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53 秋の一人夜
「あった、これだ……」
自宅マンションに帰った姫野は、俊也社長の葬式の時の資料を探していて発見した。それは画像だった。
……あの時、得意先の先生が献花をしてくれたから。
姫野は知り合いの先生にお礼を言わないといけないと思い、葬式時の献花を撮影していた。今はその画像を見返していた。その画像の中に慎也の妹を探したが、やはり写っていなかった。
……ん、ここに老人が写って、え、こいつは……
義堂が喪服姿で写っいた。姫野はびっくりして椅子から落ちてしまった。
「……どうして義堂さんがここに? 待てよ、待て待て……」
慌てるなと自分に言い聞かせながら姫野は葬式の画像を確認した。すると他の画像にも義堂が写っていることはわかった。姫野の心臓の動悸が一気にどくどくと動き出した。
……義堂さんは、お嬢様と言っていた……待てよ。名前は。
ここで姫野は待てずに慎也に電話をかけた。慎也は出た。
『何?』
「慎也、いや? 社長、妹さんの名前って、何でしたっけ」
すると慎也はケロリを語る。
『鈴子。夏山鈴子だよ』
……う? やはり……
姫野は心臓を苦しそうに抑えた。
『それがどうかしたのか』
「いや、自分も探そうかと思いまして、ちなみに年齢は?」
『俺の10歳下だよ』
「あの……本当につかぬことを伺いますが、義堂さんって知り合いですか」
『義堂? 義堂は夏山の執事だよ。俺の爺やだけど』
……やっぱり……
『姫野、義堂を知っているの?』
「いや、俊也社長の葬儀のことを思い出していたので、ちょっと」
『そうか、また何か思い出したら教えてくれよな』
こうして慎也から年齢まで聞き出した姫野は、電話を切った。
……はあ、はあ、これままずい。
姫野はフラフラであったが、冷静になろうと顔を洗った。洗面台の鏡を見ながら思いを巡らせた。
……思えば、顔も見ているな……慎也くんに。
黒髪と白い肌。慎也と鈴子は言われてみれば似ている。姫野は一瞬で体の温度が下がった気がしながらベッドに倒れスマホを手にした。画像は愛する鈴子である。
……お前、慎也くんの妹だったのか。
姫野は鈴子を愛している。そんな鈴子が苦労して暮らしているのも知っているが、鈴子が家族を探していないのでその気持ちを尊重していたつもりだった。
……いや、違う、俺は怖かったんだ。
鈴子の正体を知ると、二人の関係に変化が生まれるのではないかと姫野は恐れていた。札幌に来るまでは横浜にいたお嬢様であり、今は一人で暮らしている。実は鈴子の家に行った時、家の名義は鈴子の叔父夫婦になっていることを領収書で見知っていた姫野は、結婚する時はこの夫婦に挨拶すればいいと思っていた。
……鈴子が只者じゃないと思っていたが、まさか。
訳ありだとは思っていたが、まさか慎也が探してる夏山のお嬢様だとは姫野は知りたくなかった。田舎者の自分が鈴子を愛していいのか、急に自信がなくなってしまった。
土曜日の夜、姫野はマンションの窓から見える大倉山を望んだ。酒を飲む気にもなれずただ時間が過ぎていく。
……どうしてこんなにショックなんだ。秘密にされていたせいか?
この時、ふと、スマホのメッセージが来た。見ると鈴子だった。栗ご飯が大量にあるので明日の朝、食べに来て欲しいという内容である。時計は夜の10時だった。一瞬、迷ったが姫野は、明日、行くと返事を返した。
……今、会ったら、自分でも何をいうのかわからない。
どうして話してくれなかったのかと鈴子を責めてしまいそうだった姫野は、翌日の朝、会いに行った。
「おはよう」
「ふわ……早いのね」
「鈴子、栗ご飯は後にして、ドライブに行かないか」
姫野は鈴子を車に乗せ、札幌を南へ進み中山峠まで走り出した。鈴子はまだ眠かったのか寝てしまったが、彼は故郷へ帰る道を慣れた運転で進んだ。
「着いたよ」
「……ごめんなさい、寝てしまって」
「いいだよ。お、いい景色だ」
「うわ……」
紅葉で包まれた世界で鈴子は嬉しそうに深呼吸をした。姫野は外にあったベンチに鈴子を座らせると、あげ芋を買ってきて食べさせた。
「うん! 美味しい! ホクホクね」
「こぼすなよ」
「ふふふ、大丈夫よ」
食べた後、姫野は鈴子を支笏湖までドライブした。車を停めた姫野は美しい湖を二人で眺めていた。
「なあ、鈴子、聞きたいことがあるんだが」
「なあに」
「……お前って、夏山の娘なのか」
「…………そうよ」
鈴子は一瞬、目をパチクリさせたが、真顔で姫野に告げた。
「ごめんなさい。言おう、言おうと思って、ずっと言えずにいたの」
「……いいんだよ。そうか、そうだよな」
紅葉に包まれた湖を見ていた鈴子の背を姫野は優しく抱いた。鈴子はちょっと頭を下げた。
「本当にごめんなさい、でも、秘密にするつもりはなかったよ」
「怒っていないよ、でも、正直に話してくれるかい」
「うん」
鈴子は今までの経緯を語った。小花視点の話は、夏山を出た後の話が長かった。
「そして、お母様が亡くなって、私、お母様が勤務していた旅館で仲居をしていたの。そこに夏山の正也おじさんが来て、私を養女にするとかなんとか言い出したのよ」
「金目当てか」
「わからないわ。とにかく怖かったのよ」
その時、女将の知恵で鈴子は苗字を変えて母方の実家に身を寄せたと明かした。
「では、小花はお婆さんの旧姓なんだね」
「そうなの。そしてやっと掃除のお仕事を見つけたの」
その際、夏山ビルの勤務になったと鈴子は話した。
「まさかと思ったけれど、私、夏の間だけだし、いいかなって思って」
「そうだよな、お前は職場を選べないしな」
事情を聞いた姫野は鈴子が隠そうとしていたわけではないと判断した。
「……良かった」
「どうしたの」
急に抱きつき甘えていた姫野に鈴子は驚く。姫野は情けなく呟く。
「いや、お前に秘密にされていたことが、ちょっとショックで」
「ごめんなさい! でも本当に悪気はなかったの」
「そうはもう、わかった」
姫野はこっそり鈴子の頬にキスをした。
「謝らなくていい。それよりも、これからだ」
「何が」
「実はね……慎也くんが、お前を探しているんだよ」
「今更? そうか」
そんな鈴子は湖を見つめた。
「……でも、もういいのよ……私は今の関係のままで」
「鈴子」
「姫野さん、鈴子は今のままでいいの。本当よ」
鈴子は姫野の手を握った。姫野は肩を抱き寄せた。
……これからもことを、よく考えないといけないな。
姫野は鈴子の幸せを優先することにした。秋の支笏湖は静かに姫野の思いを抱くように紅葉の色に染まっていた。
完
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