205 虹の向こうに

1/1
2088人が本棚に入れています
本棚に追加
/54ページ

205 虹の向こうに

「遊んでいるな……」 「……恩田さん。またその夏フェスのニュースを見ているんですか?どんだけ小花ちゃんが好きなんですか」 「うるせ。俺をストーカー見たく言うな」 朝の夏山愛生堂の豊平営業所は男所帯でむさくるしく始まっていた。 「ふわぁ……おい、恩田は夕べ何時までいたんだ?」 「所長の後ですぐ帰りましたよ。それよりも昨日の女は……止めておいた方がいいですよ」 「なして」 「あれは男ですから」 「ぶっ!?すみません。フフフ」 笑いながら席を外した竹野内を睨んだ桐生は、ブラックコーヒーを煽った。 「あれが?……マジかよ」 「やっぱり気が付いてなかったか。まあ、どうでもいいですけど」 くそ!と桐生は自分の椅子に座った。夏山一の独身ダンディは悔しさを噛み殺した。 「おい!みんな。今日の午後はメーカーの人が来てここで新薬の説明会があるからな。ちゃんと戻って来いよ」 はーいと緩い返事をした豊平営業マン達はこうして営業車に飛び乗った。 「どこにいきます?恩田さん」 「いつもの豊平公園でいいぞ」 「……オーケーです」 昼寝をするために向かった公園に行く途中、赤信号で止まった竹野内が運転する夏山ヴィッツはライバルの冬川薬品と横並びになった。 「恩田さん。冬川の『青い彗星』だべさ」 「ちぎれ」 「オッーケー!」 そして青信号になった瞬間、竹野内はアクセルをべた踏みし、隣の冬川の営業車の青いカローラバンをちぎろうとした。 「あ。なんだ?あいつ早ぇ?」 「何しているんだ!くそ、負けちまったじゃないねえか」 スピード違反はしないポリシーの医薬品卸会社の双方は、この道をダッシュするのは歩道橋まで、と決めていたので今日の勝負は冬川の勝ちとなった。 「すみません」 「……まったくお前は。俺の車に泥を塗るんじゃねえ!」 そう言って助手席の恩田は目を瞑った。そんな二人は昼寝をしていた時、会社からメールが入った。これを竹野内は読み上げた。 「『豊平営業所の駐車場の地下の水道管が破裂して現在噴水状態です。大変危険なので十分気を付けて帰って下さい』だって」 画像には湧いた水が建物の屋根まで上がっている様子が映っていた。 「心配してくれて優しい気もするけど、危険なのに俺達に帰って来いって言うことだべか」 「そういう会社なんだよ!戻るか」 営業所に近付くと確かに車道が濡れていたので、竹野内は慎重に車を進め駐車場へ入って行った。 ……ピーーーー! 「は?」 すると彼らの前にガードマンが走ってきた。 「え?なしてここに」 「なんだぁ?」 驚く二人に構わずガードマンは運転席の窓に声を掛けた。 「こんにちは!」 「こんにちは、小花さん?」 思わず窓を開けた竹野内を指し置いて恩田は彼女に向かった。 「お前か?……ここで何をしてるんだ?その恰好」 「この先の水道管爆発の現場に、夏山の社員が巻き込まれないように見張っておりますの。さ、お二人はここでは無く、向うから入って建物側に停めてくださいね。オーライですわ……」 そういって親切に誘導してくれる小花が返って邪魔だったが、竹野内は小花のためにこれに応じて車を移動させた。そして彼女の元にやってきた。 「小花ちゃん。なしてここにいるんだ?」 「マックはどうしたんだ?」 駐車場の隅から泉のように溢れる水を背に彼女は応えた。 「マックはもう行きませんわ……あの、私はこれでも派遣社員でして、本日はガードマンが出払っていたので、夏山に出向している私が参った次第です」 そして自分はここを守ると言い張り二人を営業所に入らせた。 「戻ったか」 「何が戻ったかですか?いいんですか?彼女にあんな事をさせて」 すると桐生は窓からそっと彼女を見つめた。 「俺も止めたさ……でも仕事をするって彼女は言う事聞かないんだよ……」 独身色男は意外に押しが弱く、小花を説得出来ずにこうしてただ心配して見つめていた。 「あの、すみません。桐生所長?説明会を始めてもいいですか」 「あ?ああすみません。では始めますか……」 こうして社員の気持ちは炎天下の駐車場に置き去りのまま、メーカーの新薬説明が始められた。 『この新薬は従来の比べ効能が高くなっており……』 メーカーの話を聞きながら見た窓の外では彼女が泉の前で、仁王立ちしていた。これを見た竹野内は隣の恩田に囁いた。 「日陰も無いのに平気だべか?」 「……良く見ろ……」 竹野内は窓の外をよーく眺めると、彼女はシャワーのように上がってる水を身体に浴びていたのが見えた。 「涼しそうだべ」 「……良く見ろ……」 すると小花は持ち場を離れてしまった。しかしすぐにバケツを持ってやってきた。 「溢れる水を汲んでますね……あ、花壇に撒いた?」 「おいおい………今度はブラシを持ってきたぞ……」 じっと立っていても仕方ないので溢れ出た水で彼女は駐車場の清掃を始め出した。 バケツで汲んだ水をザバッーと撒き、そこをブラシでごしごしこすり出した彼女を、桐生も心配そうに眺めていた。 「恩田さん……今度は洗剤を持って来ましたべ」 「本格的に始まったな……」 泡を立てながら掃除している彼女は、必死で水を汲み、撒いていた。 「あ?やばいっす!車が来ましたよ」 「……大丈夫だ。泡を見て車の方が止まった…。しかし、やり過ぎだな……」 やがて駐車場の掃除を終えた彼女は、バケツを片手にキョロキョロしていた。 「探してんな……あいつ、まだ掃除する気だぞ?」 「もうないのに……うわ、車に水掛けた?」 この時、メーカーの話を聞いている感じでまっすぐ前を向いていた二人に、桐生は目力だけで『行け!』とミッションを送って来た。恩田に肘で突かれた竹野内は、スマホを持って立ち上がった。 「……もしもし?あ、先生ですか?」 「竹!外で電話して来い……」 電話をしている演技の竹野内は豊平男性社員達から『俺達はここでメーカーの話を聞いていてやるから、お前は外の彼女をなんとかして来い』という暗黙のメッセージを受け部屋を出て行った。 こうして恩田ら社員一同に重大な使命を託された竹野内は、彼女の元にかけて行った。 「……小花ちゃーん。掃除はその位でいいべさ」 「でも。お水がもったいないわ」 「こんな暑い日にすることじゃないべさ。いいからこっちに!日陰に来て!」 彼女の手を掴んでなんとか倉庫の方に連れて来た彼は、隅にあったベンチに彼女を座らせた。 「そんなに熱くないですわ。それに打ち水効果で涼しいのよ」 「打ち水か……小花さんのスケールはでけえな」 椅子に座った二人は湧きでている水を見ていた。彼女を休ませないといけない彼は何か話題を振った。 「ところでさ。夏山バンドはすごかったみたいだべ」 「そうなんです。なんか他の夏祭りからもオファーが来ましたよ。断りましたけど」 「なして」 「石原さんと渡さんの腰がアウトでして。当分出来ませんの」 「腰か」 「ところでみなさん会議なのに、竹野内さんはここにいていいんですか?」 「ああ、っていうかいないとダメなんだべ」 「??」 彼女の見張り役はそういって微笑んでごまかした。 「あのさ。前から聞きたかったんだけど、小花さんはどうしてそんなに頑張るんだべ?やってもやんなくても給料は変わらないべさ?」 「……私は不器用だし作業が遅いので、人より必死にやらないと間に合わないのです。だからそう見えるのでしょうね。お恥ずかしいですわ」 「恥ずかしくなんかないべさ」 「ううん。澄ましてサササっとお仕事出来た方がカッコいいですもの。私は必死で、はあはあいってカッコ悪いですわ」 「何を言っているんだべ?がむしゃらの方がやった感があるべさ」 「そういう竹野内さんも熱血ですわ?おホホホ、あ、見て」 吹きあがった水は虹を奏でていた。 「綺麗……」 「そだね……」 すると彼女はすくと立ち上がった。 「掃除を再開します!」 「ええ?まだここにいなよ」 「いいえ。やります!」 そういってバケツを持った彼女を竹野内は引きとめた。 「あのさ。倉庫の掃除を頼むよ!な?」 「置かれた所で咲きなさいって先生が言っていたし……わかりました」 こうして何とか炎天下の仁王立ちを制した彼は、まだ比較的涼しい倉庫を彼女に掃除してもらう事にしてメーカーの会議に戻った。 こうして終えた会議のメンバーは倉庫にいる彼女に安心して事務仕事を始めた。 駐車場の水もいつ間にかストップし、水道局の工事の関係者は桐生に修理完了と告げて帰った。 「おい。竹よ。あいつをもう帰らせろ」 「言う事聞かないんですよ。どうしよ?」 「なんかこうさ。好きな食べ物とか、そういうの無いの?」 そうっやって物で釣ろうとする桐生を軽蔑の眼でみた恩田と竹野内は、営業所のドアが開く音を耳にした。 「失礼します。小花さんはどちらですか?」 「は?小花さん……ですか?っていうか君は誰?」 長身でも雑誌のモデルのような若い男の子は、にこと笑った。 「自分は中央第一営業所の事務員をさせていただている松田の息子で、伊吹と申します。本日は母と姫野さんに頼まれて伺いました」 「君が?確かに誰かが迎えに来るって聞いていたけど。君か?」 てっきり姫野か風間が来ると思っていた桐生は驚きで目を瞬かせていた。しかしこれに怯まずに恩田は、彼に向かった。 「追い坊主。あいつは絶賛掃除中だ。誰が言っても止めねえぞ?」 「そうですか。どちらにいますか?自分が説得しますので」 「そ、そうかい、なら、こっちだべ」 伊吹に威圧された竹野内が彼を倉庫に案内すると、小花はすぐに戻ってきた。 「今帰り仕度を始めますので。お騒がせしました」 「早いな?……君、何って言って説得したの?おじさんに教えて?」 「特に申し上げること無いですよ」 桐生も驚いたが、竹野内は急に用事を思い出した。 「そうだ!用事を忘れてた?恩田さん、ウイスキーですよ」 「お前ネットで買うんじゃなかったのか?俺は知らんぞ」 「あああ……」 得意先のドクターに買って来いと頼まれていた彼は頭を抱え込みデスクに突っ伏してしまった。 「もしかして。最近品薄のモルトウイスキーですか?買えますよ」 「おい。伊吹と言ったな?お前何歳なんだ!」 「中三です。あの……」 品薄のために酒屋でも数点しか置いていないウイスキーは、ネットで高値で取引されていると彼は話していた。 「しかしながら酒屋さんは正規の価格で販売なんです。でも、買い物に来た客は転売するんじゃないかという疑惑があるので、在庫が合っても売ってくれないんですよ」 「ダメだべさ?」 「でも。そちらのあなたが行けば売ってくれますよ」 「俺か?」 指名された恩田は、思わず眼鏡を直した。 「名刺を出して、自分は絶対転売しない。自分で飲むんです!って言えば恐らく大丈夫ですよ」 「一つ聞くが、なぜ俺なんだ?」 「……まず若い男性は転売目的と疑われるので無理です。それに失礼ですが、あなたはインターネットは無理そうに見えるから」 「失礼な賛辞ありがとよ!でも一理あるな……」 「やばい?俺も忘れていた?ミュージカルのチケット!今から間に合うかな……」 桐生の言葉に息吹は目をぱちくりさせた。 「そのミュージカルは、クレジットカードのサイトで取った方が近道ですよ」 「はい?」 「カード会社って、ある程度客席がキープさせているんです。それにカードだから本人にして頂くとこっちは助かりますよ」 「オジサンそうする!しかし君ってすごいね?」 「今日は小花さんがお世話になったので。これで力になれたのなら光栄です」 あまりのお利口さんぶりに、恩田と竹野内は嫌な気になっていた。その時、着替えを終えた彼女がやって来た。 「……お待たせしましたわ、伊吹君」 「荷物はそれだけ?スマホ持った?財布は」 「持ちました。忘れ物無しです」 「……水筒は?」 「あ?見て来ます!」 しっかりしている伊吹を恩田は眉間にしわを寄せて見ていた。 「お前……マジで何者だ?」 「彼女に世話になっている者です」 姫野が彼のはずなのに、こんな若くてカッコいい年下のボーイフレンドもい「俺の記憶によるとあいつの彼氏は姫野のはずだったんだが」 そう言う恩田を伊吹はふっと笑った。 「仲が良いとすぐに恋愛対象だと思うんですね。決して恋人同士ではありません。僕は小花さんにとってただの年下の男の子ですよ」 「なんかいい響きだべさ」 「オジサンもあやかりたいな……」 「……」 しかし夏山営業ナンバー3の恩田は、彼女を思う少年の深い愛を感じ取っていた。そんな中、ようやく彼女がやって来た。 「お待たせしました!さあ、帰りましょう」 「忘れ物はないですね、ほら」 「あ、そうだ!あったわ、あのね、桐生所長。差し上げたいものがあるんですの」 そういって彼女が自分に駆け寄って来たのが嬉しい桐生は、勘違いして腕なんか広げていた。 「マイスイートハニー!もしかして、君をくれるの?」 「ううん。これですの」 そういって彼女はスマホの画像を見せた。 「虹?」 「ウフフフ。キレイでしょう?この画像をぜひ差し上げたいのです」 「どれどれ?オジサンに見せて?」 供に画像を覗き込もうとする桐生を阻止するように竹野内はさっと割って入った。 「小花ちゃん!俺にその画像を送ってくればいいべさ!俺から所長に送るから」 「そっか?SNSは存じておりますので、そうしますわ」 「……おいおいおい、竹ちゃん?俺がせっかく彼女とつながろうとしてんのに邪魔すんなよ」 ここで恩田が眉を顰めた。 「『いるだけでセクハラ』っていうのはこの事だぜ?坊主!早く連れて帰れ」 「はい!行くよ、小花さん。ここは危険だもの」 「では皆さま、ごきげんよう。またお会いしましょうね」 そういって会釈をして夕日の中を二人は帰った。その後ろ姿を一同は窓から見ていた。 「はあ……なんか変な汗をかいたべさ」 「俺もだぜ?しかし、あの坊主がいて助かったな」 「年下の男の子か……いいな?俺もなってみたいな……」 そんなウキウキ桐生を一同は冷めた目で見ていた。 やがて夕日が沈みだんだん暗くなって来た札幌の街を、彼女にピカピカにしてもらった夏山ヴィッツの恩田号は走り出した。 夜の街札幌。 札幌の中心を流れる豊平川の豊平橋は今夜も渋滞している。対向車が走るたびに橋は揺れ、ラジオは今日のニュースを語っている。車窓からの景色は夜景であったが、彼の心には虹が見えているのであった。 完
/54ページ

最初のコメントを投稿しよう!