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57 ホワイトローズの涙
……忙しそうね。
中央第一営業所を掃除していた小花は、朝から殺気だった雰囲気にモップを持ってカーテンのそばに佇んでいた。
……石原さんがお仕事をしているわ? それに松田さんが集中モードになっている……
掃除娘の小花など間に入れないほど、営業所は緊迫した様子で各自が仕事をしていた。
「大丈夫? 小花ちゃん」
「風間さん、私は平気です。それよりも今日が締切日なんですね」
「うん、だから先輩が張り切っていて」
余裕でコーヒーを飲む風間は小花に語ると、チラッと姫野を見た。姫野はパソコンを画面を見てすくっと立ち上がる。
「……予想通りになっているな。さ、風間、行くぞ。あ? 鈴子、今日はすまない、ここは戦場だ」
「わかっています。どうぞ、お気をつけて」
姫野は小さく笑うと小花の頭をポンと撫でた。
「風間。やはり俺達も追い込みに得意先を回る。今日は二手に分かれるぞ」
「はい。小花ちゃん、行ってくるね」
姫野と風間は夏山ビルを飛び出した。この日は別行動で得意先を回ることになった。
新人風間が担当する得意先は元々は姫野の担当していた医療機関である。さらに先輩というかお兄ちゃんが溢れんばかりに出てしまい、風間本人よりも新人戦で勝ちたい気持ちで姫野はひたすら薬の購入を頼みに得意先を回っていた。こんな午前中の二人は各自営業車に飛び乗り札幌の街を駆け抜けた。
そして、夕方4時。営業所に戻ってきた姫野は、利益管理部の女子社員の元に馳せた。
「どうですか? 風間はデータは?」
「はい。4時の時点では織田さんがトップです。そして先ほど帯広の黒沼さんからも問い合わせがありました」
「黒沼か」
帯広支店の黒沼は姫野の同期でライバルであり、姫野の策略を知っている男だった。
……だが、それはこっちも同じだ。
黒沼は利益率が多い医薬品の売上を伸ばすと姫野は睨んでいた。それに姫野にはまだ回収金というポイントアップの策がある。
「わかりました。あの、今から風間の売上がアップします。それを見ていて下さい。じゃ!」
……俺が頼んだ分と、風間の分が反映されるはず。
得意先の病院が夏山愛生堂に薬を発注すれば、自動的に売上が伸びる。いつもの発注は診察前の午前中が多いが、この日の姫野は明日の分を夕刻のうちに発注するように頼んできた。
そして一階の営業所に戻った姫野は、部長の石原に報告をした。石原も風間が回りきれない遠い住所の得意先に売上貢献を頼んで帰ってきた所だった。
「黒沼か。あいつ、何するかわかんねえしな」
「まあ、売るしかできませんがね」
「姫野係長! このリストには全部電話できましたよ」
電話を終えた松田は、リストをひらひらさせた。
「秋の乾燥肌用のクリーム、全て注文入りました! そして、こっちの秋の花粉症の薬も今日中に発注かけてくれました」
「おお。さすが」
「お世話になります」
営業マンが医者と購入約束をしても、発注などの事務手続きはオンラインで医療機関の事務員が行う。こうして事務員が実行しないと話にならないため、営業所で留守番の松田は、発注がこない得意先に電話でお願いすると同時に、他の医薬品も電話で売りつけていた。
「でも、まだギリギリまで追い込みかけます!
「頼むぞ、って。もしかしたらお前がうちで一番売っているのかもしれんな」
真剣な松田に石原はため息をこぼす。姫野はその間、パソコンを見ている。
「部長、自分も全得意先に、肺炎球菌のワクチンを購入してもらいました。これは利益率が良いので反映されればこれからポイントが上がるはずです」
「売上で伸ばせるのはそこまでっことか……ところで風間はどうした?」
「まだ戻っていませんか? もうすぐ5時なのに。あいつは」
苛立つ姫野は風間に電話をした。
「出ません」
「いいさ。ここにいても邪魔だしよ。あいつには最後まで得意先を回らせておけ。それより回収金はいつ入力するんだ」
「あ? もう5時か……」
売上はどんどん伸びているが、それは織田の売上も同様である。風間が若干リードしている中、姫野には回収金を入力するという必殺技が残っっている。
……それをギリギリで入力すれば、突き放して勝てると思うんだよな。
なぜギリギリで入れるかというと、早めにデータに入力すると向こうもムキになって勝ろうとするからである。このため最後に入力しようと姫野は決めていた。
……だが、まだ落ち着かない……黒沼が何をするかわからんし。
「失礼します、清掃です」
緊迫した営業所に小花が現れた。姫野は腕を組み悩んでいる。
「あ? 姫野さん!私……あの」
「済まない! 今は君に構っていられないんだ」
「あ」
姫野は小花を押しのけて、利益管理部へ駆けて行った。背後ではスマホを持った小花が何かを言っていたが、営業所では電話が鳴り響いていた。
姫野は五階に行き、利益管理部の事務員元に走ってきた。
「君、どうかな」
「は、はい……」
事務員は一瞬、姫野が自分に会いにきてくれたような気がして勘違いしそうになったが、また鼻血が出たら困るので彼を見ないように仕事のことだけを考えた。
「今は風間さんがトップです」
「見せてくれ」
確認すると姫野の策略通りにワクチンの購入で一気に風間がトップになり、これを画面で見ている他の5階にいる社員達は、おおお、と歓喜の声を上げた。
「あ? でも、また織田さんですね」
「シーソーゲームか」
風間が売れば、織田も売る。二人のリアルデータはまるでオークションのような動きになった。
……まだ5時10分。回収金を入力するのはまだ早いな。
織田のデータを読み解く姫野は、織田も最後の追い込みで得意先に発注をお願いしているのだとわかった。織田の得意先は大病院が主なので担当件数が少ない。このため一件の病院に無理を頼む形になっている。反して風間は札幌の中心部の小さなクリニックの担当であり件数が圧倒的に多い。このため姫野と石原も一緒に売上貢献をお願いをして周り、松田が電話でお願いをしている状態である。
……どうやら最後まで売上を伸ばせるのは、うちのようだな。
風間に欠点は全部の得意先に顔を出せるのか、ということだった。だが姫野は部長や松田の電話攻撃でこれをカバーしていた。
……このまま行けそうだが、どうも不安だ。
姫野の懸念材料は、賢い美咲の存在である。清掃員だった彼女は現在、夏山の研究員扱いで秘書の野口の補佐をしている。
……彼女が黒沼に知恵を授けると、厄介だな。
「お忙しい中、恐縮ですが、あの」
「うるさいな! なんだ? あ、鈴子か」
姫野のシャツの裾を引く小花は、姫野にスマホを見せた。
「営業所にスマホを置いてありましたが、風間さんからずっと鳴って」
「おっと? すまない『もしもし、風間、お前、今どこだ。へ? 平先生の債権額?』って」
『はい、先輩。今、払ってもらえるそうです! 金額を教えてください』
「待てよ」
風間の弾む声に、姫野は慌てた。
「それは今、くれるってことか?
『そっす。現金でくれるんで』
「わかった。金額をメールで送るから。それを持って直接経理がある五階に来い! 6時までだ! 急げ!」
そう言って電話を切った姫野は、メールで正確な金額を送ると同じフロアの財務部に向かった。
「良子部長」
「なした? 姫野君」
「……今からうちの風間が、不良債権の回収金を持ってきます。なので金庫を閉じないでもらえますか? 6時まで間に合わせますので」
いつも6時まで閉めない良子は、部下の相崎とアイコンタクトで頷く。
「もちろんよ。それで金額は?」
「270万程です」
「わかったよ……でも6時までだからね!」
「お願いします」
そして姫野は利益管理へ戻った。経理が受理して伝票ができたら利益管理の事務員が入力する。姫野は、担当事務員に270万を入力した場合の試算をしてもらった。
「この得意先はS級でしたのでポイントが高いです。これで逆転ですが……あれ?」
「なんだ?」
「帯広も回収金を入れて来ました。これでわからなくなりました」
……美咲くんだな。
ただ、向こうも売上がこれ以上、伸びないための苦肉の策と姫野は判断した。
……ということは、向こうはこれ以上、ポイントを伸ばせない、という意味だ。
利益管理部をはじめ姫野を囲む事務員達は、目先の動きに戸惑い風間が負けると青ざめている中、姫野だけは勝利への階段を一歩上った気分で次の手を考えている。
「では、こっちに手持ちの回収金30万を入力したらどうなります?」
「僅差で勝ると思いますが? あ、電話だ。もしもし……」
事務員は受話器を押さえて黒沼からの電話だと言った。
「はい。5時30分の時点では、織田さんがトップですね」
受話器の向こうから、おおおおおと帯広営業所の歓声が聞こえて来た。姫野は腕を組み目を伏せる。事務員は必死に話を聞いている。
「え? 風間さんの利益の入力ですか? お待ちください」
事務員はなんと答えるべきかリンダに尋ねると、リンダが代わった。
「もしもし、リンダです。公平にお答えしますね。結論から言って『そんなのわかりません』」
『それはないでしょう? 風間の肩を持つんですか』
黒沼の声が受話器から漏れる。リンダがため息で答える。
「あのね? 私たちは伝票が来たら入力するのが仕事なの。それに、そっちは自分たちで入力しているじゃないの。こっちのデータを聞きたいならそっちも教えないとおかしいでしょう」
『……わかりました』
「黒沼君! 私はにみんなを応援しているの! じゃあね〜」
リンダが笑顔で電話を終えた。彼女の判断に周囲は拍手した。だが一人リンダの話など聞いていなかった姫野は、ふうと溜息をつき事務員に指示を出した。
「その30万円は5時50分になったら入力して下さい。最後の270万はその後に入れます」
「はい。いいですよね、リンダ部長」
「えええ、でも姫野君。ちゃんと経理で受理してからじゃないと、こっちは入力しないわよ」
……確かに公平だ。
風間が現金を持ってきただけでは認めないというリンダの態度に、公平という厳しさを姫野は見た。
「もちろんです」
「さあ! みんな、他の仕事もしてね。仕事は風間君ばかりじゃないのよ」」
リンダの声を聞いた姫野は中央第一営業所に戻った。松田に風間を玄関で待ち、財務部に連行するように指示をし、時計を見た。
……まだ時間があるな、もう少し買ってくれそうな得意先に頼むしかないか。
姫野は電話をしようと机に座った。この時、小花がやってきた。
「姫野さん、あの」
「鈴子、悪いが俺は」
「あの、私の通っているホワイトローズクリニックの先生が……」
小花がスマホを開いていると、松田が営業所に飛び込んできた。
「姫野係長! 風間君が到着しました」
「今行く! 鈴子、後で」
「あ? 待ってーー!」
松田の声を聞き姫野は駆け出した。小花は慌てて追いかけた。
「これで現金270万です。領収書はこれ」
「でかしたぞ、風間」
「風間君。確かに受理したわ、これ、リンダさんに」
「はい」
5時45分。財務部の経理に受理されたお金の情報の入力は、利益管理部でデータ入力の準備ができた。締め切りまで後15分となった。
「先輩、あと15分ですよ」
「まだ15分だ。落ち着け」
「お二人とも、帯広から依頼があったわ」
リンダが二人に画面を見せた。
「今だけ帯広もこの画面をリアルタイムで情報を見られるようになっているわ。それを頭に入れて判断してね」
……美咲君だな、まあ、これで公平だ。
こうなることも予想していた姫野は椅子に座りデータを見た。
「わかりました。これでアドバンテージはないですね」
「……こっちで聞いてるのは270万円の入力だけね。他にはないのでしょう」
「……風間、ここで見ていても仕方がない。一件でもいいから最後まで電話しろ」
「そうっすね、ええと……でも、今、先生、出るかな」
「あの……本当にすみませんが」
5階のフロアにいる皆がそれぞれパソコンを睨む中、小花はシャツの波をかき分け、とうとう姫野の所までやってきた。
「姫野さん。あのね」
「鈴子、あと15分だ」
「待てないの! 電話が鳴ってるの!」
突然、小花が泣きそうな顔で叫んだ。姫野も風間もびっくりした。
「ホワイトローズクリニックの先生が、点滴のお薬がいっぱい欲しいって私の携帯に電話してきてるんです!」
「何?」
「どういうこと? 小花ちゃんって」
姫野と風間に小花は語る。
「先生はパソコンが壊れて、中央一の電話も話中で繋がらないから、私の所に何度も電話が入って、私困っているんです!」
小花の叫びにフロアがシーンとなったしかし、姫野が沈黙を破った。
「風間! 先生に確認して2ヶ月分買ってもらえ! 早くしろ」
だが風間はもう電話していた。
「早く出ろ……あ! もしもし、先生ですか……夏山の風間です」
時計は50分。緊張に包まれたフロアは風間の声だけが響く。利益管理部の事務員は、まず30万の回収金のデータを入力した。
「風間さんがトップになりました」
事務員の声におおおおと歓声が上がった。
「でも織田さんも回収金を入れました……」
うーーんという溜息が五階に広がった。姫野もスマホを取り出し、得意先にメールで購入のお願いのやり取りを始めた。
風間が電話し、姫野はスマホの夢中である。事務員達は画面に釘付けになっている世界は時計だけが動いていた。
「いいわ、時間よ」
「はい。行きます」
55分になったのでリンダは事務員に指示した。事務員が270万のデータを入れた。
「これで……どうだ!」
enter keyを強く押した事務員の声。この場を息を飲み見守る5階の社員達は顔の前で手を合わせた。
「どうよ、リンダさん」
「良子さん、今は風間君……あ、また織田君ね」
二人が見守る中、風間は電話中。姫野は黙ってメールをしていた。数字は僅差で風間。しかし、57分。再度、織田が抜いた。
「……ダメか?」
「まだよ。良子さん」
だが事務員達の落胆の声がフロアに響く。風間はケロリとした顔で電話を終えた、
「先輩、発注きましたか?」
「自分で画面を見ろ。今、俺も頼んだから増えるはずだ」
59分。5階の社員は全員が画面を見つめていた。
「来い来い来い……はい、出た!」
「おめでとう。風間君」
良子とリンダの言葉で五階のフロアにいる人間は一斉に拍手した。風間はありがとうと会釈しながら手を振り、姫野もメールを終えて会釈しながら五階を後にした。
「まあ、お前にしてはよくやったな」
「はあ、疲れた」
姫野に褒められながら中央第一営業所に戻ってきた風間は、石原と松田とハイタッチをした。
「風間、お疲れさん」
「風間君、おめでとう」
「ありがとうございます、みなさんのおかげです」
「ところで、お前、ホワイトローズの先生にずいぶん買わせたな」
「はい、面倒だったし」
風間はホワイトローズクリニックの医師に3カ月分の医薬品を購入させたのだった。
「三ヶ月分も?」
「だって……それくらいしないと差が開かないと思ったんですよ」
姫野もネクタイを緩める。
「それよりも、平先生から金をもらえるとはな、どうやったんだ」
「ああ、あれはですね」
売上のために車を走らせていた風間は、赤レンガ診療所の前も通ったと明かした。
「雨なのに窓が開いていたから寄ったんです。そしたら草取りの御礼を小花ちゃんにしたいって先生が言うんで、俺は彼女に電話をして、二人で話してもらったんです。すると平先生が急に払うって言い出して。車椅子の下から現金でポーンってくれたんです」
「そうだった、鈴子は? 松田さん、知りませんか」
「……帰りましたよ。泣きべそかきながら」
「はあ? 泣きべそって」
松田は残念そうに語り出した。
「ずっと電話のことを訴えていたのに。怒られたって悲しそうでしたね」
「すまん、姫野。俺たちもこの営業所の電話をとるのに必死だったんだよ」
「そうか。小花ちゃんは俺のために先輩に伝えようとしてくれてたのか」
「そうなよ。ああ。真の功労者なのに悪いことをしちゃったわね」
……やってしまった。
仕事になると態度がキツくなる姫野は反省して小花に連絡したが出てもらえなかった。メッセージも無視された姫野は小花の自宅まで謝りに行った。
……もう9時だ、こんな時刻まで、一体どこで何をしているんだ?
留守の家を心配していると、夜道を歩いてきた彼女が帰って来た。
「あれ。姫野さん。どうしたんですか?」
「君こそ、電話にも出ないし」
「……居残りです」
「そうか。夜間学校か。数学か?」
疲れた顔の小花は小さく首を振った。
「物理です」
そういって玄関前に立つ姫野のそばまで歩いてきた。
「私に何か御用でしたか?」
「いや? その、今日の礼と詫びを」
すると小花は、じっと姫野を見た。
「……もう。いいですから」
「いや。謝る」
「ですから。もういいの!」
「待て!? 鈴子」
しかし彼女の機嫌はものすごく悪かった。
「物理も姫野さんも嫌いです!」
そういって小花は玄関のドアを閉めた。姫野は大きく肩を落とし、ごめんと声を掛けて帰って行った。玄関のドアの向こうの小花はいじけていた。
……無力な私でも少しくらいは協力したいと思ったのに。あんなに怒るなんて。やっぱり私は姫野さんの邪魔になるだけなんだわ。
家に上がると彼女は重たい教科書が入ったトートバッグを床に置いた。本当は勉強を教えて欲しかったけど。やはり甘えてはいけないと思った。
そんな小花は食事も取らずお風呂に入り、この夜は不貞寝した。
◇◇◇
……少し寒いな。
慎也はマンションの一室でワインを飲んでいた。手には資料があった。彼は弁護士の話を思い出していた。
「先日は取り乱してすみません」
「いいえ。そんな事ありませんよ」
夜のマンション。二人以外誰もいないリビングのソファに御子柴は腰を掛けた。
「今日は報告が一つあります、早速ですが……」
御子柴の資料を慎也は手に取った。
「慎也社長に当初依頼された内容は、夏山真子さんの過去と現状でした。これからお話しする内容で過去の報告は終了になります。これで調査は鈴子さんの現状だけになります」
「ええ。鈴子の事も引き続きお願いします」
「……失礼ながら。慎也さんは妹さんの事は良く思われていなかったと思いますが」
弁護士の言葉は優しかった。慎也は自虐ぎみに打ち明けた。
「確かに。私は父の愛情を一人占めした妹を憎んでいました。でも今回の調査で義母や妹に何も罪は無いというか、むしろ利己主義の親父に腹が立っている心境です」
「そうですか、では、今後も鈴子さんの調査でよろしいですね」
「はい」
弁護士は資料をめくった。
「それでは真子さんの過去について、最終報告をします。心してお聞きください」
御子柴は神妙な面持ちで慎也に封筒を渡した。慎也はこれを取りだした。
「これは?」
「カルテです」
『母 春野真子 子 男児』とあった。慎也は目を疑う。
「その出生日をご覧ください」
慎也は胸が詰まった。
「……俺の誕生日です」
「慎也さんの血液型は」
「O型です。父はBで、母はAで」
弁護士はここで違う資料を出した。
「あなたのお母様の圭子さんはAB型です。これがその証拠で……お母様からはO型は生まれません」
「では真子さんは……俺の産みの母なんですか?」
弁護士は頷いた。
「そうなります。これは当時の助産婦の話です。これは俊也さん、圭子夫人、真子さんの三人で取り決めた事のようで、生まれた赤ん坊を圭子夫人が連れて行ったそうです。圭子夫人は何度も真子さんに頭を下げていたそうです」
「信じられない……」
慎也の手から、書類が落ちて行った。しかし御子柴は話を続けた。
「この産婦人科はススキノにあり、水商売の女性が数多く出産した病院でした。現在は廃業していますが、当時の訳ありの出産については、今回のような母親探しが多くあるようで、カルテを別に保管しているそうです」
この説明に慎也は立ち上がると、キッチンからウイスキーを片手に持ってきた。
「すみません、先生」
「どうぞ。私に構わずに」
慎也はグラスに少量入れた酒を一気に飲んだ。そして気を落ち着けてから御子柴に向かった。
「……母が、あの母が本当の母では無い、というのはまだちょっと信じられないのですが」
「遺伝子鑑定をすればはっきりしますが、いかがなされますか?」
「いや、まだそこまでは」
考えられない慎也は、そのまま椅子に座った。弁護士は慎也のショックに目を細めた。
「今夜はこれで失礼します。次回は鈴子さんの行方について報告に上がります」
……なんて言っていたよな。
慎也は弁護士とのやりとりを思い出し、夜のバルコニーに出た。秋の風が寒かった。
……どこにいるんだ、鈴子。お兄ちゃんは、お前に謝りたいんだ。
真子と鈴子を思い出した時の激しい後悔。だが、真実を知り今は鈴子に謝罪し、助けたい気持ちになっていた。
……自分で苦労させたおいて、助けるなんておこがましいけれど、でも、俺は助けたい。
9月の札幌。夜風は寒く秋を運んでいた。
完
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