻され社長をしている経緯を慎也は思い出しながら語る。 「親父が死んだ時……正也おじさんが一瞬、跡を継いだのはお前も知ってるよな」 「ええ、短い期間でしたがそうでしたね。あれって、慎也社長じゃないと株主先がダメだからとかが理由だったんですよね」 「違うよ」  建前上の言い訳を信じている姫野に慎也は真実を告げた。 「おじさんは親父の金を使いこんでいたんだ」 「へ? ま、まさか」  正也専務は姫野も知っている。温厚で優しく俊也が信用している人物だった。そんな姫野に慎也はため息をつく。 「そのまさかなんだよ。俺もびっくりしたよ」 「何に使ったんですか? それに奥様だってあんなに上品で」 「あの夫婦、知り合いにの金儲けの話に騙されていたんだ。択捉島(えとろふとう)にリゾート計画があるから、今のうちに土地を取得しておけば倍になるって」 「バカな? あそこは北方領土ですよ? 土地なんか買えるわけがない」 「当たり前だよ。でも、それに財産注ぎ込んで、当時は借金しまくっていたそうだ」  ……知らなかった……そうか。それで慎也くんが急に社長になったのか。  当時は後継者争いとして正也と慎也の確執が噂になったが、どっちがなっても社員には関係ない、ということで姫野は仕事に専念していた。今、慎也から真実を聞かされた姫野は、慎也が大変だったことを自覚した。 「正也おじさんは会社のお金にも手をつけていたし、奥さんに一億円の保険を掛けていたんだ。そんな時、奥さんが自宅の2階のベランダから落ちちゃったんで、警察がおじさんの殺人を疑ってさ」 「え? それは、本当に突き落としたんですか」 「おじさんは否定しているんだけど、おばさんは頭を打って脳死だから証言できないんだよ」 「……信じられない」 「でもさ、姫野。おじさんが掛けていたおばさんの一億円の保険額の掛け金ってさ。一ヶ月10万だぞ? 普通じゃないよね」 「それは……疑われてもしょうがないですね」  慎也の話では正也は今、刑務所だという。 「みんなには病気で療養しているっているけどな」 「まさかそんなことになっているとは」 「俺もそう思う」  慎也はさびしそうに頷いた。 「俺にしてみればさ。正也おじさんだけが頼りだったから、事件を知った時、お先が真っ暗になったよ」 「それは誰でもなりますよ」  姫野はすやすや寝ている風間をチラッと見た。慎也も羨ましそうに風間を見た。 「まあ、株主の手前もあるし、会社のお金には手を付けていたけれどすぐに何とかしたし、世間には伏せているけど、上役は皆知っているはずだよ」 「そうだったんですか……では、社長は今、お一人ですか?」  親戚が彼を守ってくれていると思っていた姫野に、慎也は小さく頷く。 「まあね、ほら、父の妹の叔母が監査役でいてくれるから助かっているよ。実は、叔母が姫野と仲良くしろって言ったんだよ」 「全然知らずに、申し訳ありませんでした」 「何謝ってんの! 姫野は何も知らなかったんだから。気にするなよ」  今度が慎也が姫野を励ました。 「でも、お一人では心細いですよね。社長業なのに」 「……本当は一人じゃないんだよ。でも俺のせいで一人になっちゃったんだ」  慎也はまた悲しみの顔でビールを飲んだ。 「親父は再婚してたろ。でも俺、親父が死んだ時、義母と義妹を追い出しちゃったんだよ」  姫野はその事を知っていたが、じっと聞いていた。 「親父は母を亡くして一年後に若い愛人との再婚しただろう? 俺は絶対財産目当てに決まっていると思ったんだ。しかもあの連れ子が俺の異母妹って初めて知ってさ。まあ、俺も若かったから、親父を許せなかったんだ」 「社長。プライベートな話は俺には」 「いいんだよ! 聞いてくれ。親父が死んで俺は真子さんに金を渡して縁を切りたかったんだ。でも実際は、真子さん達は一銭も受け取らず、夏山家を出て行ったんだ……」  落ち込む慎也に姫野は眉を顰める。 「どういう事ですか」 「正也おじさんが、真子さん達が受け取るべき財産を横領していたんだ。俺はそれを知らないまま、二人を追い出してしまったんだよ……」  それはまずいと思った姫野は、泣きそうな慎也を励ます。 「あの、社長? これは社長のせいではないのでは」 「いいや。俺のせいなんだ。妹はまだ学生だったのに」  慎也は俯きながら父の代わりに義母と義妹の面倒を見るべきだったと言葉をこぼした。しかし姫野は納得いかない。 「しかし、おかしいですね」 「何が」 「真子さんのことです。いくら横領といっても、真子さんは妻であったのでいくらかの財産はもらえるはずですが」 「……真子さんは放棄してたんだ」 「放棄?」 「そう。理由は知らないけどな。ま、一つ言える事は、真子さんは財産目当てで親父と結婚したんじゃなかったって事だろう」  慎也はそういうとビールを飲み干した。 「俺、正也おじさんの事件がわかってから真子さんたちを探していたんだ。でも、真子さんは死んでいたよ」 「え? そんな年じゃないですよね」 「乳がんだって。俺もショックでさ」 「それは……俺もショックです」  夏山一族の光と闇。これを聞かされた姫野であるが、そんな状況でも慎也が明るく社長をしていたとことに胸が打たれた。  ……そんな思いを抱えて社長をしていたのか、今まで悪いことをしていたな。  とはいえ姫野には掛けてあげる言葉が見つからなかった。どの言葉も薄っぺらで慎也の心を助けるようなものには思えなかった。 「社長。何と言っていいのか見当がつきませんが」 「こっちこそ、急にこんな話をしてごめんな」 「いいんですよ、話を聞くくらいならできますので」  抱えきれない思いを姫野に打ち明けただけで慎也は晴れた顔をしていた。 「ありがとう、だから俺、今は社長の仕事を頑張って、義妹を探し出して幸せにしてやりたいんだよ」 「……ふあ? 俺どれくらい寝てました?」 「うわ!」 「おっと! びっくりした……」  むくと風間が起き出した。姫野も慎也もびっくりしたが、慎也と時計を見た。 「本当だ。きっかり30分だ」 「何の話ですか?……先輩、俺の水ってこっち?」  寝ぼけている風間に姫野はスッと動く。 「それは社長のだ。お前のはこれだ」 「どっちでもいいのに」 「ふふふ。まあな。どっちも同じ水だしな」  ……良かった、慎也くんが笑顔で。  微笑んだ慎也社長に、姫野はちょっと安心した。 「さあ、風間も起きましたし、そろそろ帰りましょうか。夜は新人社長の集まりがあるんですよね」 「はあ、面倒! なあ、姫野、代わりに参加してくれない? お前の方がずっと社長っぽいし」 「困りましたね」  慎也社長の横顔が、悪戯ばかりするくせに甘えてくる双子の弟達に見えた姫野は、彼の肩にそっと手を置いた。 「では、風間に行かせてみますか」 「ええ? 俺じゃ無理でしょう」 「大丈夫だ。お前のこのおでこに『夏山慎也』って、クレヨンで書いてやるから」  姫野の冗談を慎也が笑った。 「姫野、クレヨンじゃだめだ。油性マジックにしろ」 「やです。社長が自分のおでこに書けばいいでしょう」 「何で俺が自分のおでこに自分の名前を書くんだよ」 「わかりやすくていいじゃないですか」 「さあ。二人とも、忘れ物はないな、帰りましょう、さあ……」  姫野は慎也を気遣うように背をそっと押した。こうして笑い声が出た二人を載せて、姫野は札幌の街へ車を走らせた。  そして二人を送った姫野は、渋滞している道でふと、思い出した。  ……慎也くんの妹か……どんな娘だったかな。  俊也の葬式の時、いたはずだった。あの時は気にしていなかったが、姫野は慎也のためにも思い出そうとしていた。  秋の札幌の夜は、北風が吹いてた。  完
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