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60 ラストダンス
「鈴子、悪いな」
「本当ね。でも、良子部長がぎっくりなら仕方ないもの」
ホテルに到着した小花を姫野は手を取りホテル内の美容室に連れてきた。
「すみません! 先程頼んだ姫野です」
「はいはい、まあ、あなたは?」
「あ、成人式の時の」
美容師は小花を見て、壁に貼ってある写真を見比べた。思わず姫野もその写真を見る。
「それは、もしかして鈴子か?」
「そうです、私ここで成人式の写真を撮ったので」
「嬉しいです! また本人に会えるなんて」
夏に写真をこのホテルで撮った小花は、モデルになって欲しいと言われていたのを思い出した。小花の写真を飾ってくれていた美容師は、さあさあと小花を鏡の前の椅子に座らせた。
「ええと、超特急で用意しますね。彼氏さんは外で待っていてください」
「いえ? 自分はここで見張りを」
「はいはい! 任せてください!」
美容師は姫野を追い出すとスタッフを呼び、小花の支度を進めた。ドアの外で待っていたが、姫野は西條に呼ばれ渋々会場の席についた。会は始まったが、始めの挨拶だけで30分以上掛かってた。
「長えよ……専務に挨拶させんなよ」
「いいんです部長、今夜に限っては良い時間稼ぎになっています」
この円卓は石原、姫野、風間、渡、桐生、源田、中山が座っている。石原が姫野にぼやいているが、風間は時間を気にしている。
「先輩。小花ちゃんは大丈夫でしたか? 急に頼んじゃったけれど」
「問題ない。それよりも部長、貧乏ゆすりやめてください」
「俺じゃねえ。渡だろう」
「え! 俺か? すまない、つい」
そしてやっと終わり乾杯になった。やがて会食に進んだので姫野は抜け出し小花を迎えに行った。
「あの! 姫野です! 支度はどうですか」
「今、開けますので……どうぞ」
「失礼、あ…………」
「姫野さん。これはウェディングドレスなの」
「おおおお……」
「シンプルなデザインだけど、どうかしら」
「…………」
黄色のドレスを着た小花は、黒髪をアップにしていた。うっすらとメイクしたさくらんぼ色の唇と雪のような白い首元が眩しい。歩く姿勢は優雅でバレリーナのようなたたずまいである。姫野には完璧なお嬢様に見えた。
「姫野さん?」
「鈴子……すまん。あまりの美しさに、息が?」
「まあ、大丈夫? 落ち着いて」
「いや……大丈夫だ」
鈴子が姫野を心配そうに見ている。姫野は感激のあまり胸の動悸を必死に抑えていると、美容師だけが時間に追われていた。
「あとは靴ですね! あの、そこを退いてください! 今、靴を履きますので」
「は、はい。自分がやります」
姫野は小花に靴を履かせた。これは小花の自前の白いヒールである。そして姫野は手を取り美容師に礼を言うと彼女を連れ出した。
「姫野さん。私はなるべく目立たないようにするわね」
「あ? ああ……そうだね」
「どうしたの? 私の顔に何かある?」
すると姫野は頬を染めた。
「目と鼻と……いや、鈴子があんまり綺麗なので、思わず見惚れてしまって」
「まあ? ふふふ」
小花は白い手袋を付けて、口に手を当て微笑んだ。可憐な彼女の無邪気さが姫野には狂おしいほど愛しい。彼は廊下に人がいることも構わず、小花の頬にキスをした。
「きゃ? ふふふ」
「……いいかい。お前は私のものだよ。それを忘れないでくれ」
「まあ? この格好をしただけなのに」
「だって、お前があまりに綺麗だからさ。さあ、行くか」
姫野は腕を差し出した。
「はい」
彼女はその優しい手を取り、そっと腕を組んだ。こうして小花は姫野にエスコートされて、会場へと向かった。
「ああ。だんだん行きたくなくなってきた……」
「何を言い出すの? 風間さんが待っているんでしょう」
……綺麗すぎる……メイクをしない方が良かった。
あまりに完璧にハマっている小花と歩く姫野は嫉妬で狂いそうになった。
「……なあ、鈴子、本当に俺以外考えるなよ。約束してくれ」
「まあ、呆れた? ふふふ」
小花がぎゅうと腕を組んでくれたので姫野はなんとか気を持ち直した。こうして廊下を歩く美しい小花と凛々しい姫野を、ホテルの客たちはうっとりとした目で振り返っていた。
『おほん! それではこれより恒例の新人によるダンスの披露となります! まずは新人戦三位、函館の潮田悟、パートナーは婚約者の渚さんです』
権藤の司会で新人戦の成績披露とダンスの紹介が始まった。飲食をしていた出席者は正面のステージに注目した。
『次は、第二位、帯広の織田修二。パートナーはダンス講師のnanakoさんです。そして第一位! 札幌中央第一営業所、風間諒! パートナーはボランティアの小花さんです、どうぞ』
「風間、来たぞ」
「お待たせ」
「小花ちゃん、ありがとう……うわ、綺麗だね」
先に円卓に来て会話している三人は権藤の司会など無視したが、石原に早く行けと言われた。
「では、小花ちゃん。お手をどうぞ」
「はい!」
「……風間、無理させるなよ……」
腕を組んでいた姫野は、断腸の思いで風間と交代した。立っている姫野がうざいので石原は強引に座らせた。
「ああ……みんなが鈴子を見ている……こんなはずじゃ」
頭を抱えている姫野を石原は呆れた。
「何を言うんだよ。お前が連れてきたんじゃないか? それにしても綺麗だな……ん、 なんで渡が泣いているんだよ」
「……う、ううう……お嬢が嫁に行ってしまうような気がして」
ハンカチを濡らす渡を見た桐生は、やれやれと肩をすくめた。
「ま、近いうちにそうなりますよ。花婿は俺だけど?」
「面白い冗談ですね! はい、みなさん、始まりますよ」
桐生と中山の声で円卓のメンバーは壇上を見た。盛大な拍手に包まれた6名は、檀上でスポットライトを浴びていた。
「小花ちゃん、本当に綺麗だよ」
「ありがとうございます。それよりもダンスですよ」
「ん? まあ、どうにかなるっしょ」
司会の話を聞いていない風間は嬉しそうに手をギュと掴んだ。
「風間さんは余裕ですね」
「ハハハ。だって小花ちゃんがいるんだもん。俺、何も怖くないよ」
……風間さんが笑っている、良かった。
もうすぐ夏山愛生堂と距離を置く小花は、仲良しの風間の笑顔を見ることができて胸がジーンとなった。
「あ。ダンスみたいだよ」
「そう見たいですね。さあ、踊りましょう」
いつ間にか始まった音楽。緊張が漂う空気の中、この二人だけは違う時間の流れにいるように優雅に踊り出した。
小花は元お嬢様であり、風間は薬局の御曹司である。人に見られるとか、気後れするとはそんなやわな精神を持ち合わせいない図太い精神の二人はむしろこの雰囲気を飲みこんでいるような威圧感さえ漂わせていた。
この様子を慎也も眺めていた。
「……綺麗だな。俺、ちょっとダンスを見ているから、声かけないで」
「まあ、慎也さん。他の人がお酒を注ぎに来ているよ。ちゃんとお話をしないと」
「叔母さんに任せるよ」
慎也はそう言って椅子を壇上に向けて座り出した。本日、慎也がいる円卓は専務、野口、西條、帯広所長、函館所長と叔母が来ていた。
叔母は亡くなった父の姉である。結婚し秋本喜代子という。喜代子は夫の仕事の都合で札幌を離れていたが、慎也が社長に就任した時期に戻ってきていた。
彼女は株を所有しているため出勤はしないが、夏山愛生堂の相談役として役職に就いていた。
普段、慎也を息子のように気にかけている喜代子は、社員と接点がないため、この会には参加し社員と交流するようにしていた。
「仕方がないわね……あら? 彼女、素敵ね」
「そうでしょう。叔母さんもご覧よ」
慎也は風間と踊る小花のことを説明した。
「以前、話をしただろう? 派遣だけどお掃除を頑張ってしてくれるって」
「ええ。覚えているわ。彼女のおかげで株価が上がったんで……あれ、きゃ」
「叔母さん? 大丈夫?」
「……え、ええ、大丈夫、ごめんなさい」
喜代子は何かに驚いてテーブルにあったグラスの酒をこぼしてしまった。飲み干したグラスであったので汚れもなかったので喜代子はほっとしていた。
「いやね、私ったら、ちょっとびっくりして」
「どうしたの」
「……慎也、気を悪くしないでね? あの、黄色いドレスのお嬢さんがいるでしょう? 彼女、昔の真子にそっくりなのよ」
「小花さんが? あの、一番くるくる回っている人のことを言っているの?」
「そうよ。あの時、真子さんは結婚式でああいう黄色のドレスを着たのよ……あの時は、本当に綺麗だったのよ」
「真子さんが…………え」
……待て待て待て……待て?……俺、ちょっと落ち着け……冷静になれ……
慎也は風間と楽しそうに踊る小花を息を呑みじっと見た。
……そうか……ああ、そうだ……きっと、そうだ……
慎也は小花を見つめている。真子が亡くなった事を知らない喜代子も、懐かしそうにダンスを見ていた。
「真子さんの若い頃を思い出すわ……あら? 慎也、携帯が鳴っているわよ、出なくていいの?」
「……そうだったのか」
慎也は自分に言い聞かせるように小花を見た。周囲の音楽も聞こえない世界、目の前で踊る彼女は自分と同じ体温のような気がした。
……思い過ごしか……いや、やっぱりそうだ!
そうであって欲しいと慎也の心はぎゅうと固まった。
「慎也、どうしたの? 急にそんな顔をして」
「いや……何でもない」
すると音楽はちょうど終わった。この後は恒例で勝手に踊りたい人が踊ることになっている。
「慎也、私、あの白いスーツの人と踊ってくるわ」
「叔母さん、俺も行きます」
「あら? 珍しいのね」
毎年、喜代子は若手と親睦を深めるために新人セールスマンと踊っている。だが今年は慎也も動き出した。
「風間、叔母さんと踊ってくれ。小花さん、君は僕とだよ」
「社長とですか? でも、あの、社長は他の人の方が」
だが慎也は有無を言わさず小花の手を取り隅へ連れ出した。
「社長?」
「小花さん……」
……いきなり妹かと尋ねたら、困らせてしまうかもな。
小花は少し強引な慎也に戸惑っている。慎也は聞きたい言葉を飲み込んだ。
「ごめんよ。みんながお酒を注ぎにくるから、少しだけ僕と踊ってよ」
「そういうことなら」
やがて音楽が流れた。慎也は小花を見つめた。
……ああ……きっとそうだ。そうであってくれ……
腕の中の彼女が妹であって欲しい、と慎也は願うが、彼女は知る由もない。
「社長、どうしたのですか? お腹が痛いのですか」
「え? そ、そんなことないよ」
「我慢しないでくださいね? そうだわ! 踊りながらこのまま何気なーく会場を出ましょうか?」
「ふふ……小花さん……僕ね、君が大好きだよ」
「まあ? 私も大好きですよ……本当にお世話になりました」
小花の別れの挨拶は慎也の心を締め付けたが、慎也は解くように笑みを浮かべた。
「いや? まだ終わっていないよ……それよりも、ドレスがよく似合うよ。綺麗だよ」
「あ、ありがとうございます」
……ああ、お兄様の役に立てたし。これでいいのよね。
札幌の秋の夜。ホテルのダンスは優雅に行われていた。二人の心は互いを思う気持ちに揺られていた。
完
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