59 シンデレラの舞踏会

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59 シンデレラの舞踏会

 第一金曜日の夜。風間のトップ達成と関係者の慰労を兼ねて、飲み会が開かれていた。  財務部長の良子にキス攻めにされ、利益管理部の女子にお姫様抱っこをせがまれた姫野と風間は、疲労困憊で自宅に戻った。  札幌の短い夏は終わりを告げ、秋色に染まっていた。そんなある日の朝、総務部の蘭と美紀が中央第一営業所に現れた。 「風間くん、これお願いします」 「詳しくは姫野さんに聞いてね。じゃ!」  風間が受け取っていないのに二人は去って行った。風間は二人が机の上に置いていった資料を手にした。 「『創立記念、新人戦表彰式』ってなんじゃこりゃ?」 「ついに来たか、とうとう……」    医療新聞を見ていた姫野は座っていた椅子をくるっと回した。 「風間は新人戦で一番だったからな。創立記念日のパーティーでお前は表彰されるんだ。会場はプリンセスホテルだろう」 「その表彰は嬉しいけど、あのですね、ここに円舞披露ってあるんすけど。何ですかこれ?」 「……それは社交ダンスの事よ、風間君」  新発売の医療用美容液の匂いを嗅いでいた松田女史は、そうつぶやいた。 「もしかして。俺、踊るんですか?」  営業所はシーンと静まった。 「俺。嫌ですよ。そんな事したこと無いし」 「いや、風間、落ち着け! 話を聞け」 「やだ! やだやだ。俺、こういうのは嫌です」 「ちょっと?! 風間君!」    松田女史が制止するのも聞かず、風間は営業所を飛び出した。急いで階段を駆け上がり、5階の立ち入り禁止のドアを開けた。 「小花ちゃん! 助けてぇ」 「一体どうしたんですか?」  小上がりに座り、難しい宿題をこなしていた小花は、風間の勢いに驚いた。 「お願い! 俺を隠して」 「まあ? では……こちらにどうぞ」  トイレットペーパーが入っている大きなダンボールの陰に風間は座りこんだ。その時、ノック音がし、ドアが開いた。 「失礼する! 鈴子。ここに風間が来ただろう?」  部屋に入ってきた姫野は、小花を問い詰めた。 「何があったの?」 「社交ダンスを踊るのが嫌で、逃げ出したんだ、練習させないと」 「あの……どうして突然、風間さんは社交ダンスを踊らないといけないの?」  小花の素朴な質問に姫野は面倒そうに答える。 「新人戦で三位まで入った者は、社員の前でダンスを披露するのが恒例なんだ。これを知るとあいつは尻ごみすると思ったら今まで言わなかったんだよ」 「尻込み……確かにそういうのは好きじゃないわね」 「だから秘密にしていたんだ。だいたい、あいつは何事もやる気がないし」  すると、小花はペンをギュと握り締めた。 「でも、嫌がっているのに強制はできないでしょう」 「でも、伝統なんだ。俺も嫌だけどやったんだぞ」 「あのですね」  姫野の態度に、小花はなぜか無償に腹が立ってきた。 「伝統が何よ」 「ん?」 「そうやって意味もわからず伝統だからって、続けるのはおかしいわ」 「何を怒っているんだ?」 「だいたいね」  小花はペンを置き、姫野に言い出した。 「姫野さんは自分が正しいと思っているからそういう発想になるのよ。世の中にはやろうとしてもできない人がいるのよ」  難しい問題が解けずイライラしていた小花は、優等生ぶっている姫野にカチンときた。姫野は小花の怒りを鎮める。 「落ち着け、俺はそこまで言ってない」 「私だって頑張っているのに……自分がなんでもできるからって」 「おいおい。鈴子、そんなに怒るな」 「うるさいの!」  そういって小花は姫野に洗濯を終えた白い雑巾を投げ付けた。これをみた風間は流石に姿を現した。 「うわ? 小花ちゃん! もういいんだよ」  ダンボールの隙間から、風間が飛び出してきた。ぞうきんを投げつけられていた姫野はほっとした。 「やっぱり隠れていたな」 「あのね 小花ちゃん、落ち着いて! 先輩は俺を挑発しようとして、わざとひどい事を言ったんだよ」 「へ?」 「全く……世話を焼かせて」    雑巾を頭からかぶった姫野は、やれやれと床に投げられた雑巾を拾い始めた。 「ご、ごめんなさい!」 「いいんだ、俺はお前を愛しているから……それよりも風間」  半べそをかきながら雑巾を拾う小花の頭を、姫野は優しく撫でた。 「どうする? 今回は辞めるか?」 「いえ、やります。小花ちゃんが俺の事をそこまで信じてくれているんですから」 「……おい、鈴子も聞いたか?」 「うん、風間さんは、もう一人でやっていけるのね」 「何をいうんだよ? 小花ちゃんがいないとダメだよ」  風間も一緒に雑巾を拾い集めた。 「小花ちゃん、俺、やるよ。だから心配しないで」 「風間さん……うん。信じています」 「おう! じゃあ、先輩、行きましょう」 「ああ……鈴子、ごめんよ」 「いいのよ」  姫野と小花は手を振って別れた。  ……風間さんともお別れね。ちょっと寂しいな。  二人が去った部屋。小花は座卓につき勉強に戻った。窓の外は冷たい雨が降っていた。   この日、社交ダンスに挑戦する決意をした風間は、翌日、自分の縄張りであるススキノのダンススクールに入り、特訓を受けた。簡単なステップだけなので短期間で上達していった。 「それで、パートナーはどなたなんですか?」 「社内でも誰でも良いみたいなんだけど。本社の俺は社内の暗黙のルールで財務の良子部長って決まっているんだって、だからもう頼んできた」 「良子部長か……本番はもう今週なのね」  昼下がりの会議室で小花は掃除をし、風間はステップの自主練習中。小花は彼に指導していた。 「風間さん……もっと背筋をぴんと伸ばして……うん! とても綺麗ですわ」 「小花ちゃんって、ダンス踊れるのかい」  モップを握った彼女は優しく微笑んだ。 「女子高時代に少々」 「よし、風間。小花を相手に踊ってみろ」 「え」  振り向くとドアの前に姫野が腕を組んで立っていた。 「鈴子、風間はやればできる男なんだろう。練習に付き合ってくれ」 「まあ、私でよければ」  ……風間さんとこうして過ごすのも少しだし。  姫野が記念になるように仕向けてくれたのだと小花もわかった。 「承知しました。風間さん。私でよろしければ、踊っていただけますか?」 「もちろんだよ。じゃ、音楽かけるね」  風間はスマホで、ワルツを掛けた。風間は小花の手をそっと取ると、腰に手を置き、スタンバイはOKだった。 「せーの!」  二人はゆっくりと一歩足を出しダンスを始めた。不慣れな風間をリードし、小花は美しく舞った。 「ふふふ、もっと力を抜いて」 「こ、こうかな?」 「もっと優雅に……そうです」  ……ああ、鈴子は何をしても愛らしい。    つい愛する小花を見ていた姫野は心を奪われそうになったが、心を戻す。 「ストップ! 風間? 腕をもっとこう。目線はもっと……ああ、貸せ!」  姫野は小花の手を取ると、見本で踊り出した。彼の逞しい胸の中で躍る彼女は、バレエに夢中になっていた少女の頃、父とダンスをした事を思い出していた。  ……そうか。姫野さんって、お父様にどこか雰囲気が似ているんだわ。 「……と。こんな感じだ」 「すげえ、俺もこんな風に踊りたい」 「無理だな。俺たちのような愛がないから」 「ふふふ。風間さんは良子部長とどうぞ」 「やめてよ」  姫野は密かに手を離さない。小花は心臓がドキドキしていたがスッと離れた。 「さあ、頑張ってください。私もお掃除頑張ります」 「ちぇ」 「確かに時間だな、風間、得意先に行くぞ」  小花は姫野と風間を見送った。こうして過ごしながら週末、パーティーが開催された。 「え? ぎっくり腰ですか」 『ごめん……』  会場のプリンセスホテルで凛々しいモーニングで決めた風間に、良子から電話が入った。 『今……ブロック注射を打ってもらったんだけど、やっぱりダメで』 「む、無理しないでください」 『ありがとう、ごめん……風間ちゃん、他をさがして……』  良子の苦しそうなガサガサ声の電話を切った風間は、目の前の姫野に話す。 「先輩! やっぱり辞退ってことで……どこに電話してるんですか」 「静かに……あ? もしもし、家にいるんだな」  姫野は早口で語る。 「今から迎えに行くから風間とダンスを踊ってくれ。衣装はこっちで用意する……ん、タクシーで来てくれるか? ああ、じゃあ玄関で待ってる」  電話を切ると姫野は風間を振り返った。 「鈴子を呼んだ。お前は鈴子と踊れ」 「いいんですか」 「ああ。あんなに二人で練習したじゃないか」  ……鈴子もあと数日だしな。  姫野はチラと時計を見た。ダンスは会の最後なので間に合うと語る。 「衣装はもう手配した。美容室も空いていると聞いていたが予約してくる」 「は、はい」  姫野はそういうと風のように去って行った。その背を見ていると声がかかった。 「よう! 風間。元気だった?」 「織田か……」  そこには帯広支店の新人戦ナンバー2の織田がいた。シルバーのスーツで決めてきた彼の背後には彼の上司で姫野のライバルの黒沼が立っていた。 「風間! 今回はやってくれたな! で、姫野は?」 「後で来ます」 「そうかい。あ、こっちは今夜のダンスのパートナーなんだ。宜しく」  そこにはセクシーな女性が真っ赤なドレスで織田と腕を組んでほほ笑んでいた。 「彼女はダンスの先生なんだ。まあ、こっちは俺は成績では負けたからね。今夜のダンスはせめて勝たせてもらうよ」 「別に、ダンスに勝ち負けはないと思うけれど……」  普段、勝ち負けに拘らない風間であるが、小花をパートナーにする以上、彼女を守りたいと思った。 「まあ、どうぞよろしく」 「おう! また後でな」 「先に行っているぞ」  派手な帯広の三人を風間はお先のどうぞと手を差し伸べた。 「おい、風間、ここにいたのか」 「……部長、俺、今夜は頑張ります」  競争相手の彼らをじっと見ている風間の背を石原はパンと叩いた。 「へ……っていうかお前さ、今まで頑張っていなかったのかよ? 大物だぜ! ハハハ、ハッハハ……」  大広間の会場には全道の所長が集まっていた。風間はその中に入っていった。 完  
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