54 二人は営業マン

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54 二人は営業マン

 ドライブを終えた二人は昼過ぎに小花の家に帰ってきた。正直に打ち明けた小花はスッキリした顔をしていたが、姫野は考え中である。小花は家に彼をあげて栗ご飯を温めていた。 「さあ、どうぞ」 「ああ。……ところでこれからのことだな」 「さっきも車で話したじゃない」 「再確認だよ」  しつこい姫野は彼女に念を押すように語った。それは夏山鈴子だという事を秘密にすると言うことだった。 「だがな、慎也くんが調べているし」 「でも今までもわからなかったのだから、多分、気が付かないわよ」    小花は呑気に席に着く。姫野はせっかくなので食べ始めた。 「それに仮に正体がバレても、会わなければいいのよ」 「そうは言ってもな」 「とにかく。車の中で姫野さんが言っていた通り、残り三週間を乗り切るわ!」  小花の夏山の仕事はあと三週間。その後は仕事は休んで勉強に専念する予定である。小花はバレずに逃げ切りたいと拳を握った。 「やるしかないもの! お兄様は鈍感だから絶対大丈夫よ」 「……バレても会わないつもりなんだな」 「だって清掃員として散々会っていたからいいじゃない」 「なあ、鈴子、どうして慎也くんに妹だって言わないんだ? 今なら慎也くんの気持ちもわかるんだろう」 「……お母様の遺言なのよ」  鈴子は栗ご飯を食べた。 「姫野さんはお兄様から聞いたと思うけれど、私はお兄様と実の兄妹なのよ。でもお母様はお兄様に実の母と妹だとわからないようにしたいって、ずっと言っていたの」 「でも慎也くんは知っているぞ」 「わかってる。でも、私は、お母様があんなに思い詰めていたのを知っているから」  小花はやはり妹だと名乗るつもりはないと明かした。 「これはもう意地なの。私とお母様の」 「鈴子」 「それに。追い出しておいて、今更探して……自分勝手じゃない」 「それはそうだな」  小花はちょっとイラとした顔をした。 「だから私から名乗るつもりはないの」 「わかった。そんなに怒るな。俺は協力するから」  二人は食べ終わった。鈴子が食器を洗っている間、姫野はソファに座っていた。 「はい、お茶どうぞ……あれ、どうしたの」 「いや、お前に初めてここで勉強を教えた日のことを思い出してな」 「ちょっと前のことなのに、ずいぶん前のような気がするわね」  二人は仲良く並んで庭を見ていた。 「あの時。お前は数学の再試験だったな」 「よく覚えているのね」 「お前のことはなんでも覚えているさ、しかし、横浜の学校ではどうしていたんだ」  私立の中等部に通っていた小花は、お嬢様学校だったと話し出した。 「あの学校は学力というよりも、家庭科とか、音楽とか。そういうのに力を入れた学校だったわね」 「まあ、鈴子は英語ができるしな」 「ふふふ。姫野さんほどじゃないけれどね」 「俺なんか何もできないよ」 「また始まったわ?……やれやれ」  小花は姫野の膝を枕にしてソファに横になった。 「姫野さんはなんでもできるのに、どうして自己評価がそんなに低いのかしら?」 「何もできないよ、お前に比べたら」  姫野は優しく小花の前髪を撫でた。 「謙遜しすぎよ」 「いいや、俺なんかちっぽけだ」 「姫野さんがちっぽけなら、私はどうなるの」 「お前は最高だよ」  姫野は小花の長い髪を手にし、キスをした。 「いつも元気で……素直でまっすぐで」 「褒められている気がしない」 「まだあるよ。優しくて、料理が得意で」 「掃除も得意よ、忘れないで」 「おっと。ごめんよ」  姫野はまだ髪を撫でている。 「……そんな君に、俺は何ができるのかな」 「別に、何もしなくていいのよ?」 「え」  小花はよいしょと起き上がった。 「こうやって、鈴子のそばにいてくれればそれでいいの」 「いいのかい、俺で」 「まだそんなことを言ってるの? 私が夏山の娘だって聞いたらどうしてそうなるの」 「だって、俺は田舎者で。う!」  小花は姫野の頬を両手でぎゅうと包んだ。 「目を見て言ってちょうだい。ずっと私のそばにいるって」 「ふぁい」 「二度と! そんな弱音を吐かないって誓って!」 「わぁかりましたぁ」 「ふふふ、あ」  小花が両手を離すと姫野はパッと抱きしめた。秋の始まりの札幌は黄昏の時が流れていた。  ◇◇◇  翌朝。いつものように出社した二人は、小花が休みに入ることを隠しながら仕事をしていた。一番ギクシャクしていたのは慎也であるが、野口は予定をぎゅうぎゅうに入れ慎也を多忙に染めていた。  そんなある日の夕刻。姫野は小花を連れて風間と共に得意先へ向かっていた。駐車場に停めた三人は札幌駅を背にし大通り公園へ向かいながら歩いていると小花が観光客に声をかけられた。 「すみません、時計台ってどこですか」 「時計台ですか、それはここから駅に向かって行くとありますよ」 「ありがとうございました」  姫野と歩いていた小花は観光客にそう答えて黄昏のアカシアの街路樹の下を歩いていた。風間はぽつと語る。 「確かに時計台はどこにあるかわかんないよね、ビルにうずもれて見えないから」  交差点で立ち止まった風間は少し寒そうに肩をすくめた。小花は点字ブロックの上に立ってしまったので一瞬ぐらっとした。 「昔は周囲に何も無かったそうですよ。祖母は時計台の音で時間を知ったと言っていましたから」 「そういえばお婆さんって元気か? グループホームにいるんだろう」  小花は母方の祖母の家に住んでいる。実際に施設に行ったことがない姫野は小花に何気なく尋ねた。 「ええ、伯父夫婦がお世話をしてくれているので、私も少し気が楽になったわ」 「あの……すみません! 時計台はどこですか」  小花はまた若い男性観光客に声を掛けられたが、間に姫野がサッと入る。 「あの、恐れ入りますが……」  姫野が代わりに話し出す。 「スマホをお持ちですよね……マップにしてください、ああ。ここです。このままお進み下さい。では」  姫野はそっけない態度で道を伝え小花の肩を抱き青信号の交差点を渡り出した。小花は感心していた。 「そうか。私もそう言えば良いのね」 「鈴子、あれはナンパだぞ? あんなの相手にするんじゃない」 「そんなこと言っても無理よ」 「先輩、それだけ小花ちゃんは美しいんですよ」 「それは俺が一番よく知っている」 「皆さん、車よ」  小花は普段は質素な身なりだが、今日は用事あるので紺のワンピースを着ていた。自分の魅力に全く無自覚な小花に、姫野はイライラしていた。  ……この服はもう着せたくないな、愛らしくてみんなが振り返ってしまう。  視線さえ断ち切りたい姫野はアイドルを守るマネージャーのように歩いていた。三人には秋のビル風が吹いてきた。 「日が落ちると肌寒いですね」 「ビル風だしな。ほら、俺の上着を着ろ」 「あ! 先輩ずるい! 俺の上着を着て欲しかったのに。小花ちゃん、帰りは俺の上着、着てね」 「どうでもいいから行くぞ」  騒がしい三人組は、こうして創成川沿いのビルに着いた。姫野はエレベーターのボタンを押した。 「いいかい? 鈴子、もう一度説明するよ。ここのクリニックは新規に開院したのだが、まだ患者が全然来ないんだ。済まないが今日は患者として診察を受けて欲しんだ」 「悪いね小花ちゃん。ここは俺の担当なんだけどさ。先生、誰も患者が来ないから落ち込んでいるんだよ。小花ちゃんみたいな女の子が来たら、少しやる気が出ると思うんだ」 「大丈夫ですよ。ちょうど喉が痛かったので」  三人はクリニックまでやってきた。患者はいない様子である。  「良いタイミングだ。入るぞ……どうも。夏山愛生堂です」  入ったが真っ白な内装のクリニックの受付には誰もいない。風間がおかしいな、と首を傾げながら声を掛けた。 「すみませーん! 夏山です。せんせーい」  三人が待つと奥から白衣を着た小太りの男性がやってきた。何か食べていたのか口元がもぐもぐしていたが、びっくりした顔をしている。 「あ? 風間君、姫野君、いらっしゃい」  『いらっしゃい』という医師の言葉に三人は呆れないように我慢した。姫野は待合室を見渡しながら尋ねた。 「どうもです。いかがですか先生、患者さんは?」 「それがお恥ずかしい。午前中は二人、午後は、まだです」  そうだろうな、といういうくらいクリニックは静かだった。申し訳なさそうな医師に姫野は大丈夫です、と小花を紹介した。 「先生、実は今日、知り合いを連れて来ましたので診察をお願いします」 「こんばんは。初めまして、私、マイナ保険証じゃない人です」  姫野に背を押されて小花は受付前に一歩前に出た。医師は慌てた。 「どっちでも大丈夫ですよ。では、この問診表に……ええと? 鉛筆は」 「はい! 私、もう書きました。待っている間に」  ドヤ顔の小花に風間は笑みを浮かべる。 「小花ちゃんは仕事が早いな……」 「知らなかったのか? 鈴子はなんでも早いんだぞ」 「どうでもいいですけど、上着を返すわ」  三人が話している間に医師は中へ引っ込んだ。そして院内にピンポーンと音が鳴りアナウンスが響いた。 『小花さん。1番にお入りください』  マイクを使わずとも地声で十分聞こえていたが、小花はドアを探した。 「こっちだ鈴子、一緒に行くぞ」 「え? 姫野さんも入るんですか?」 「俺も行く! 話をするだけだよ」  こうして三人は1番と書かれた診察室に一緒に入った。ちなみに診察室は5番まであった。 「ええと……今日はいかがされましたか?」 「はい。私、三日ほど前から喉が痛くて」  何のために問診票を書いたんだよと小花が思っていると、医師はちゃんと読んでいた。椅子に座っている小花の背後には姫野と風間が後方腕組み彼氏面で立っていた。医師はその強烈な視線に緊張の声で診察を始めた。 「熱も平熱、下痢もしてない。では口を開けて、あーん?」  医師の動きを姫野と風間はじっと見ている。医師はやりにくそうに見上げた。 「お二人とも……そんな顔しなくても彼女に内診はしませんよ。これは風邪ですね、薬を出しておきましょう」  医師はパソコンでカルテを書き、小花もそうだろうなと頷いた。 「はい」 「では、行っていいですよ」 「……それではダメです。先生!」 「は?」  眉間にしわを寄せた姫野に、院長はビクとした。姫野は呆れたように肩をすくめた。 「まず! 患者の顔色をもっと診てください。喉が痛い患者でも他の病気があるかもしれないんですから」 「……そうですね、初診ですから」  姫野と風間の言葉に新米医師は動揺した。 「そ、そうだね。じゃあ、健康診断を進めれば」 「その前に全体の印象を……おい、鈴子、顔を貸せ」 「え?」  姫野は驚く小花の左眼の下瞼を指でそっと引っ張った。 「じっとしろよ……ほら先生。見てください、白いでしょ」 「ああ、貧血があるね」  小花の瞼の裏の白さは、貧血を示していた。姫野は解説する。 「先生、このように若い娘は大体が貧血なんです」 「あの、先輩は言い切ってますが、僕もそう思います」  多くの得意先に姫野と同行している風間は、若い女性の患者さんの時は疑ってあげてほしいと優しく告げた。 「自覚がない女性が多い気がするので、ぜひお願いします」 「そうです! ここで鉄剤を処方するか。血液検査をして下さい」  優しい風間と語気を強める姫野に医師は圧倒される。 「そ、そうだね、わかったよ」 「それと。病状の改善を確認するために3日後に予約をさせるのはお約束です」 「はい?!」  姫野のお節介な処方が続く。 「そして、鈴子に何を処方したんですか?ああ……ダメですよ? 先生、胃薬とトローチとうがい薬はセットにしてくれないと」  ……姫野さんは私の心配しているのかしら。それとも薬を売りたいのかしら。  小花は姫野の熱弁が愛なのか仕事なのかわからず一瞬、姫野を疑っていると、風間は目で『愛の方だよ、大丈夫だから』と小花に優しく目ばせを送った。姫野はまだ医師に指導をしている。 「後は、若い女性にはビタミンCも勧めてください、肌荒れに効くので」 「肌荒れね……まあ、風邪予防にはなるものね」  医師は素直に聞いている。姫野はイラッとしていた。 「問診も! 『他に気になる所は無いですか?』って聞いていただきたいですね……他の病気を発見してほしいです」 「姫野君。あの……」 「何ですか?」  時計を見て帰りたくなった姫野に医師はケロッとした顔で見つめた。 「若い女性には何を勧めろって言ったんだっけ?」 「……ビタミンCです」 「あ! そうだ。ビタミンC…だった。ねえ男の人だったら何を勧めるの?」  ここで風間がカバンから取り出した。 「それならいいのが有ります! ジャーン」  風間はご機嫌の顔でパンフレットを取り出した。邪魔になりそうなので小花はここで待合室へ移動した。 「こっちは禁煙用のニコチンタブレット。こっちは薄毛に効く新薬品。こっちは男性の更年期に聞くホルモン剤です」 「へえ。僕も使おうかな」  他人事の様子の医師に姫野はしっかりしろ、と言わんばかりに語り出す。 「先生。場所柄、このクリニックに来る患者は、疲れた男性サラリーマンです。彼らは仕事の合間に来ます。だから5つある診察室も有効に利用して、どんどん点滴を勧めてはどうですか」 「点滴ね」  へえ、それは簡単そうだな、という医師の安易な顔を姫野と風間は見逃さない。 「はい。点滴は飲み薬と違って速攻性がありますし。何より点滴の間、このベッドで眠れますので患者には癒しのひと時になるかと思います」 「先生。患者さんがどんどんきますよ」  姫野と風間の営業トークに医師はやる気を見せた。 「で? それはどうやって勧めるの」  これも言わないといけないのか、と言わない姫野と風間は笑顔で進める。 「そうですね。この場合、『非常にお疲れのようですが、お時間あるなら点滴しますか?』とかですかね」 「小一時間で終わりますよって。掛かる時間を言うと良いですよ」  姫野と風間の言葉で医師は自信が出たようである。 「分かった! 君たち言う通りにするよ、ありがとうね」  こうして三人はクリニックを後にした。玄関を出てエレベーターを待っている間、小花は怪しげな目で姫野を見ていた。 「なんだ、その目は」 「だって姫野さん。お医者さまよりも詳しいんですもの」 「すごいでしょ。だからトップセールスなんだよ」  便乗して感心している風間に姫野は開いたエレベーターのドアを押さえ、小花と風間を入れながら呆れたように話す。 「お前な? そんな事言っている場合か。新人戦は始まっているんだぞ?」 「出た! それ、俺、忘れようとしていたのに……」 「新人戦? 何ですかそれ」  新人戦とは、新入社員の夏山愛生堂の医薬品営業マンの売り上げ実績を競うものだと姫野は小花に説明した。 「このままいけば風間がトップだ。まあ。風間の親父さんも石原部長と渡部長と抜いて新人賞を取ったんだから。お前も取れるさ」 「親父は関係ないですよ」 「そうね、別人だし、それよりも姫野さんはどうだったの?」  エレベーターは地下に降りてドアが開く。風間が開ボタンを押している間に姫野と小花は降りた。風間も二人の跡を追う。 「小花ちゃん。先輩が取れないはずないでしょう? 新人記録持っているんだよ」 「たまたまだよ」 「何言ってんですか? その時の事を帯広の黒沼先輩が根に持っているのに」 「あいつ、それで俺に突っかかってきていたのか」 「無自覚ですか?……大物すぎる」  ……本当にそうだわ。  小花は地下道で隣を歩く姫野をそっと見上げた。  派遣社員の小花は今まで様々な会社を渡り歩いていた。清掃員の仕事をしている彼女は時には八つ当たりをされたり意地悪されたりする事が多かった。  小花は高校を中退しているし、二年前までお嬢様をしていたので、世間知らずを自覚しており、仕事も清掃作業くらいしかできない。  でも建物を綺麗にする仕事を誇りに思っている。そんな小花は夏山ビルに来て、ひょんなことから風間と知り合った。  風間はススキノの老舗薬局の御曹司であったので、お嬢様育ちの小花としては、波長が合っており気兼ねせずにいられた。  しかし小花の素性を知らない姫野は、初対面からストレートに話をして来た。  ……お医者様にもはっきり言うのね、無神経かもしれないけれど、言っていることは正しいみたいだし。  こんなにはっきり意見を言う人は、小花には新鮮である。  ……そんな姫野さんに甘えてばかりいないで、お役に立ちたいと思っているんだけど。今日は診察受けただけで、良かったのかしら。 「ん? どうした。俺の顔に何か付いているか」 「眼と鼻と口と」 「ふふふ、小花ちゃんも冗談言うんだね」 「そんな事よりも。何か食べて帰るか」 「じゃあ。こっちへ。地下に行きましょう。俺が案内します」  ……ああ、風間さんともしばらく会えなくなるのね。  秋の札幌、地下道を歩く小花はふと風間を見た。夕刻のオーロラタウンは多くの人が行き交っていた。待ち合わせスポットの小鳥の広場を横目で見ていた小花は、ずっとこのままでいたい想いを噛み締めて歩いていた。 完
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