204 愛と命を守る

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204 愛と命を守る

「社長。いかがしましょうか」 「どれどれ」 愛と命を守る警備会社ワールドの社長室で、社員の吉田太郎は伊達社長に資料を見せた。 「清掃をちゃんとしているのに、依頼主からこんなに苦情が来るのね……」 「はい。自分も現場を見ましたが、どういう対処をすればいいのか。よく分かりませんので」 「吉田は入ったばかりだから、現場の事はわからなくて当然だもの……そうか」 そういって伊達は立ち上がり窓の外を見た。 「小花を呼びましょう」 「小花さんですか?でも彼女は今は夏山愛生堂に出向です。しかも、向こうと話し合って、今は夏山の準社員扱いではないですか」 「良いから呼んでちょうだい!夏山さんには私から頼んでおきます」 そうピシャリと言われた太郎は、すっと社長室を後にした。 その夜、自宅に帰った吉田は、夏山愛生堂で清掃している母にこの話しをした。 「ああ。なんだかそんな事を小花ちゃんが言ってたね。こっちは大丈夫だよ」 「っていうかさ。なんで小花さんを呼ぶんだろう」 小花の紹介で今のワールドに就職する事ができた太郎は、小花とは一度一緒に仕事をしただけなので、彼女の能力はただ感じの良い女の子なんだろうな、くらいにしか思っていなかった。 「……そうだね。まあ、一日一緒にいればわかるだろうさ。あのさ。今日は疲れたかさ。母さんセイコーマートで焼き鳥買ってきたんだ。先に食べなさい」 「俺もさ。帰りに母さんが好きかと思って「かま栄のかまぼこ」買って来た」 「嬉しいね……太郎。ありがとう」 こうして吉田家は楽しい夕食タイムを過ごしていた。 その数日後。小花は朝からワールドにやってきた。 「おはようございます」 「小花さん。今日は宜しくお願います」 「はい。伊達社長から話を聞いています。こちらこそお願いします!」 今日は問題案件の相談であったので、彼女は清掃服ではなく、黒いスカートに白いシャツ姿だった。彼女の供をする事務職の太郎もクールビズのシャツにパンツ姿で、彼女を案内した。 「口で説明するよりも現場を見て貰えと言われていますので。行きましょう」 「はい!」 こんな二人は太郎の運転で第一現場にやってきた。 「ここの清掃なんですけど」 「アパートですね」 このアパートの住人が共同で使用する所を週に一度清掃するのが、ワールドの仕事だった。 「共同で使用する場所は、この廊下と階段と、あのゴミ捨て場ですね」 「そうなんですが。ゴミ捨て場が」 「ひどいですわね……」 檻になっているゴミ捨て場だったが、この日もゴミで溢れていた。 「みなさんゴミの日を守らないのですか」 「お願いはしているのですが……」 すると小花はこのゴミや、ゴミ捨て場のある周辺をチェックした。 「太郎さん。これは明らかにここのアパートの人以外のゴミがあると思いませんか?」 「僕もそう思います。量が多いですよ」 「それに見て。この道を」 小花はゴミ捨て場に面している道路を指した。 「ここは車が停めやすいから、ドライブスルーになっているんですわ」 「言われてみれば……」 「これは鍵を掛けてもらいませんか」 「鍵?」 小花は住人だけが知っている暗証番号でロックして使用してもらおうと話した。 「ワールドはこのアパートの人の分しかお掃除代を頂いていませんよね。この量だと今以上のお掃除代を頂かないと合わないですわ」 「それもそうですね」 「それにロックしてもらってもゴミのマナーが悪いとしたら、今度はアパートの人のマナー違反ですもの。でもオーナーさんはお部屋を貸す時に、ルールを守るように約束していると思うんです。だから守らない人はそれに違反した事になるもの」 「なるほど!わかりました。ではそのように」 こうして次は違うアパートにやってきた。 「あそこです。二階の角の通路の電気です。今は明るいから点いていませんが、直しても直しても電球がゆるめてあって暗いままなんですよ」 「誰かがわざとしているんですね」 「はい。でもオーナーさんからまた消えているとお叱りを受けるんで」 「ウフフフ。ごめんなさい」 「小花さん?」 小花はおかしそうにしながら説明をした。 「犯人はあの部屋に住んでいる方ですわ。待って!どんな方が言わないで」 小花は面白そうに話し出した。 「……背の高い男性で、一人暮らし。夜遅く帰って来るお仕事?」 「そうです!どうしてそれを?」 「虫がお嫌いなのよ。行ってみましょうか」 二人はこの点かない明りの下に行った。 「恐らくこの明りが点くと、夜は蛾とか虫がいるんでしょうね。だからお部屋を開けると入って来るんですよ。だからここにお住まいの方はそれが嫌で、電球を緩めてわざと点かないようにされているんですよ」 「確かに。ドアの前だからか?はあ……小花さんは凄いですね」 「同じ事が以前合ったので。それで太郎さん。つぎはどこですか」 楽しくなってきた小花はそういって先に歩きだった。こんなウキウキな彼女を連れて太郎は次の現場に向かった。 「ここは犬のフンです」 「うわ……ひどいですね」 アパートの駐車場の汚れにオーナーは憤慨していると言う。 「でも御近所の方はああやって袋を持って散歩しているんですよ」 「太郎さん。あれはダミーかもしれませんよ」 「え?」 「袋だけ持って、実際はそのまま放置している人もいるんです……お待ちになって。私、聞き込みをして来ます」 「ちょっと小花さん?」 太郎の話も聞かず小花は犬の散歩をしている初老の男に何か話をしてきた。 「……お待たせしました!犯人に目星が着きました」 「もう?」 すると小花はうんと頷いた。 「立った一人のマナー違反で、他の愛犬家の方も白い眼で見られますからね。あの方は犯人を知っているそうです」 「ではその人に言いに行くんですか?」 「でも証拠はないですので。ここに看板を立てましょう。そうね。書くのは」 小花はスマホを取り出して、太郎に画像を見せた。 「これは以前の現場に貼った看板ですわ」 そこには『私有地に付き立ち入り禁止。違反者は通報します』と書いてあった。 「ダミーの監視カメラがここにはありますしね。これでここにはしなくなりますわ」 「他所でするってことですか」 「そうなりますね。でもさっきの犬の散歩の方が目を光らせてくれるそうなので、ここを散歩しなくなると思いますわ」 「……小花さん。凄過ぎですよ」 「だって。今まで同じ問題で苦労してきたんですよ、私。誰も助けてくれないし」 急に愚痴を言いだした小花を太郎は優しく車に乗せた。 「ではその苦労で得た知恵を今困っている人のために教えてください。次に行きますよ」 「はい。太郎さん」 そして移動の車中。次の移動先まで二人はお喋りをしていた。 「ハハハ。欽也さんがそんな事を?」 「そうですわ。絶対無理だって言ったのに、無理やりこすって、『はい、消えた!』って」 「ハハッハハ。目に浮かぶな」 「枝里子さんも由美さんもお元気ですか?また一緒にお掃除したいな……」 すっかり一人で清掃するスタイルになった小花は以前チームで掃除した事を思い出し、少し寂しそう顔をしていたので、太郎は優しく声を掛けた。 「そのうち一緒に掃除する機会がありますよ。きっと」 「そうだと良いんですが。それにしても太郎さんは伊達さんとお仕事されているんですよね。怖くないのですか?」 「怖いですよ?決まっているじゃないですか」 「やっぱり?キャハハハ」 女社長をいじりながら、二人は一番やっかいなビルにやってきた。 「ここは清掃と、警備。そして駐車場係りもワールドでやっているんだ」 「大きなビルですね。古いけど」 「そうなんですよ。どうぞ」 雑居ビルには多くのテナントが入っていた。 「まずこの階。いいですか。こっちも向うも通販の会社なので、働いている人はいわゆるテレフォンアポインターなんです」 「電話係りですか。では女性ばかりなんですね」 「だから昼休みになると一斉にトイレを使うんですが、女子トイレが満杯だと、男子トイレに入って来るので、男性から苦情が着ているんですよ」 「これはね、太郎さん。男子トイレの標記を、男女兼用トイレにすればいいのよ」 「兼用ですか?」 「そう。できればこの階の上下もです。それが嫌な男性は他に行きます。だって電話係りのお姉さま達にどんなに行っても無駄ですもの」 「確かに。じゃあ、次の階だ」 次の階も女子トイレだった。 「ここにこのように勝手にゴミ箱を置いて、手拭き用の紙タオル置き、ここに捨てている美容室がいるんだ。注意しても聞く耳無いし」 「これはオーナーさんに告げ口ですわね」 「この程度の事で?」 すると小花はじっと太郎を見上げた。 「ここを無断使用しているんでしょう?オーナーさんは美容室の部屋しか貸していないんですよ。だからこの分の家賃を請求してもいいはずです。それに、これはダンボールですよね。ここに煙草を捨てて、火事になったら美容室の責任になるって事を言ってもいいんですよ」 「わかった。だからそんなに興奮しないでくださいよ。じゃあ、今の理屈と同じかな」 そう言いながら太郎は小花とエレベーターで一階に降りた。これは先に小花が発見した。 「あれは生ごみですか?」 「そうなんですよ」 大きな蓋つきのバケツがビルの裏手に置かれていた。 「居酒屋の人が勝手に置いているんだ。倒れたりしたらカラスが散らかすんで、参ってさ」 「これはオーナーさんが悪いわ」 「オーナーかよ?」 そういって小花はバケツをしみじみ眺めた。 「こういうゴミ置き場は絶対必要なのに、それを用意しないオーナーさんが悪いんですよ。だからみなさん、こうやって置くしかないのです」 「まあ。ゴミは出るもんな」 「でもね。太郎さん。きちんとゴミ置き場を作って、使用料を頂くと良いんですわ。私の知っているビルのオーナーさんは、ゴミ置き場の設置費用は一年経たずに回収できたって言っていましたもの」 「わかった!オーナーにそう話すよ。はい、今日はこれで終りです」 「もう?やったー」 「伊達社長に君に何か美味しい物を食べさせるように言われているんだけど」 「では向うに見えるパスタ屋さんがいいですわ。以前から気になっていたんです」 「いいですよ。行きましょう!」 ウキウキしている小花を連れて楽しく食事をした太郎は、ずっと気になっていた案件がすっきりしたのでホッとしていた。そして食事が済んだ15時頃、それは起きた。 ……ドーーーーーン!バリーン!! 「え」 「……さっきのビルか?火事か」 ガラス越しのビルから煙が上がっていた。 「これは……俺は行ってみる。小花さんはここで待機を」 「私も行きます!」 頑固な彼女を連れて太郎は現場にやってきた。ビルの壁を火が登っていた。 「おい!ガードマンは?駐車場係りは?」 「電気が止まって、駐車場の機械が動きません!」 「今は車よりも人です!早く避難させて!早く!」 小花はまだ火が上がっていない玄関から出てくる人を誘導していた。 「立ち止まらないで。どんどん出てください」 建物の中よりも、外壁が燃えている感じではあったが、とにかくビル内の人はパニック気味で建物から出てきた。やがて消防自動車がやって来て消化活動が始まったので、人々は線の後ろに下げられた。 太郎はビルの管理の関係者として、電気の止まった建物について消防と話をしていた。 その時、小花はこの人ゴミの中から、知っている人の顔を見つけた。向うも「あ?」という顔をしてここから去ろうとしていた。 「待って!」 そんな彼を彼女は人波をかき分けて後を追った。 やがて彼は地下歩道に逃げ込んだので、彼女も後を追った。地下への階段を下りると彼の姿が無かったが、彼女は階段わきの狭いスペースを覗き込んだ。 「どうしてお逃げになるの」 「君が追うから……」 そういって身なりのよいスーツを着た彼は、汚れた顔で彼女を見上げた。 「いつも卸センターにいますね」 「君は清掃員さんか……この時間はここにいるんだよ」 「もう一度聞きます。どうしてお逃げになったの」 「……」 「もしかして。あなたが火を付けたんですか」 「違うよ……」 しかし。彼の服の袖は少し焦げていた。 「これ?これは最初からこうなっていたんだ」 すると彼女の背後からここに足音がバタバタと聞えてきた。 「お願い」 「おい!いたぞ。すみません。お話し良いですか?」 「自首して下さい」 「でも……」 「お願い!!」 彼を見る彼女の目からは大粒の涙が溢れていた。 「君!いいからどきなさい。おい、出て来い」 そういって警官に引きずられた彼は、じっと目を伏せた。 「自分がやりました……」 「何だと?」 「自分が火を点けました。すみません」 呟くように話す男を警察官達は連行して行った。男がいたスペースには彼の生活用品が毛布にくるんで置いてあった。小花は流れる涙を拭きながらここを後にした。 地下歩道を上がるとそこには面識がある及川刑事が立っていた。 「小花さん……どうしてここに」 「ホームレスさんは?」 「容疑者は、すでに署に向かいました」 「そうですか」 目を真っ赤にしている彼女に及川は眉をひそめて近寄った。小花は語った。 「あの方。私の職場でよくお見かけするんです。私を見て逃げたので。やましいことがあるのかなって」 「彼が防犯カメラに映っていましたので。私達もすぐ追った次第です」 「……罪は重いんですか?」 「まだわかりません。前科があるかもしれませんし」 「そうでしたか……お邪魔しました」 「……」 及川はしくしく泣きながら去って行った小花をじっと見ていた。翌日。この放火事件は道新に小さな記事で載っていた。彼女は休憩中、紙面をじっと見ていた。 「大丈夫かい」 「はい」 「太郎が心配していたからさ」 「すみません。私もお金が無くて一人ぼっちだったから。もしかしたら、ああなっていたかもしれないから」 「小花ちゃん……」 その時。この部屋にノックをして誰かが入ってきた。 「失礼します。あ、小花さん」 「及川刑事さん?」 「今日は供も一緒です。あの、先日の放火事件ではお世話になりました」 そういって刑事二人は小花に頭を下げた。 「で。君が自首を促したそうだね。彼はそう言っていたよ」 「……」 「言いたくないならそれでいいけど。今回はこれをきっかけに御家族が迎えに来たよ」 「そうですか?良かった……」 「ええとあなたはワールドの吉田さんのお母様ですね。息子さんにもご挨拶させていただきました。小花さんのおかげで事件はその日に解決したので」 「ご丁寧に。どうも……って小花ちゃんのおかげ?」 「そうです。彼女の配慮によるものです。小花さん、ありがとうございました」 「……いえ、こちらこそ」 俯き元気のない小花に及川は胸が痛んだが、これ以上は何も言えず、すごすごと夏山ビルを後にした。 そんな立ち入り禁止の部屋の電話が鳴った。 「なんでしょう?秘書室だわ。もしもし」 相手は野口で、コーヒー豆を床にぶちまけたので掃除をして欲しいと言っていた。 「大変だ!行っておやり」 「はい!」 「ちゃんと綺麗にしてあげな!はあ」 手はず通りに小花を送った吉田はスマホをチェックした。そこには小花を心配している息子太郎のメッセージが合った。 「『大丈夫、夏山の人が面倒みているよ』、っと」 そう送信した吉田は、どっこいしょと小上がりに座った。 ……心が綺麗すぎるんだよね…… 今頃は野口の巻いたコーヒー豆を必死に掃除で掃除し終え、慎也の勧めるスイーツや、西條の失敗談にいつもの笑顔を作って欲しかった。 ……お母さんが亡くなった穴は、埋まらないんだね……可哀想に。 吉田は首にまいたタオルで涙を拭った。 立ち入り禁止のこの部屋には小花の縫ったぞうきんがダンボールにたくさん入っていた。 まっ白で縫い目が細かいぞうきんは、まるで彼女のように清潔で、温かさに包まれていた。すると、内線が鳴ったので、吉田が涙を拭いて電話を取った。 「はい!どうでした?ああ、成功した?良かった……ありがとうさん、どうも」 野口からの連絡に彼女はほっとして立ち上がった。西日が当たるこの部屋には、オレンジの陽が射していた。 北の街の夏の夕暮れは、強い風と優しい愛に包まれていた。 完
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