179 大好きです。さっぽろ

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179 大好きです。さっぽろ

「『札幌を盛り上げる会』って。この街はもう十分盛り上がってるだろう?」 慎也の声に野口は首を振った。 「そんな事は誰でも知っています。これはまあ、顔を売る会ですよ」 そういって野口は慎也にコーヒーを出した。 「参加者は皆、札幌に本社がある企業や著名人ですよ。これに夏山愛生堂が行かなくてどうするんですか?」 「だって。面倒だよ?それに北海道でうちの会社を知らない人なんかいないし」 そう言って慎也は熱いコーヒーを飲んだ。 「だからこそです。うちはこのパーティーに参加して、道内のリーダーとして」 すると慎也はジロリと野口を睨んだ。 「違うよ野口。俺達はリーダーなんかじゃない……道民の命を守らせてもらっているんだ。そこの所を勘違いすると、あっと言う間に倒産するぞ?」 「社長?そこまでお考えとは……」 社長業を嫌々していたはずの慎也がいつの間にかまともな事を言う様になったので、野口はジーンと胸を打たれていた。 「そうですね。私が間違っていました。謙虚な心をすっかりどこかに置き忘れていました」 「お前。今の言葉、忘れるなよ?!ええとじゃあ、その懇親会に参加すればいいんだな、まあ、仕方ないか」 こうして慎也は、この『札幌を盛り上げる会』の夏のパーティーに出席する事にした。 会場はお決まりの札幌プリンセスホテルだったので、彼は大好きな彼女を密かに捜したが、発見できずにいた。 「どうも。私は北海道銀行の太川と申します」 「こちらこそ。私は夏山愛生堂の夏山です」 名刺交換した慎也に太川はにっこりとほほ笑んだ。 「そうですか?あなたが夏山さん。では小花さんを御存じですか?」 「うちに勤務している可愛い女性ですけど」 不安そうな慎也に太川は彼女との関わりを話した。 「大通り公園の花壇は、うちの銀行と夏山さんは隣同志でして。花を植えた小花さんはいまだに二つの花壇の手入れをしてくれているんですよ」 「そうですか。小花さんが……」 道銀の支店長の話す小花の美談に、慎也は自分の事以上に嬉しくなって聞いていた。 「彼女のおかげでわが社の新人が大変刺激を受けておりまして。やる気がでて有り難い事です。ええとでも、確か小花さんは派遣社員ですよね」 「フフフ。ダメですよ?うちは延長契約をしましたので」 ええええ?と残念そうな太川にドヤ顔で失礼した慎也は、また声を掛けられた。 「あのさ。あなたって夏山愛生堂の社長さん?」 「そうですけど。あなたは?」 恰幅のよい女性は太い二の腕で名刺を出した。 「私。札幌市町内会副会長の猪熊と申します。お宅の姫野さんと風間さん。それに小花ちゃんと仲良しなんですよ」 「小花さんと?そうですか」 慎也があんまりいい男なので猪熊はつい早口で彼らの出来事をべらべらと話した。 「小花さんはバレーボールや、歌も歌うんですか?知らなかったな……」 「私が近所なので、あのさ、社長さん。うちの小花ちゃんはドジですけど、真面目な女の子だからさ。ヘマをしてもその、多目に見てほしいんですよ」 「もちろんです。完璧な人はいませんしね。私も彼女が大好きなので」 「ハハハ。それは無理っしょ?あの姫野君がいるんだから!あ?私は呼ばれたので、これで」 こうして猪熊が去った後、慎也は酒を飲もうと空のグラスと手に歩いていた。 「おおっと。グラスが空じゃないですか。すみませーん」 やけにセクシーな男が、ウエイターに声を掛け、慎也にシャンパンを用意してくれた。 「では?カンパーイ」 「こちらこそ。私は夏山愛生堂の、夏山です」 「君が?若いな」 ススキノホストクラブを代表してやってきた迅は、この日も胸開け白シャツゴールドネックレスにムスクの香りで決めていた。彼は姫野立案のシニア向けの初めてのホストクラブの盛況ぶりを慎也に説明した。 「しかし。姫野君は何者なんですか?小花ちゃんの彼氏だっていうし」 「迅さんも小花さんを御存じなんですか?」 「ああ。うちのビルを掃除していた事があって。そうだ。これ見て」 迅は愛娘の写真を慎也に見せた。 「彼女の名前をもらって、鈴音って言うんですよ。可愛いでしょう」 「小花さんの名前を?どんだけ彼女が好きなんですか?」 「そうですね。10歳若ければ……いえ。自分のような汚れた男は彼女には失礼だな。とにかく今の自分があるのは彼女のおかげなんです」 そして迅はおトボケの小花をどうか多めにみてくれと頼み、他の客に挨拶に行ってしまった。 すると今度は札幌医師会の塩川ドクターが慎也に話しかけてきた。塩川夫人も小花と親しいと話すので、慎也は嬉しい気持ちと会社以外の小花を全然知らない事に、ちょっとさびしい気持ちになっていた。 「あの……夏山さんですか?私。派遣会社ワールドの伊達と申します。うちの小花が大変お世話になっておりまして」 「……ワールドさん、あ?こちらこそ!すみません、女性とは思いませんでした」 小花の上司でワールドの社長の伊達は真っ白なスーツで慎也に名刺を差し出した。 「いいえ。夏山さんの全道の支店でうちの派遣社員を使っていただいて。挨拶が遅れて申し訳ないです」 慎也は小花にずっと夏山ビルに来て欲しいので、使った事のない社長命令で、全道の夏山愛生堂ではワールドを優遇させていた。これを感謝する伊達に慎也は真顔を見せた。 「そのことで私も伊達さんに相談したかったんです。今、時間良いですか」 慎也は会場の片隅で小花をくれ、と正直に頼んだ。伊達は顔を曇らせた。 「……夏山さんのお気持ちは、純粋に嬉しいです。だって彼女は私が直に研修しましたし、そこまで想って下さるまで成長したことは上司として誉です。しかし。ダメです」 「企業としてタブーなのはわかっています、ですが」 「夏山さん。少し彼女の話をさせてください」 そういって伊達は、ウイスキーをロックで煽った。 「小花は不出来なので、他の人よりも必死に取り組みます。だからどこに派遣しても努力家の彼女を知った人は延長して欲しいと言ってくるのです」 「自分もそうです。決してその。邪な気持ちではありませんよ」 「フッフフ。当たり前です。ですが、私は様々な職場を経験して彼女にもっと成長して欲しいんです」 「お気持ちはわかりますが、自分はちょっと違います」 「え?」 慎也は真顔で伊達に向かった。 「女性の目線ではそうかもしれないですが。自分としては、小花さんにこれ以上苦労をかけたくないです。あんな頑張っている彼女に、これ以上の試練は必要ないですよ」 「……夏山さん」 「誤解しないでください。自分は別に恋愛感情を頂いているわけではありません。可愛い社員くらいに思っているだけです」 「そうでしょうか?すみません。今までがそうでしたので」 今の伊達のコメントで、今までの小花はどこに行っても妙に好かれてしまうので、女社長の伊達は、こまめに小花の職場を変えていた事に、慎也は気が付いた。 「ご安心ください。自分は社長の名に掛けて、彼女に清掃員の仕事を全うしてほしいと思っているんです。本当にそれだけなんですよ」 「夏山さん……」 彼女はすっと赤ワインを飲み、昔を思い出したように会場の奥を見た。 「そうですか、ありがたい事です……今度じっくり小花と相談しますね。まずは本人の気持ちが大切ですもの」 「確かに?ハハハ、先走ってしまって恥ずかしいです」 ワールドの伊達は今度夏山に挨拶に行くと言い、他の参加者の所へ行ってしまった。 そしてフリーになった慎也は、背後から聞き覚えのある声をキャッチした。 「ミスターバーマン!ルック!」 「OH!初音ミク!グレイド!」 「小花さん?ここで何してんの……」 「あら?社長ですか。まあ!」 驚く小花に、慎也の方が驚いてしまった。 「そっちの人は?」 「IT企業の社長さんのバーマンさんです。ミスターバーマン、ヒイズ、夏山プレジデント」 「ハーイ!ナイスミーチュウ!」 慎也は英語とフランス語は一応分かるのでバーマンと話をし、彼は札幌を拠点にしてすごい仕事をしている事を知った。そして小花とはPTA活動で知り合い、彼女の娘の洋子は先日の洞爺湖マラソンでデットヒートを繰り広げた良きライバルだと教わった。 「してさ。なんでここに一緒に来たの?」 「バーマンさんの奥様に通訳を頼まれたんですの。でも、バーマンさんはある程度、日本語を知っているんですけど」 するとバーマンは知り合いを発見したので、小花はここで休むように言い、そっちに行ってしまった。 「小花さん。何を飲んでいるの」 立食形式のパーティーの華やかな席だが通訳の彼女は紺のワンピースを着ていた。地味であるが薄くメイクをしており清楚な彼女に良く似合っていた。 「お水です」 「お腹空いていないかい」 「空いていますけど、そうか。私、何か取りますね。社長は、えっと」 すると慎也が小花に微笑んだ。 「俺が取るよ。なにがいい?」 「社長に取っていただくわけには参りませんわ」 「嫌なの」 「そういうつもりではありませんの、では、そうね、そのサンドイッチが気になるんですけど……マスタードが入っているのかしら……」 「辛いのが嫌なんだね。いいよ。俺が犠牲になるよ」 「お願いします」 そういって慎也は、小花のために慎也は一つ取って食べた。 「……辛くないよ。うん。これは大丈夫」 「本当に?」 「俺は嘘つかない!ほら、食べてごらん。口あけて?」 小花があんまり可愛いので、慎也は小さな三角形のサンドイッチを彼女の口にそっと当てた。 「恥ずかしいですわ?もう……うん!美味しい……お腹が空いていたので何でも美味しいですわ」 さすがに自分で受け取って食べた彼女は、慎也に微笑みながらもぐもぐ食べた。 あまりに美味しそうに食べる彼女にもっと食べさせたいと思った慎也は、また料理を選び始めた。 「あとさ。あの生ハムサラダは?美味そうだよ」 「でもこぼしそう……」 隣の小花は慎也に寄りそって真剣に料理を見ていた。 「確かに、ドレッシングが死ぬほどかかっているな……危険極まりないぞ、これは」 「ね?お兄さま!あの横にあるレタスに包んで食べるんじゃないかしら?」 傍らの小花は、夢中になると自分の事を『お兄さま』と呼び間違えるうっかりミスがあったが、慎也はこの呼び間違えが大好物だったので、震える心を抑えて彼女のおねだりに微笑んだ。 「よし!お兄さまにまかせろ」 慎也は小花のためにサラダを用意し、さらに他の料理も取ってやり彼女を喜ばせた。 「ほら!ポテトサラダで雪だるまだぞ」 「可愛い!食べるのがもったいないわ」 こんな二人に男性は恐る恐る間に入ってきた。 「あの……お楽しみの所すみません。私は狸小路商店街の会長です。先日の『浴衣コンテスト』や、その前の『24時間ぽんぽこサンバ』では小花さんにお世話になりました」 彼の顔をみた小花は、思い出したように慎也に紹介した。 「こちらこそ。あの、この方は夏山愛生堂の社長さんです。社長もぽんぽこサンバを歌いましたよね」 「あの風間がやったギネスのだろう。うん、歌ったよ。俺も」 「ありがとうございます!!今後もよろしくお願いします」 低姿勢で挨拶していった会長の後ろ姿を見ていた小花の肩を慎也はトンと叩いた。 「あのさ。『浴衣コンテスト』ってなにをしたの?小花さん」 「私の説明じゃおわかりになりませんしね。ご覧になるのが早いかしら……これですわ」 小花はその時撮った写真を慎也に見せた。 「……この着物姿って、小花さんだよね」 「はい。よくお着物だってわかりましたね。みなさん浴衣だって言うのに」 ……この雰囲気、誰かに似ているような……誰だっけ。くそ、分かんねえな……。 同じ両親を持つ妹の小花の和服姿は、母親そっくりだったが、慎也は母親の和服姿を見た事がないので、ピンとこなかった。 「この一緒にいるのがバーマン洋子ちゃんです、あ、バーマンさんは?いた、すみません社長、私行きますね!」 小花に逃げられた慎也は、ポツンと一人になったが、他の参加者が挨拶に来たので、社長としての営業を遂行させて行った。 「どうも、よろしくお願いします……はあ、ちかれた」 「お疲れ様。慎也君。これ、ウーロン茶よ」 ウエイトレス姿の菜々子はそんな慎也にドリンクをはい、と渡した。 「もう……どこにいたんだよ」 「隣の宴会場よ。さっきフォローに入ったのよ」 そういってテーブルの食器をまとめている菜々子が少し怒っているような気がした慎也は彼女の顔を覗き込んだ。 「さっきのは小花さんでしょう。いいの?姫野君の彼女なのに」 「おやおや?焼きもちかな~。ただ一緒に料理を食べていただけだし」 「ふーん。別に私には関係ないけど。はい、通りますー」 そう冷たく言い放って食器を下げた菜々子を慎也はまんざらでもない顔で見ていた。 ……やばい?嬉しすぎる……本当に焼きもち妬いているし。 そうは言っても菜々子は結構怒っている。これは何とかしようと彼は彼女に接近した。 「ねえ。菜々子さん。誤解だから」 「仕事中よ。話しかけないで」 その時、司会者がマイクを持ち、会場の参加者にインタビューを始めた。 『では、よろしいですか?ええと夏山愛生堂の夏山様にお聞きします。この会のテーマ「大好きです、サッポロ」にちなんで札幌で一番好きなもの、を教えてください!食べものでも、なんでも結構ですよ』 応える慎也にプリンセスホテルの照明係りはスポットライトを当てた。 『好きなもの……そうですね、全部好きですが、一番好きなのは、交際している彼女ですね』 この発言に会場からひゅうと冷やかしの声が上がった。 『まあ?熱い事です……あのですね?具体的にどういう所がお好きなんですか』 悪ノリ司会者に慎也はさらに悪ノリし、マイクに向かった。 『そうですね。彼女は、色が白くて話が上手でアクティブで、札幌の女の子って感じなんです。それにゴルフも上手で美人だし、いつも私の世話を焼いてくれるんですよ、ね、菜々子さん?』 「は?」 慎也にイラとしていた菜々子は、この話しを無視して仕事をしていたので急にライトを当てられて驚いた。 「……え?何これ?」 しかも会場から拍手をもらった菜々子は訳が話からずキョロキョロしていた。そこへマイクを持った司会者がやってきた。 『これは……元プロゴルファーの星野菜々子さんですね?突然ですみませんが、札幌で一番好きなものを教えてください』 『えええ?私が応えるんですか?』 すると壁際に立っていたプリンスホテルの南が、行けと顎で彼女に指示をしたので、菜々子はおほんと咳を払って素直に応えた。 『札幌で一番好きなもの……そうですね。私はゴルフが好きなので、プレイができるこの札幌の夏が一番好きです』 『夏!ですか。そうですか……ちなみに彼は?』 『彼ですか?それはここではちょっと』 恥ずかしくて顔を隠した菜々子に会場から拍手がこぼれた。そして司会者は他所に言ったので、菜々子はホッ胸をなで下ろしていた。 「ねえ。菜々子さんが一番好きなのは俺じゃないの?」 「大きな声で言わないで慎也君!」 「星野……それは社長に失礼だろう」 「だってさ。菜々子さん!だから機嫌直してよ」 「もう!知りません」 そう言って菜々子は踵を返すと食器を持って奥へ消えてしまった。 しかし。また慎也の所に戻ってきた。 「……ちょっと。後で顔を貸しなさいよ。話が全然分かんないわ」 「お安いご用です。菜々子さん」 頭を下げた慎也に彼女はウィンクをして仕事に精を出していた。 このパーティー会場は、熱気に包まれていた。 いつもなら気の乗らない会だが、今宵はすこぶるご機嫌の慎也であった。 完
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